ルーヴル再訪 [2018パリの旅]
2018年5月4日(金) 午後6時47分 パリ ルーヴル美術館
再びルーヴルへ
ベルシー地区からルーヴルに戻ってきた。
今日は金曜日でルーヴル美術館は夜間開館をしている(午後9時45分まで開館)。
今日の残りはルーヴルで存分に名画を楽しもうという算段である。
午前にルーヴルを訪れた際は、サモトラケのニケのあたりからグランド・ギャラリーの辺りを回った。
つまり、ルネサンス期のイタリア絵画を中心に鑑賞したのでこれらはパス。
ルーヴルの2階(日本でいう3階)から
今回は最初に2階(日本でいう3階)へ行ってみる。とても空いていて快適に鑑賞できる。
この時間帯、モナリザ付近はやはりまだ混んでいるのであろうか?
あれでは「見た」というだけで、鑑賞できる環境とは言えないと思うが、ここは違う。
それに、ここにも有名絵画はたくさん展示されている。
ああ…。今回の記事はそれらの作品の羅列に終わってしまいそう…。
それではつまらないので、今回は私が今好きなテレビ番組のお話をしようと思います(急に何だ…)。
ヤン・ファン・エイク(1395頃~1441)「宰相ロランの聖母」
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593~1652)「いかさま師」
私は記事執筆の姿勢として、原則、旅に関係ない時事的な話題はなるたけ排除したいというのがある。
それなのに前回、映画「カメラを止めるな」の話題を出してしまった。
前回記事が映画に関わることであり、この映画、すこぶる面白かったので、つい載せてしまったのである。
それが今、盗作騒動ということでなんとも複雑である。
やはり、載せるべきではなかったのか…。
本当ならば、このような盗作騒動云々も私の旅行記では排除される事象である。
空いていて快適に鑑賞できる
クエンティン・マサイス(1465/66~1530)「両替商とその妻」
話が逸れたが、私がよく見るテレビ番組というのは旅番組である。
中でも、BS朝日で毎週金曜夜に放送している「迷宮グルメ異郷の駅前食堂」という番組が抜群に面白い。
芸人ヒロシが海外の鉄道駅にぶらりと下車、その近辺で地域特有の絶品料理を探すという番組である。
列車が疾走し、チャップリンの「テリーのテーマ」がかかるオープニングからして旅情をそそられる。
その列車内で地元の人々に混じり車窓からの景色を眺める「旅する人ヒロシ」も非常にいい表情である。
あてもなく適当な駅で降車したヒロシ氏は、文法めちゃくちゃな英語を駆使して絶品料理を探す。
時には日本語だけで押し切ってしまう。ジェスチュアを交えてだが、これがけっこう通じてしまう。
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640)の展示室
ヨハネス・フェルメール(1632~1675)「レースを編む女」
有名観光地はほとんど出てこない。大きなハプニングもさほど起こることはない。
この種の旅番組にありがちな「~円以内で旅をする」みたいなつまらない制約もない。
ただ、めちゃくちゃな英語で現地の人々とコミュニケーションを取りながら駅前食堂を探すのだ。
食堂決定後は「ナンバーワンメニューは何?」というような感じでオーダーしてしまう。
料理を待つ間にかかるBGMは、なぜか映画「荒野の用心棒」から「さすらいの口笛」。
そして「旅先の一食はギャンブル。メシ次第で旅は台無し」の字幕が毎回出てくる。
レンブラント・ファン・レイン(1606~1669)の展示室
フランス・ハルス(1582頃~1666)「ジプシーの女」
そうなのである。旅で困ることのひとつは食事なのである。
その土地のものを食したい気持ちはあるが、ひとり旅だと適当なレストランを見つけるのに難儀する。
もちろん、ヒロシ氏は撮影クルーがいるわけであるからひとり旅ではない。
だが、その片言の英語と日本語とジェスチュアで乗り切ってしまう姿勢には感心をさせられる。
このヒロシ氏の素晴らしいコミュニケーション能力がこの番組の肝であるといえよう。
というわけで、どうかこの番組。回を重ねてもヒロシさんの英会話が上達することがありませんように!
ルーヴルで鑑賞後、オペラ大通りへ。左端に見える「モノプリ」で食料調達
さて、翻って私のこの日の夕食である。
私はヒロシ氏のようなコミュニケーション能力がない故、逃げに逃げた。
オペラ大通りのスーパー、モノプリの食料品売り場で寿司を購入し、宿に戻ったのであった。
サーモンの寿司とカリフォルニア・ロールで13.50ユーロ(1700円ほど)。
たっかいなあ…。
この日の夕食
再びルーヴルへ
ベルシー地区からルーヴルに戻ってきた。
今日は金曜日でルーヴル美術館は夜間開館をしている(午後9時45分まで開館)。
今日の残りはルーヴルで存分に名画を楽しもうという算段である。
午前にルーヴルを訪れた際は、サモトラケのニケのあたりからグランド・ギャラリーの辺りを回った。
つまり、ルネサンス期のイタリア絵画を中心に鑑賞したのでこれらはパス。
ルーヴルの2階(日本でいう3階)から
今回は最初に2階(日本でいう3階)へ行ってみる。とても空いていて快適に鑑賞できる。
この時間帯、モナリザ付近はやはりまだ混んでいるのであろうか?
あれでは「見た」というだけで、鑑賞できる環境とは言えないと思うが、ここは違う。
それに、ここにも有名絵画はたくさん展示されている。
ああ…。今回の記事はそれらの作品の羅列に終わってしまいそう…。
それではつまらないので、今回は私が今好きなテレビ番組のお話をしようと思います(急に何だ…)。
ヤン・ファン・エイク(1395頃~1441)「宰相ロランの聖母」
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593~1652)「いかさま師」
私は記事執筆の姿勢として、原則、旅に関係ない時事的な話題はなるたけ排除したいというのがある。
それなのに前回、映画「カメラを止めるな」の話題を出してしまった。
前回記事が映画に関わることであり、この映画、すこぶる面白かったので、つい載せてしまったのである。
それが今、盗作騒動ということでなんとも複雑である。
やはり、載せるべきではなかったのか…。
本当ならば、このような盗作騒動云々も私の旅行記では排除される事象である。
空いていて快適に鑑賞できる
クエンティン・マサイス(1465/66~1530)「両替商とその妻」
話が逸れたが、私がよく見るテレビ番組というのは旅番組である。
中でも、BS朝日で毎週金曜夜に放送している「迷宮グルメ異郷の駅前食堂」という番組が抜群に面白い。
芸人ヒロシが海外の鉄道駅にぶらりと下車、その近辺で地域特有の絶品料理を探すという番組である。
列車が疾走し、チャップリンの「テリーのテーマ」がかかるオープニングからして旅情をそそられる。
その列車内で地元の人々に混じり車窓からの景色を眺める「旅する人ヒロシ」も非常にいい表情である。
あてもなく適当な駅で降車したヒロシ氏は、文法めちゃくちゃな英語を駆使して絶品料理を探す。
時には日本語だけで押し切ってしまう。ジェスチュアを交えてだが、これがけっこう通じてしまう。
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577~1640)の展示室
ヨハネス・フェルメール(1632~1675)「レースを編む女」
有名観光地はほとんど出てこない。大きなハプニングもさほど起こることはない。
この種の旅番組にありがちな「~円以内で旅をする」みたいなつまらない制約もない。
ただ、めちゃくちゃな英語で現地の人々とコミュニケーションを取りながら駅前食堂を探すのだ。
食堂決定後は「ナンバーワンメニューは何?」というような感じでオーダーしてしまう。
料理を待つ間にかかるBGMは、なぜか映画「荒野の用心棒」から「さすらいの口笛」。
そして「旅先の一食はギャンブル。メシ次第で旅は台無し」の字幕が毎回出てくる。
レンブラント・ファン・レイン(1606~1669)の展示室
フランス・ハルス(1582頃~1666)「ジプシーの女」
そうなのである。旅で困ることのひとつは食事なのである。
その土地のものを食したい気持ちはあるが、ひとり旅だと適当なレストランを見つけるのに難儀する。
もちろん、ヒロシ氏は撮影クルーがいるわけであるからひとり旅ではない。
だが、その片言の英語と日本語とジェスチュアで乗り切ってしまう姿勢には感心をさせられる。
このヒロシ氏の素晴らしいコミュニケーション能力がこの番組の肝であるといえよう。
というわけで、どうかこの番組。回を重ねてもヒロシさんの英会話が上達することがありませんように!
ルーヴルで鑑賞後、オペラ大通りへ。左端に見える「モノプリ」で食料調達
さて、翻って私のこの日の夕食である。
私はヒロシ氏のようなコミュニケーション能力がない故、逃げに逃げた。
オペラ大通りのスーパー、モノプリの食料品売り場で寿司を購入し、宿に戻ったのであった。
サーモンの寿司とカリフォルニア・ロールで13.50ユーロ(1700円ほど)。
たっかいなあ…。
この日の夕食
映画館で映画を観る楽しみ [2018パリの旅]
2018年7月28日(土) 午後3時18分 東京 渋谷 ユーロスペース
それにしても、なぜパリでわざわざ映画なのか?
語学に堪能であれば、最新のフランス映画を観ることができるから、それは意味のあることであろう。
しかし、私は語学に堪能ではない。
だから、観て楽しめる映画というのは以下の3タイプに自ずと限られてしまうと思われる。
①むかし観たことのある映画
②無声映画(またはほとんどセリフなしの映画)
③日本映画(外国語吹き替え版は不可)
それなのに、パリで映画館。というのは、海外の映画館の雰囲気を味わってみたいからなのだ。きっと。
シネマテーク・フランセーズで
私は映画館で映画を観る際には、劇場内のほぼ真ん中辺りの席を取るようにしていた。
スクリーンの真ん前で映像と対峙するような席である。
映像を独占し、なるべく他の要素が入ってこない環境を望んでいたのだろう。
これがこの頃は変わってきて、劇場後方の席に陣取ることが多くなった。
後方の席だと、他の観客たちの反応がわかる。
映像を独占しようとするのではなく、劇場内の雰囲気を味わいたいと思うようになったのであろう。
余談だが、一度、ある映画で後方の席に座したところ、他に誰も入ってこなかったということがあった…。
シネマテーク・フランセーズで
ただ、劇場内が熱を帯びた雰囲気になる映画というのは非常に少ない。
これが映画祭なんかだと、独特の雰囲気があって、観客の一体感が感じられることがある。
上映中、作品に対する観客の反応が顕著だったり、上映後には自然と拍手が起こったりする。
でも、それは映画祭だからであって、普段の上映でそういうことはあまりないものである。
それが、先日、普段の上映でそういうことが起こった(これは日本でのおはなしです…)。
上田慎一郎監督の「カメラを止めるな!」という日本映画を観たのである。
その劇場内の熱量といったら…!これはもの凄い、熱い熱い熱い映画なのであった!
もの凄くこの映画について語りたいのだが、この映画の内容について書くことは野暮以外の何でも無い。
とにかく、熱い映画であったとだけここに記しておくことにする。
同じ映画を2度劇場に観に行ったなんて、いつ以来だろうか…
2018年5月4日(金) 午後2時52分 パリ シネマテーク・フランセーズ
さて、シネマテーク・フランセーズで「戦艦ポチョムキン」の上映である。
この映画は75分とちょっと短い。だからかこの前に1本の短編もセットで上映された。
"La Maison est Noire(日本語題「あの家は黒い」)"(1963年)という20分の作品である。
これは初めて観る作品であった。
監督はフォルーグ・ファッロフザード(1936~1967)というイランの人である。
この人は、女性で詩人としてもイランでとても重要な存在なのだそうである。
「あの家は黒い」はドキュメンタリー作品で、ハンセン病患者の日常が描かれる。
監督は詩人でもあるということで、その映像に何か詩のような朗読が挿入されている。
イランの映画だからペルシア語での朗読。したがってフランス語の字幕が出る。
そんなわけで、残念ながら内容を把握することはできなかった…。
シネマテークのチケット
続いてセルゲイ・エイゼンシュタイン監督の「戦艦ポチョムキン」の上映が始まる。
ショスタコーヴィチの曲が流れ、ウジが湧いた肉、立ち上がるライオン、オデッサの階段…。
「戦艦ポチョムキン」は映画史に残る名作とされている。
しかし、海外の映画館の雰囲気を味わってみたいとはいえ、なぜ「戦艦ポチョムキン」なのか。
他にもっと観るべき映画があったのではないだろうか?
まあ、これならばわかるであろうと「戦艦ポチョムキン」を選択したのであるから仕方が無い。
決して時間の無駄だったわけではないが、やはり映画は言葉がわからないと選択の幅が狭まってしまう。
それは、冷蔵庫がないと購入できるチーズが限られてしまうようなものなのである(まだ言ってるよ)…。
シネマテークで映画鑑賞後、買ったものを宿に置いて、再びルーヴルへ…
それにしても、なぜパリでわざわざ映画なのか?
語学に堪能であれば、最新のフランス映画を観ることができるから、それは意味のあることであろう。
しかし、私は語学に堪能ではない。
だから、観て楽しめる映画というのは以下の3タイプに自ずと限られてしまうと思われる。
①むかし観たことのある映画
②無声映画(またはほとんどセリフなしの映画)
③日本映画(外国語吹き替え版は不可)
それなのに、パリで映画館。というのは、海外の映画館の雰囲気を味わってみたいからなのだ。きっと。
シネマテーク・フランセーズで
私は映画館で映画を観る際には、劇場内のほぼ真ん中辺りの席を取るようにしていた。
スクリーンの真ん前で映像と対峙するような席である。
映像を独占し、なるべく他の要素が入ってこない環境を望んでいたのだろう。
これがこの頃は変わってきて、劇場後方の席に陣取ることが多くなった。
後方の席だと、他の観客たちの反応がわかる。
映像を独占しようとするのではなく、劇場内の雰囲気を味わいたいと思うようになったのであろう。
余談だが、一度、ある映画で後方の席に座したところ、他に誰も入ってこなかったということがあった…。
シネマテーク・フランセーズで
ただ、劇場内が熱を帯びた雰囲気になる映画というのは非常に少ない。
これが映画祭なんかだと、独特の雰囲気があって、観客の一体感が感じられることがある。
上映中、作品に対する観客の反応が顕著だったり、上映後には自然と拍手が起こったりする。
でも、それは映画祭だからであって、普段の上映でそういうことはあまりないものである。
それが、先日、普段の上映でそういうことが起こった(これは日本でのおはなしです…)。
上田慎一郎監督の「カメラを止めるな!」という日本映画を観たのである。
その劇場内の熱量といったら…!これはもの凄い、熱い熱い熱い映画なのであった!
もの凄くこの映画について語りたいのだが、この映画の内容について書くことは野暮以外の何でも無い。
とにかく、熱い映画であったとだけここに記しておくことにする。
同じ映画を2度劇場に観に行ったなんて、いつ以来だろうか…
2018年5月4日(金) 午後2時52分 パリ シネマテーク・フランセーズ
さて、シネマテーク・フランセーズで「戦艦ポチョムキン」の上映である。
この映画は75分とちょっと短い。だからかこの前に1本の短編もセットで上映された。
"La Maison est Noire(日本語題「あの家は黒い」)"(1963年)という20分の作品である。
これは初めて観る作品であった。
監督はフォルーグ・ファッロフザード(1936~1967)というイランの人である。
この人は、女性で詩人としてもイランでとても重要な存在なのだそうである。
「あの家は黒い」はドキュメンタリー作品で、ハンセン病患者の日常が描かれる。
監督は詩人でもあるということで、その映像に何か詩のような朗読が挿入されている。
イランの映画だからペルシア語での朗読。したがってフランス語の字幕が出る。
そんなわけで、残念ながら内容を把握することはできなかった…。
シネマテークのチケット
続いてセルゲイ・エイゼンシュタイン監督の「戦艦ポチョムキン」の上映が始まる。
ショスタコーヴィチの曲が流れ、ウジが湧いた肉、立ち上がるライオン、オデッサの階段…。
「戦艦ポチョムキン」は映画史に残る名作とされている。
しかし、海外の映画館の雰囲気を味わってみたいとはいえ、なぜ「戦艦ポチョムキン」なのか。
他にもっと観るべき映画があったのではないだろうか?
まあ、これならばわかるであろうと「戦艦ポチョムキン」を選択したのであるから仕方が無い。
決して時間の無駄だったわけではないが、やはり映画は言葉がわからないと選択の幅が狭まってしまう。
それは、冷蔵庫がないと購入できるチーズが限られてしまうようなものなのである(まだ言ってるよ)…。
シネマテークで映画鑑賞後、買ったものを宿に置いて、再びルーヴルへ…