ウワディスワフ・シュピルマンに会いに行った。 [お墓]
2009年5月5日(火)、現地時間 午後2時50分、ワルシャワ コムナルニィ墓地
※ここは「コムナルニィ墓地」ではなく、Centarz Wojskowy のようです。(2009年10月19日)
映画「戦場のピアニスト」のモデル、シュピルマン氏との会見を泣く泣くあきらめた私。
コムナルニィ墓地を去る前にトイレに行きたくなった。
墓地の出入り口近くにトイレがあったのでそこで用を足すことにした。
このトイレ、男女の別がマークで記されてなく、ポーランド語表記のみ。
間違って女性用に入ってしまってはマズイので、会話帳を開いて単語を確認。
ポーランド語では男性用が「męska」、女性用が「damska」である。
男性用を「▼」、女性用を「●」で表示する場合もあるようだ。
これで私は安心して「męska」のほうに入って行った。
このトイレは無料だった。他の公衆トイレでは1.50ズウォティほど取られた。
すっきりしてトイレを出る。
まだシュピルマン氏に会えなかった未練があるので、左方向に広がる墓石群を見やる。
待てよ。この最前列の墓石群。背後に目印となる生垣を擁しているではないか。
もしや、この一列のどこかにシュピルマン氏は眠っているのではあるまいか?
いやいや、まさか。事前の情報ではシュピルマン氏は墓地中央付近で眠っているはずである。
それが、この生垣を擁する墓石の列は墓地の入口すぐのところなのである。
ここで眠っているわけはない。と半信半疑ながらも、そこの墓石を一つ一つ確認してゆく。
あれっ!!!!!あった!!!!!あった!!!!!
何と、シュピルマン氏の墓石を私はついに見つけてしまったのだった。
信じられなかったので墓碑銘を今一度確認。
「WŁADYSŁAW SZPILMAN PIANIATA KOMPOZYTOR」。やっぱり間違いない。
間違いないのだが、信じられない。思わず墓石に手をあてしゃがみこんだ。
ウワディスワフ・シュピルマン (1911~2000)のお墓
こんなに墓地の入口のすぐ近くに眠っていたとは…。
結論としてはGoogle Earth の画像が示していた通り、
シュピルマン氏はポヴォンスキ墓地ではなく、コムナルニィ墓地に眠っていた。
ただ、ポヴォンスキ墓地のどこに眠っているかをGoogle Earth は正確に示していなかった。
これはなかなか示唆に富んだ結果で、インターネットは便利だが信用し過ぎるなよ。
と、そんな風な教訓を得たような気がしたのだった…。
赤い矢印がシュピルマン氏のお墓があったところ 青の矢印がお墓があると思い込んでいた場所
だが、そんなことよりシュピルマン氏の墓参を果たすことができた感激のほうが大きい。
私はシュピルマン氏の墓碑銘を見つめながら人の運命について考えた。
戦没者の個性のない墓石群がある一方、今目前にある立派な墓石。
シュピルマン氏はユダヤ人迫害の厳しい中を生きのびて、戦後も音楽家として活躍したという。
この差はいったい何なのだろう。不幸な時代において個人がどうこうできる問題ではないだろう。
これをただ運命と片づけてしまうのは無情だが、そういうことがこの世の中では度々起こるらしい。
頭の中ではショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」が響いている。
「戦場のピアニスト」のエンドロールで使用された曲だ。
そのポロネーズの序奏、あれはまるでシュピルマン氏の生還を祝福しているかのようだった。
その序奏が鳴っている。序奏に続くピアノの主題…。曲が鳴りやまぬうちに墓地を出た。
もうせめてこの墓地で眠る人たちが静かに眠ることができる世の中であってほしいものだ。
コムナルニィ墓地…。正門をもう一度振り返って私は次の目的地へ向かった…。
※ここは「コムナルニィ墓地」ではなく、Centarz Wojskowy のようです。(2009年10月19日)
映画「戦場のピアニスト」のモデル、シュピルマン氏との会見を泣く泣くあきらめた私。
コムナルニィ墓地を去る前にトイレに行きたくなった。
墓地の出入り口近くにトイレがあったのでそこで用を足すことにした。
このトイレ、男女の別がマークで記されてなく、ポーランド語表記のみ。
間違って女性用に入ってしまってはマズイので、会話帳を開いて単語を確認。
ポーランド語では男性用が「męska」、女性用が「damska」である。
男性用を「▼」、女性用を「●」で表示する場合もあるようだ。
これで私は安心して「męska」のほうに入って行った。
このトイレは無料だった。他の公衆トイレでは1.50ズウォティほど取られた。
すっきりしてトイレを出る。
まだシュピルマン氏に会えなかった未練があるので、左方向に広がる墓石群を見やる。
待てよ。この最前列の墓石群。背後に目印となる生垣を擁しているではないか。
もしや、この一列のどこかにシュピルマン氏は眠っているのではあるまいか?
いやいや、まさか。事前の情報ではシュピルマン氏は墓地中央付近で眠っているはずである。
それが、この生垣を擁する墓石の列は墓地の入口すぐのところなのである。
- アーティスト: シュピルマン(ウワディスワフ),バッハ,ショパン,ラフマニノフ,シューマン,シュピルマン,ドビュッシー,アルベニス,クライスラー
- 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
- 発売日: 2003/02/05
- メディア: CD
ここで眠っているわけはない。と半信半疑ながらも、そこの墓石を一つ一つ確認してゆく。
あれっ!!!!!あった!!!!!あった!!!!!
何と、シュピルマン氏の墓石を私はついに見つけてしまったのだった。
信じられなかったので墓碑銘を今一度確認。
「WŁADYSŁAW SZPILMAN PIANIATA KOMPOZYTOR」。やっぱり間違いない。
間違いないのだが、信じられない。思わず墓石に手をあてしゃがみこんだ。
ウワディスワフ・シュピルマン (1911~2000)のお墓
こんなに墓地の入口のすぐ近くに眠っていたとは…。
結論としてはGoogle Earth の画像が示していた通り、
シュピルマン氏はポヴォンスキ墓地ではなく、コムナルニィ墓地に眠っていた。
ただ、ポヴォンスキ墓地のどこに眠っているかをGoogle Earth は正確に示していなかった。
これはなかなか示唆に富んだ結果で、インターネットは便利だが信用し過ぎるなよ。
と、そんな風な教訓を得たような気がしたのだった…。
だが、そんなことよりシュピルマン氏の墓参を果たすことができた感激のほうが大きい。
私はシュピルマン氏の墓碑銘を見つめながら人の運命について考えた。
戦没者の個性のない墓石群がある一方、今目前にある立派な墓石。
シュピルマン氏はユダヤ人迫害の厳しい中を生きのびて、戦後も音楽家として活躍したという。
この差はいったい何なのだろう。不幸な時代において個人がどうこうできる問題ではないだろう。
これをただ運命と片づけてしまうのは無情だが、そういうことがこの世の中では度々起こるらしい。
頭の中ではショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」が響いている。
「戦場のピアニスト」のエンドロールで使用された曲だ。
そのポロネーズの序奏、あれはまるでシュピルマン氏の生還を祝福しているかのようだった。
その序奏が鳴っている。序奏に続くピアノの主題…。曲が鳴りやまぬうちに墓地を出た。
もうせめてこの墓地で眠る人たちが静かに眠ることができる世の中であってほしいものだ。
コムナルニィ墓地…。正門をもう一度振り返って私は次の目的地へ向かった…。
つ、ついにお会いできましたね~
おめでとうございます♪
(*^^)/∠※PON!。.:*:・'°☆。.:*:・'°★°'・:*
それにしても立派なお墓だな~
トイレをもよおさなかったら会うことができなかったわけで・・・
ビェールの利尿作用が結んだご縁かも。(^_^;)
戦場のピアニスト、録画したのがどっかにあったはず。
よーし、捜すぞ!(^_^)
by りゅう (2009-09-02 00:11)
りんこうさん、自力で見つけましたね!
中央と入り口、それくらい誤差があるのがGoogle Earthと覚えて
おきます。
PIANIATA KOMPOZYTORは、pianist composerなんですよね、
わかってうれしかったです。
by TaekoLovesParis (2009-09-03 01:31)
りゅうさん。こんにちは!
りゅうさんするどいですね…。
確かにビェールを呑んでなかったらトイレ行ってなかったと思いますよ…。
これもまた運命なんでしょうかねぇ…。
Taeko さん。こんにちは!
「PIANISTA KOMPOZYTOR」。
ポーランド語がまったくわからなくても、さすがにこれは想像がつきます。
入口すぐ近くにこのお墓はあったわけですが、
ひょっとすると名士が埋葬されている特別な区画だったのかもしれません。
by りんこう (2009-09-05 10:58)
はじめまして
ポーランド旅行中に私もシュピルマン氏のお墓に花束を添えようと思っています。コムナルニィ墓地はグーグルで探し出しましたが、肝心のお墓の場所が検討付きません。13年も経つと墓地全体が拡張されたのか、掲載されている墓地全体地図と異なります。
そのため、グーグルマップでどの辺りなのか教えて頂けたら幸いです.宜しくお願い致します。
by taka (2023-08-06 23:22)