りんこうの世界より
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「りんこう」の世界からの報告です
りんこう
2019-06-02T22:00:00+09:00
ja
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台東觀光夜市
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2019-06-02
2019年1月4日(木) 午後4時55分 台東駅台東駅台東駅から台東市内中心部に向かうには、バスに乗っていかなければならない。ガイドブックによると、「台東市區」という表示を出しているバスに乗ればいいらしい。駅前のバス停でしばらく待っていると、「台東市區」と表示しているバスが来た。だが、他に乗る客がいない。不安であるので、運転手に台東中心部に行くかどうか訊いてみた。すると、運転手は頷きながら「バスターミナル」と言う。「バスターミナル?」まあ大丈夫だろうと乗車した。台東中心部到着バスは30分弱で「バスターミナル」付近に到着した。見回すと、おそらくこの辺りは台東中心部であると思われ一安心である。一安心とは言っても、私は台東で予約してあるホテルの場所をまたもや把握していなかった。wi-fiの設定をしていたら、楽にたどり着けるのだが、それをしていない。それでも、一度立ち止まり、地図を見るなどすればよいのであるが…。私にはそれをせずぶらぶらとあてもなく歩いて見つけ出そうとする傾向がある。今回もそうだった。勘を頼りに台東の街を歩き出す。夕刻であったが、市場の辺りでは、まだ野菜などを路上で販売している。そこを縫うようにバイクが走っていく、その道路は碁盤の目のようになっていると思われた。8年前の台東の記憶がうっすらと蘇ってきた。8年前に泊まった宿もきっとこの辺りのはずであった。凱旋會館まあ、8年前の記憶がうっすらと蘇ったとはいっても、今回の宿の場所まではさすがにわからない。どこだろうかと、スーツケースを引きずり歩く道路の真正面。「凱旋」という文字を掲げた高い建物が目に入った。ここだ。ここである。今回予約していた「凱旋會館」。1泊4600円ほどであった。泊まった部屋「凱旋會館」にチェックインして、少々休憩した後、町に出た。宿から歩いてすぐのところで台東觀光夜市という夜市が開かれていた。台東觀光夜市は木曜、金曜、土曜の開催。今日は木曜日だからちゃんと開かれている。8年前は遅い時間に台東に到着し、翌朝早朝に台東を発ったので夜市すらいっていない…。ここで何か食べて夕食にしよう。台東觀光夜市台東觀光夜市は規模こそ大きくはないが、テーブル席がたくさん出ている。これまで夜市では、食べ歩きばかりだった。でも、よく考えればこういうテーブル席でのんびり食べればよかったのである。そんな当たり前のことに今更気がついた。ちょっと気分も楽になった。台東觀光夜..
2019台湾東部の旅
りんこう
2019-06-02T22:00:00+09:00
台東駅
台東駅から台東市内中心部に向かうには、バスに乗っていかなければならない。
ガイドブックによると、「台東市區」という表示を出しているバスに乗ればいいらしい。
駅前のバス停でしばらく待っていると、「台東市區」と表示しているバスが来た。
だが、他に乗る客がいない。不安であるので、運転手に台東中心部に行くかどうか訊いてみた。
すると、運転手は頷きながら「バスターミナル」と言う。
「バスターミナル?」まあ大丈夫だろうと乗車した。
台東中心部到着
バスは30分弱で「バスターミナル」付近に到着した。
見回すと、おそらくこの辺りは台東中心部であると思われ一安心である。
一安心とは言っても、私は台東で予約してあるホテルの場所をまたもや把握していなかった。
wi-fiの設定をしていたら、楽にたどり着けるのだが、それをしていない。
それでも、一度立ち止まり、地図を見るなどすればよいのであるが…。
私にはそれをせずぶらぶらとあてもなく歩いて見つけ出そうとする傾向がある。
今回もそうだった。勘を頼りに台東の街を歩き出す。
夕刻であったが、市場の辺りでは、まだ野菜などを路上で販売している。
そこを縫うようにバイクが走っていく、その道路は碁盤の目のようになっていると思われた。
8年前の台東の記憶がうっすらと蘇ってきた。
8年前に泊まった宿もきっとこの辺りのはずであった。
凱旋會館
まあ、8年前の記憶がうっすらと蘇ったとはいっても、今回の宿の場所まではさすがにわからない。
どこだろうかと、スーツケースを引きずり歩く道路の真正面。
「凱旋」という文字を掲げた高い建物が目に入った。ここだ。ここである。
今回予約していた「凱旋會館」。1泊4600円ほどであった。
泊まった部屋
「凱旋會館」にチェックインして、少々休憩した後、町に出た。
宿から歩いてすぐのところで台東觀光夜市という夜市が開かれていた。
台東觀光夜市は木曜、金曜、土曜の開催。今日は木曜日だからちゃんと開かれている。
8年前は遅い時間に台東に到着し、翌朝早朝に台東を発ったので夜市すらいっていない…。
ここで何か食べて夕食にしよう。
台東觀光夜市
台東觀光夜市は規模こそ大きくはないが、テーブル席がたくさん出ている。
これまで夜市では、食べ歩きばかりだった。
でも、よく考えればこういうテーブル席でのんびり食べればよかったのである。
そんな当たり前のことに今更気がついた。ちょっと気分も楽になった。
台東觀光夜市に面してシェラトン台東ホテルが建っている。そのギャップが面白い。
そこに宿泊しているのであろうか、欧米人の姿もちらほらと。輪投げをしていたりした。
結局、ここでは「大腸蚵仔麺線」と「大腸包小腸」を食べた。なんだか大腸ばっかりであるが…。
「大腸蚵仔麺線」は豚のモツ(大腸)とカキ(蚵仔)と細い麺(麺線)が入ったトロトロのスープ。
プラスチック製のレンゲが付いてくるが、レンゲを使わずそのままごくごく飲めそうなトロトロ具合。
「大腸包小腸」はグロい名前だが、簡単に言うとホットドッグのパンの部分がもち米になっている品。
もち米の腸詰め(大腸)が甘いソーセージ(小腸)を包んでいる。夜市の定番で私は毎回食べてしまう。
その後、夜市を抜けて付近を散策。特に何をするということもなかったが、カエルを発見…。
最後にコンビニで台湾ビールを購入。これを宿の部屋で空けて、2日目終了となった。
大腸蚵仔麺線
大腸包小腸
台東のカエル
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8年ぶりの台東
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2019-04-13
2019年1月4日(木) 午後1時13分 花蓮公正包子店花蓮駅に戻る途上、今朝方、いきなり水餃子が供され焦りに焦った「公正包子店」の前に出た。今更、午前中の失態を追及されることはないだろう。ここの名物は肉まんであるということは以前の記事にも記した。となると、その肉まんを食べてみたくなった…。ただし、店内で食べるのは午前のこともあり不安なので、持ち帰りです…。小籠包今まで、「肉まん」と表記してきたが、この肉まんは「肉まん」として売っているのではない。このお店、「小籠包」という名で肉まんのようなものを売っているのである。小籠包というと、薄皮の中に具が入っていて、薄皮を破ると熱いスープがあふれてくる…。そういうイメージの食べ物であるが、このお店でそれをイメージして注文すると少々面食らうだろう。肉まんのような小籠包は1個5元。20円もしない。これを2個購入して、食べ歩きながら花蓮駅へ。やっぱり小籠包というより肉まんでした宿泊していた宿により、フロントに預けていたスーツケースを受け取り、花蓮駅へ。時刻は午後2時。台東へ向かう自強号は午後3時1分に出るのでまだ1時間も時間がある。おとなしく椅子に腰掛けて時間が来るのを待った。前述の小籠包を2つ食べただけなので、何か食べようかとも思ったが、さしてお腹が減っていない。何か食べようかどうしようかと思案していたら、ぼんやりと…。途中、軽く居眠りをしてしまった。花蓮駅台東に向かう自強号は定刻に発車。私は車窓から太平洋が見えることを期待していたが、山側の方の座席を指定してしまっていた…。それに結局は、車内でも居眠りをしてしまい、気がつくともうすぐ台東という体たらく。花蓮から台東までは1時間半ほどの乗車時間である。ここまで来ると、だいぶ南に来た感じがする。自強号が入ってきた8年ぶりの台東駅。8年前は午後8時過ぎに台東駅に到着して、駅の周りは真っ暗だった。何もなかった印象である。台東駅は台東市内中心部から6キロほど離れた場所にある。花蓮駅も中心部から離れたところにあったが、歩いて中心部に行けないことはない。だが、台東の場合、6キロも離れているのでは、歩いて向かうのは無茶である。8年前、そんな駅の真っ暗なところに降り立ったことを想い出す…。自強号車内その時は、どこからともなく日本語が話せるおじいさんが現れたのである。近くに停車していたバス運転手に、私を市内中心部まで乗せていってくれるよう交渉し..
2019台湾東部の旅
りんこう
2019-04-13T19:00:00+09:00
公正包子店
花蓮駅に戻る途上、今朝方、いきなり水餃子が供され焦りに焦った「公正包子店」の前に出た。
今更、午前中の失態を追及されることはないだろう。
ここの名物は肉まんであるということは以前の記事にも記した。
となると、その肉まんを食べてみたくなった…。
ただし、店内で食べるのは午前のこともあり不安なので、持ち帰りです…。
小籠包
今まで、「肉まん」と表記してきたが、この肉まんは「肉まん」として売っているのではない。
このお店、「小籠包」という名で肉まんのようなものを売っているのである。
小籠包というと、薄皮の中に具が入っていて、薄皮を破ると熱いスープがあふれてくる…。
そういうイメージの食べ物であるが、このお店でそれをイメージして注文すると少々面食らうだろう。
肉まんのような小籠包は1個5元。20円もしない。これを2個購入して、食べ歩きながら花蓮駅へ。
やっぱり小籠包というより肉まんでした
宿泊していた宿により、フロントに預けていたスーツケースを受け取り、花蓮駅へ。
時刻は午後2時。台東へ向かう自強号は午後3時1分に出るのでまだ1時間も時間がある。
おとなしく椅子に腰掛けて時間が来るのを待った。
前述の小籠包を2つ食べただけなので、何か食べようかとも思ったが、さしてお腹が減っていない。
何か食べようかどうしようかと思案していたら、ぼんやりと…。途中、軽く居眠りをしてしまった。
花蓮駅
台東に向かう自強号は定刻に発車。
私は車窓から太平洋が見えることを期待していたが、山側の方の座席を指定してしまっていた…。
それに結局は、車内でも居眠りをしてしまい、気がつくともうすぐ台東という体たらく。
花蓮から台東までは1時間半ほどの乗車時間である。
ここまで来ると、だいぶ南に来た感じがする。
自強号が入ってきた
8年ぶりの台東駅。
8年前は午後8時過ぎに台東駅に到着して、駅の周りは真っ暗だった。何もなかった印象である。
台東駅は台東市内中心部から6キロほど離れた場所にある。
花蓮駅も中心部から離れたところにあったが、歩いて中心部に行けないことはない。
だが、台東の場合、6キロも離れているのでは、歩いて向かうのは無茶である。
8年前、そんな駅の真っ暗なところに降り立ったことを想い出す…。
自強号車内
その時は、どこからともなく日本語が話せるおじいさんが現れたのである。
近くに停車していたバス運転手に、私を市内中心部まで乗せていってくれるよう交渉してくれた。
台東中心部へ向かうバスでなかったにもかかわらずだ(市内中心部へ向かうバスは終了の時間だった)。
私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
タクシーで中心部に向かいます。大丈夫です。とおじいさんに告げても、一切聞いてくれなかった…。
台東駅到着
結局、その交渉はうまくいかず、私はタクシーで予約していた台東中心部のホテルへ向かうことになった。
そこでまたトラブルが起きた。到着したホテルで予約が入っていないという。
確かにそのホテルのサイトの予約システムは、ちょっと貧弱で予約できたかどうか不安ではあった。
現地に行けばなんとかなるだろうとは思っていたのだが…。
客室もあいにく満室ということで、同等のレベルのホテルを紹介してもらい、連れて行ってもらった。
そんなことばかりで当時台東の町歩きはしていない。遅い時間であったし、宿泊しただけである。
その台東に8年ぶりにやって来た。台東駅も花蓮駅同様に新しくなっていて、これまた驚いた。
台東駅で
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花蓮文化創意産業園區
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2019-03-30
2019年1月4日(木) 午前10時50分 花蓮花蓮文化創意産業園區ワンタンを食した「液香扁食店」の程近くに、「花蓮文化創意産業園區」というところがある。日本統治時代に酒工場として設立された建物をリノベーションした施設である。現在ではその建物にレストランやお土産屋さんなどが入っているという。台湾にはちょいちょいこういうところがある。取り壊したりしないでうまく利用しているのである。「花蓮文化創意産業園區」にも、ちょっと行ってみることにした。敷地は結構広い。1月といえども少々暑いので、まずはベンチに腰掛けた。そのまましばらくボーッと建物に取り囲まれた中庭を眺めていた。観光客の姿は少なく、地元の人がのんびりと散歩に訪れているような感じである。花蓮を出発するのは午後3時であり、まだ4時間程あるが、他の場所も取材するとなると慌ただしい。もうこの酒工場跡でゆっくりしていればいいや。しばらくベンチに腰掛けた後、お土産屋さんに入ってみることにした。ぱっと見た感じ、お土産屋さんが入る建物が2棟あったが、そのそれぞれに入ってみた。まずは第6棟「生活製品概念館」というところへ。お菓子や石けんや招き猫グッズのようなものを売る店舗が入っていたが、私はここで石を購入した。排水溝の蓋もこんな感じ。「紅露酒」の左に「反共」の文字があることに注目石…。花蓮は大理石などで有名なところであるから、石を購入するのは別に変なことではない。私が購入したのは玫瑰石の原石。玫瑰石はバラ輝石とも呼ばれ、その名の通りバラ色をしている石である。やはり花蓮でよく取れる石であるということだ。石を扱うお店の一画に、「このカゴの中の玫瑰石はどれでも1個300元」というところがあった。そこから気になる形状の石を見つけだして購入したのである。これが買った玫瑰石(直径約6センチ)このように、この玫瑰石はちっともバラ色をしていないのである。他の石は割とまだちゃんとバラ色をしていたのであるが。でも、なんだかこの石、おせんべいみたいじゃないですか。一目見て気に入ってしまったのだった。買わないと後悔するような気がした…。これをおずおずとレジに持って行き、300元を払った(1000円ほど)…。カエルのキーホルダー第6棟の隣、第7棟もお土産屋さんとなっている。「事事創藝空間」というらしい。ここはメイド・イン・台湾の様々な雑貨が売られているような感じである。ここではカエルを捕獲。カエルのキーホ..
2019台湾東部の旅
りんこう
2019-03-30T21:00:00+09:00
花蓮文化創意産業園區
ワンタンを食した「液香扁食店」の程近くに、「花蓮文化創意産業園區」というところがある。
日本統治時代に酒工場として設立された建物をリノベーションした施設である。
現在ではその建物にレストランやお土産屋さんなどが入っているという。
台湾にはちょいちょいこういうところがある。取り壊したりしないでうまく利用しているのである。
「花蓮文化創意産業園區」にも、ちょっと行ってみることにした。
敷地は結構広い。
1月といえども少々暑いので、まずはベンチに腰掛けた。
そのまましばらくボーッと建物に取り囲まれた中庭を眺めていた。
観光客の姿は少なく、地元の人がのんびりと散歩に訪れているような感じである。
花蓮を出発するのは午後3時であり、まだ4時間程あるが、他の場所も取材するとなると慌ただしい。
もうこの酒工場跡でゆっくりしていればいいや。
しばらくベンチに腰掛けた後、お土産屋さんに入ってみることにした。
ぱっと見た感じ、お土産屋さんが入る建物が2棟あったが、そのそれぞれに入ってみた。
まずは第6棟「生活製品概念館」というところへ。
お菓子や石けんや招き猫グッズのようなものを売る店舗が入っていたが、私はここで石を購入した。
排水溝の蓋もこんな感じ。「紅露酒」の左に「反共」の文字があることに注目
石…。
花蓮は大理石などで有名なところであるから、石を購入するのは別に変なことではない。
私が購入したのは玫瑰石の原石。
玫瑰石はバラ輝石とも呼ばれ、その名の通りバラ色をしている石である。
やはり花蓮でよく取れる石であるということだ。
石を扱うお店の一画に、「このカゴの中の玫瑰石はどれでも1個300元」というところがあった。
そこから気になる形状の石を見つけだして購入したのである。
これが買った玫瑰石(直径約6センチ)
このように、この玫瑰石はちっともバラ色をしていないのである。
他の石は割とまだちゃんとバラ色をしていたのであるが。
でも、なんだかこの石、おせんべいみたいじゃないですか。
一目見て気に入ってしまったのだった。買わないと後悔するような気がした…。
これをおずおずとレジに持って行き、300元を払った(1000円ほど)…。
カエルのキーホルダー
第6棟の隣、第7棟もお土産屋さんとなっている。「事事創藝空間」というらしい。
ここはメイド・イン・台湾の様々な雑貨が売られているような感じである。
ここではカエルを捕獲。カエルのキーホルダーで320元である。
別にこのキーホルダーを使用するつもりはないが、旅の序盤でカエルを捕獲することができて満足である。
蒸留器など
太鼓。工場の運動会で使用したらしい
酒樽がずらり
酒工場時代に使われていた道具類を展示する建物もある。
1913年創業の工場だが、日本統治時代終了後も1980年代まで稼働していたようである。
敷地内にはその名残がいろんなところに見られるはずである。
建築に詳しくないので、細かな指摘をすることができず残念だが、なかなか魅力的な空間であった。
台湾を訪れる楽しみというのは、こういうちょっとレトロな空気に触れられるところにもあるだろう。
時刻は午後1時。ぼちぼち花蓮駅方面に戻っていくことにした。
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花蓮の朝食
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2019-03-21
2019年1月4日(木) 午前9時13分 花蓮駅花蓮駅前花蓮に到着して1日目が終了したところで、数週間更新をサボってしまったが、今回から2日目である…。今日は午後に台東に列車で移動する予定であるが、座席に座れなかったりするのは嫌である。というわけで、まずは宿から駅へ向かい、乗車するつもりの列車の乗車券を購入してしまうことにした。自動券売機を操作して、午後3時1分発の太魯閣号の乗車券を購入(343元)。これで一安心である。タッチパネル式の券売機を操作して購入したのだが、押しボタン式の券売機もある。私が子供の頃は日本でもこういう押しボタン式の券売機だったが、最近はあまり見なくなった。ボタン式の券売機宿はもうチェックアウトして、荷物をフロントに預かってもらい、花蓮の町歩き開始である。時刻は午前9時半。列車が出る時間までは町歩き。まずは朝食を食べることにした。昨晩も夜市に向かうために歩いた中山路をひたすらまっすぐ歩いて行き、繁華街に出た。相変わらず歩きである。バスを使うことができれば楽だし、時間も短縮となるのだろうが…。中山路この辺りに「公正包子店」という肉まんの有名店がある。ここで朝食をとることにした。しかし、どのようにオーダーしたら良いのであろうか。しばらく外で様子を見ていたのだが、店内での食事とテイクアウトとで列が分かれているようだ。店内には空席があったので、とりあえず店内に入り座ってみた。その直後、困った事態が発生したのである!公正包子店まだ何もオーダーしていないのに、私のテーブルにせいろに入った水餃子がドンと置かれていった。店員さんはとても忙しそうで絶えず動き回っている。私は声をかける機会を逸してしまった。そもそも何と声をかければわかってもらえる?私はこの店はどのようなシステムであるのかしばらく考え込んでしまった。着席すると、有無を言わさず食品が提供される方式なのであろうか?わんこそば方式か?悩んでいる間に水餃子は冷めてしまう…。出てきた水餃子(手をつけた後で撮影…)しかも、箸もタレも出てこない…。店内を観察すると、壁際に箸とタレが準備された一画があった。セルフサービスのようである。とりあえず箸とタレを自分で準備してきて、冷めてしまうのもいやなので水餃子に手をつけた。たぶん美味しいのだろうが、それどころではない。なぜオーダーしていない水餃子が出てきたのか。抗議をするタイミングを逸してしまい、私はその水餃子に手を..
2019台湾東部の旅
りんこう
2019-03-21T21:00:00+09:00
花蓮駅前
花蓮に到着して1日目が終了したところで、数週間更新をサボってしまったが、今回から2日目である…。
今日は午後に台東に列車で移動する予定であるが、座席に座れなかったりするのは嫌である。
というわけで、まずは宿から駅へ向かい、乗車するつもりの列車の乗車券を購入してしまうことにした。
自動券売機を操作して、午後3時1分発の太魯閣号の乗車券を購入(343元)。これで一安心である。
タッチパネル式の券売機を操作して購入したのだが、押しボタン式の券売機もある。
私が子供の頃は日本でもこういう押しボタン式の券売機だったが、最近はあまり見なくなった。
ボタン式の券売機
宿はもうチェックアウトして、荷物をフロントに預かってもらい、花蓮の町歩き開始である。
時刻は午前9時半。列車が出る時間までは町歩き。
まずは朝食を食べることにした。
昨晩も夜市に向かうために歩いた中山路をひたすらまっすぐ歩いて行き、繁華街に出た。
相変わらず歩きである。バスを使うことができれば楽だし、時間も短縮となるのだろうが…。
中山路
この辺りに「公正包子店」という肉まんの有名店がある。
ここで朝食をとることにした。
しかし、どのようにオーダーしたら良いのであろうか。
しばらく外で様子を見ていたのだが、店内での食事とテイクアウトとで列が分かれているようだ。
店内には空席があったので、とりあえず店内に入り座ってみた。
その直後、困った事態が発生したのである!
公正包子店
まだ何もオーダーしていないのに、私のテーブルにせいろに入った水餃子がドンと置かれていった。
店員さんはとても忙しそうで絶えず動き回っている。
私は声をかける機会を逸してしまった。そもそも何と声をかければわかってもらえる?
私はこの店はどのようなシステムであるのかしばらく考え込んでしまった。
着席すると、有無を言わさず食品が提供される方式なのであろうか?わんこそば方式か?
悩んでいる間に水餃子は冷めてしまう…。
出てきた水餃子(手をつけた後で撮影…)
しかも、箸もタレも出てこない…。
店内を観察すると、壁際に箸とタレが準備された一画があった。セルフサービスのようである。
とりあえず箸とタレを自分で準備してきて、冷めてしまうのもいやなので水餃子に手をつけた。
たぶん美味しいのだろうが、それどころではない。なぜオーダーしていない水餃子が出てきたのか。
抗議をするタイミングを逸してしまい、私はその水餃子に手をつけている…。
私は悩みながらも完食してしまった…。さて、どうする?
花蓮で
このまま食い逃げ…。
店員さんは皆忙しそうで、まあ食い逃げしてもバレそうにない。
しかし、それはさすがに良心が咎めるのである。
じゃあ、あれだ…。チップを置いていこう…。
店内に掲げられたメニューを見る。
どれも安い。50元(170円くらい)置いていけば十分すぎると思われた。
私はそこがパリのカフェであるかのように50元硬貨をテーブルに置き、冷や汗をかきながら店を出た。
液香扁食店
この様(ざま)はいったい何なのだ…。これが朝食というのではなんともすっきりしないではないか。
私はワンタンで有名な「液香扁食店」というところに入って、食べなおすことにしたのである。
ここのメニューはワンタンのみだから迷うことはない。
店に入るとレジが有り、ここで前払いして、レシートを受け取る。
ここはどうやら、ワンタン提供時にそのレシートと引き替えるというシステムのようであった。
セロリの味がうっすら効いたスープは、セロリが苦手な私にも何ら問題はなく美味しくいただけた。
食べ終わる頃には体がポカポカになり、うっすらと冷や汗でない汗をかいて私は店を出たのだった…。
ワンタン
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台湾東部の旅 1日目終了
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2019-02-17
2019年1月3日(木) 午後9時40分 花蓮夜市の巨大な門チェックインした宿から、花蓮の夜市である東大門國際觀光夜市に向かう。中山路という通りをただまっすぐに歩いていけばよいから迷うことはないが、少々距離がある。バスに乗れば楽なのであろうが、もう遅い時間であるし運行しているのかわからない。そもそも、バスは路線がたくさんあってどうも苦手である。日本にいてもそうである。とにかく歩いて行ったのだった。2011年8月の花蓮。海が見えなかった…すると、次第に8年前の記憶が蘇ってきた。確かに8年前もこの中山路を歩いて、海の方まで歩いて行った。海岸の手前のほうにフェンスがずっと続いていて、海を観ることができなかったことを思い出す。その時は花蓮鐵道文化園區というところを見学したのだった。花蓮鐵道文化園區はかつて花蓮の駅があったところ。その名残で、現在の花蓮における繁華街というべきところもこの辺りである。2019年1月3日2011年8月20日この旧駅跡の前、つまり昔は駅前広場であっただろうところに印象的な噴水がある。巨大な石の球体が水力で回転しているという噴水である。確かにここも8年前に訪れた。あれから変わらずこの球体は回転し続けていたのか…。さて、花蓮の夜市はこの噴水のすぐそば、旧花蓮駅と道を挟んで向かいにあるのであった。こんなところに夜市があったことなんて、8年前はまったく気がつかなかった。それもそのはず、この夜市がオープンしたのは2015年7月ということで、8年前は無かったようだ。夜市の案内図1月と言っても、台湾の花蓮辺りまで来るとだいぶ暖かい。傘をさすほどではないけれど、小雨が降る天気。そんな天気で、時刻も午後10時近くだからか、人の姿は少なめ。ちょっと寂しい印象を受ける。ただ、敷地は広大である。とてもすべてを見る気にはならないが、ぶらぶらと歩いてみた。巨大な門をくぐると、まずはダーツの要領で風船を割るゲームのお店だとか射的のお店だとかが多い。その先に進むと食べ物屋台のお店が並ぶエリア。特徴的なのは原住民料理が食べられることである。鹹豬肉というのを食べてみた。これは焼き豚で、これにタマネギの刻んだものが混ぜられている。香辛料がふんだんに使われ、かなりスパイシーである。口の中が刺激され…。ビールが飲みたくなってきたではないか…。鹹豬肉相変わらず小雨が降ったり止んだりではっきりしない天気。折りたたみ傘は持っていない。持ってく..
2019台湾東部の旅
りんこう
2019-02-17T21:00:00+09:00
夜市の巨大な門
チェックインした宿から、花蓮の夜市である東大門國際觀光夜市に向かう。
中山路という通りをただまっすぐに歩いていけばよいから迷うことはないが、少々距離がある。
バスに乗れば楽なのであろうが、もう遅い時間であるし運行しているのかわからない。
そもそも、バスは路線がたくさんあってどうも苦手である。日本にいてもそうである。
とにかく歩いて行ったのだった。
2011年8月の花蓮。海が見えなかった…
すると、次第に8年前の記憶が蘇ってきた。
確かに8年前もこの中山路を歩いて、海の方まで歩いて行った。
海岸の手前のほうにフェンスがずっと続いていて、海を観ることができなかったことを思い出す。
その時は花蓮鐵道文化園區というところを見学したのだった。
花蓮鐵道文化園區はかつて花蓮の駅があったところ。
その名残で、現在の花蓮における繁華街というべきところもこの辺りである。
2019年1月3日
2011年8月20日
この旧駅跡の前、つまり昔は駅前広場であっただろうところに印象的な噴水がある。
巨大な石の球体が水力で回転しているという噴水である。
確かにここも8年前に訪れた。あれから変わらずこの球体は回転し続けていたのか…。
さて、花蓮の夜市はこの噴水のすぐそば、旧花蓮駅と道を挟んで向かいにあるのであった。
こんなところに夜市があったことなんて、8年前はまったく気がつかなかった。
それもそのはず、この夜市がオープンしたのは2015年7月ということで、8年前は無かったようだ。
夜市の案内図
1月と言っても、台湾の花蓮辺りまで来るとだいぶ暖かい。
傘をさすほどではないけれど、小雨が降る天気。
そんな天気で、時刻も午後10時近くだからか、人の姿は少なめ。ちょっと寂しい印象を受ける。
ただ、敷地は広大である。とてもすべてを見る気にはならないが、ぶらぶらと歩いてみた。
巨大な門をくぐると、まずはダーツの要領で風船を割るゲームのお店だとか射的のお店だとかが多い。
その先に進むと食べ物屋台のお店が並ぶエリア。特徴的なのは原住民料理が食べられることである。
鹹豬肉というのを食べてみた。
これは焼き豚で、これにタマネギの刻んだものが混ぜられている。
香辛料がふんだんに使われ、かなりスパイシーである。
口の中が刺激され…。ビールが飲みたくなってきたではないか…。
鹹豬肉
相変わらず小雨が降ったり止んだりではっきりしない天気。
折りたたみ傘は持っていない。持ってくるのを忘れたのだ。
宿に忘れたのではなく、日本から持ってこなかったのである…。
そろそろ宿に戻ることにする。鹹豬肉を食べ歩きながら中山路を戻っていく。
歩けない距離ではないが、やはり市街中心部から駅周辺までは遠い。
明日も午前中は花蓮市内の取材をするつもりでいるが、また市街中心まで歩いて行くのは少々難儀。
まあいいや。なんだかんだで私はまたどうせ歩いて市街中心部へ行くのだろう。
途中、適当にコンビニエンスストアーに入り、台湾ビールを購入して宿に戻り、これを飲み干して就寝。
もう日付が変わろうとしていた。台湾東部の旅。1日目終了である。
台湾ビールを飲んで就寝
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花蓮到着
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2019-02-03
2019年1月3日(木) 午後6時26分 台北駅普悠瑪号普悠瑪号が4Aのホームに入線してきた。指定された席は窓側。車窓からの景色が楽しめるわけだが、もう夜だから暗いばかりである。車内は満席というわけではなく、私の隣の座席には最後まで誰も乗って来なかった。発車するや私は購入した弁当を平らげた。食べ終わると眠くなってきた…。花蓮駅までは台北駅から2時間もかかるわけだが、うとうとしていたせいか時間を感じなかった。弁当と台湾ビール8年ぶりの花連駅である。乗車券を記念に持ち帰るため、改札前で証明となるスタンプを押し、駅員に提示して改札を出る。宿は駅に近いところを予約してあるのだが、場所をいまいち把握していなかった。台湾ではコンビニでwi-fiが繫がるらしいから、それを利用してスマートフォンで確認すればいいだろう。ちなみに台湾のwi-fiは外国人向けの無料サービスがあるようだが、これは事前登録が必要。私は何もしていなかった…。まあ、コンビニでwi-fiに繫がるんだったらそれでいいだろう。花蓮駅到着8年前の花蓮駅(2011年8月20日)駅を出たすぐのところにセブンイレブンがあった。さっそく入店してwi-fiの状況を確認してみる。…。繫がらない…。まあいい。宿のだいたいの場所はわかっているつもりである。その方向に歩き出す。こういうわかったつもりでいるのが良くないのである。程なく不安になった。別のコンビニに入り、再びwi-fiの状況を確認してみる。…。やはり繫がらない…。花蓮駅前私はスマートフォンに表示される漢字と格闘しながら、適当に操作を続けた。すると、操作方法が正しいのかどうかよくわからないが、どういうわけだかwi-fiに繫がった。すぐさまgoogleで宿の場所を確認。コンビニを出た。当然wi-fiも切れる。だが、いったん宿の場所を頭に入れてしまえばこちらのものである。数分で予約していた宿の場所に辿り着いた(コンビニのwi-fiも事前登録が必要とのこと)。宿泊した部屋。回然慢時旅居というところで1泊5000円ちょっとだった宿に辿り着くことばかりを記していたが、花蓮に到着してひとつ驚いたことがあった。駅舎がリニューアルしていたのである。波打った屋根が印象的なモダンな駅舎であった。8年前はもっと素朴な感じの駅舎だった。真っ暗で気づかなかったが、むかしの駅舎はよく見ると新駅舎に向かって左側にひっそり建っていた。新しい駅舎は2018年..
2019台湾東部の旅
りんこう
2019-02-03T21:00:00+09:00
普悠瑪号
普悠瑪号が4Aのホームに入線してきた。
指定された席は窓側。車窓からの景色が楽しめるわけだが、もう夜だから暗いばかりである。
車内は満席というわけではなく、私の隣の座席には最後まで誰も乗って来なかった。
発車するや私は購入した弁当を平らげた。食べ終わると眠くなってきた…。
花蓮駅までは台北駅から2時間もかかるわけだが、うとうとしていたせいか時間を感じなかった。
弁当と台湾ビール
8年ぶりの花連駅である。
乗車券を記念に持ち帰るため、改札前で証明となるスタンプを押し、駅員に提示して改札を出る。
宿は駅に近いところを予約してあるのだが、場所をいまいち把握していなかった。
台湾ではコンビニでwi-fiが繫がるらしいから、それを利用してスマートフォンで確認すればいいだろう。
ちなみに台湾のwi-fiは外国人向けの無料サービスがあるようだが、これは事前登録が必要。
私は何もしていなかった…。まあ、コンビニでwi-fiに繫がるんだったらそれでいいだろう。
花蓮駅到着
8年前の花蓮駅(2011年8月20日)
駅を出たすぐのところにセブンイレブンがあった。
さっそく入店してwi-fiの状況を確認してみる。
…。繫がらない…。
まあいい。宿のだいたいの場所はわかっているつもりである。その方向に歩き出す。
こういうわかったつもりでいるのが良くないのである。程なく不安になった。
別のコンビニに入り、再びwi-fiの状況を確認してみる。
…。やはり繫がらない…。
花蓮駅前
私はスマートフォンに表示される漢字と格闘しながら、適当に操作を続けた。
すると、操作方法が正しいのかどうかよくわからないが、どういうわけだかwi-fiに繫がった。
すぐさまgoogleで宿の場所を確認。コンビニを出た。当然wi-fiも切れる。
だが、いったん宿の場所を頭に入れてしまえばこちらのものである。
数分で予約していた宿の場所に辿り着いた(コンビニのwi-fiも事前登録が必要とのこと)。
宿泊した部屋。回然慢時旅居というところで1泊5000円ちょっとだった
宿に辿り着くことばかりを記していたが、花蓮に到着してひとつ驚いたことがあった。
駅舎がリニューアルしていたのである。
波打った屋根が印象的なモダンな駅舎であった。8年前はもっと素朴な感じの駅舎だった。
真っ暗で気づかなかったが、むかしの駅舎はよく見ると新駅舎に向かって左側にひっそり建っていた。
新しい駅舎は2018年10月から利用開始となったそうで、まだできたてなのであった。
花蓮駅
以前の花蓮駅
さて、宿にチェックインした私。時刻は午後9時過ぎである。
このまま就寝でもよかったけれど、やはり台湾といえば夜市でしょう。
ここ花蓮にも花蓮東大門國際觀光夜市というのがある。ちょっと足を伸してみることにした。
駅周辺から夜市のある辺りまでは2キロほど離れているだろうか…。ぶらぶらと歩いて行った。
後日向かう台東もそうなのだが、花蓮は駅から市街中心部まで距離がある。
これは台湾東海岸の旅の難易度を上げている?要因のひとつであるかもしれない。
なんだこれは
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台湾到着
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2019-01-27
2019年1月3日(木) 午前11時59分 成田空港だいぶ暇な時間を過したが、ようやくフライトが近づいてきた。LCCということもあり、搭乗口からバスで飛行機の近くまで行き、タラップを上って機内へ入る。とても風が強かった。一刻も早く機内に入りたかった…。フライトであるが、LCCであるから、機内食もなければ、機内エンターテインメントもない。まあ、4時間ほどのフライト時間であるから我慢はできる。しかし、入国書類を記入するための筆記具も100円で販売しているのは徹底している。筆記具なんて、入国前のエリアに置いてあってそこで記入できるのに。買う人はいるのだろうか…。JW103便台湾桃園国際空港第1ターミナルにはほぼ定刻に到着。預けていたスーツケースもすぐに出てきた。他の乗客に先駆けて荷物が出てきた優越感に浸りながら、まずは台北駅に移動をする。以前は台湾桃園国際空港から台北駅への移動にバスを利用したけれども、今はMRTができた。この桃園空港と台北駅を結ぶMRT(Mass Rapid Transit)は延期に次ぐ延期でなかなか開業しなかった。それが2017年、ついに開業していたのだった。MRTは15分に1本の割合で運行していて、快速に乗れば約35分で台北駅に到着。これは時間が読めて嬉しい。ということで私はMRTの乗り場へ…。桃園空港到着さて、台湾旅行の際に所持していた方がよい悠遊卡(ヨウヨウカー)というものがある。これはチャージ式のICカードで日本のSuicaやPasmoみたいなカードなのである。私は、以前台湾を旅した際にこの悠遊卡を手に入れていた。しかし、これは最終チャージから2年経つと使用できなくなるもので、もう使用できなくなっている。というわけで、私は再び悠遊卡を手に入れておく必要があった。悠遊卡はどこで売っているのか知らん。とMRTの乗り場に着くと、普通に駅窓口で売っていた。駅員さんも日本語で説明してくれる。カード自体の金額は100元。これに400元をチャージしてもらう。「このカードは20年間使えます」とのことである。どうやら悠遊卡の2年という有効期限のしばりは廃止されたようである。それにしても20年…。私は○○歳になってしまっていますよ…。MRTのホームさっそくこの悠遊卡を利用してMRTの駅構内へ。台北駅までは150元。車内の座席は埋まっていて座れなかった…。扉の脇に立ち、車窓からの景色を眺める。なんだかシャルル・ド..
2019台湾東部の旅
りんこう
2019-01-27T21:00:00+09:00
だいぶ暇な時間を過したが、ようやくフライトが近づいてきた。
LCCということもあり、搭乗口からバスで飛行機の近くまで行き、タラップを上って機内へ入る。
とても風が強かった。一刻も早く機内に入りたかった…。
フライトであるが、LCCであるから、機内食もなければ、機内エンターテインメントもない。
まあ、4時間ほどのフライト時間であるから我慢はできる。
しかし、入国書類を記入するための筆記具も100円で販売しているのは徹底している。
筆記具なんて、入国前のエリアに置いてあってそこで記入できるのに。買う人はいるのだろうか…。
JW103便
台湾桃園国際空港第1ターミナルにはほぼ定刻に到着。預けていたスーツケースもすぐに出てきた。
他の乗客に先駆けて荷物が出てきた優越感に浸りながら、まずは台北駅に移動をする。
以前は台湾桃園国際空港から台北駅への移動にバスを利用したけれども、今はMRTができた。
この桃園空港と台北駅を結ぶMRT(Mass Rapid Transit)は延期に次ぐ延期でなかなか開業しなかった。
それが2017年、ついに開業していたのだった。
MRTは15分に1本の割合で運行していて、快速に乗れば約35分で台北駅に到着。
これは時間が読めて嬉しい。ということで私はMRTの乗り場へ…。
桃園空港到着
さて、台湾旅行の際に所持していた方がよい悠遊卡(ヨウヨウカー)というものがある。
これはチャージ式のICカードで日本のSuicaやPasmoみたいなカードなのである。
私は、以前台湾を旅した際にこの悠遊卡を手に入れていた。
しかし、これは最終チャージから2年経つと使用できなくなるもので、もう使用できなくなっている。
というわけで、私は再び悠遊卡を手に入れておく必要があった。
悠遊卡はどこで売っているのか知らん。とMRTの乗り場に着くと、普通に駅窓口で売っていた。
駅員さんも日本語で説明してくれる。カード自体の金額は100元。これに400元をチャージしてもらう。
「このカードは20年間使えます」とのことである。
どうやら悠遊卡の2年という有効期限のしばりは廃止されたようである。
それにしても20年…。私は○○歳になってしまっていますよ…。
MRTのホーム
さっそくこの悠遊卡を利用してMRTの駅構内へ。台北駅までは150元。
車内の座席は埋まっていて座れなかった…。扉の脇に立ち、車窓からの景色を眺める。
なんだかシャルル・ド・ゴール空港からRERのB線に乗ってパリ中心部に移動する感覚を思い出した。
台北駅到着
台北駅には午後5時半過ぎに到着。地下道をしばらく歩いて駅中央の大きな吹き抜けへ。
これから台北駅から花蓮駅へ列車で移動するわけだが、実は乗車券は既に予約をしている。
渡航前にインターネットで予約をしていた。
予約をしなくても乗車できるのかもしれないが、席をちゃんと確保して安心をしておきたかったのだ。
予約完了の紙を持参し窓口へ向かった。
窓口の職員はまだ若い女性だったが、こちらも日本語で応対してくれて乗車券と引き替えてくれた。
台北駅
花蓮へは台北駅を午後6時30分に出発する普悠瑪号で移動をする。花蓮駅到着は午後8時32分の予定。
計画段階では、この列車で台東まで一気に行ってしまおうかとも考えたが、台東駅到着は午後10時32分。
台東駅は市内中心部から離れていることもあり、これではいかにも時間が遅すぎる。
まあ初日は花蓮までで勘弁してやろうということになったのだった。
腹が減ってきた。車内で弁当を食べようと「臺鐵便當本舗 2號店」で80元の弁当を購入。
あとは台湾ビール。これをコンビニで調達し(35元)、4Aのホームへ向かった。
臺鐵便當本舗
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台湾東海岸の旅
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2019-01-19
2019年1月3日(木) 午前9時13分 成田空港 第3ターミナル時刻表さて、今回の旅であるが、行き先は台湾である。台湾は何度か行ったところであるし、2011年には鉄道で台湾を一周してもいる。ただ、その台湾一周の際、台湾東海岸が駆け足になってしまったことに悔いが残っていた。台湾東海岸は西海岸に比べると、高速鉄道もなく、アクセスしづらいところがある。書店で台湾のガイドブックを見ても、東海岸についての記述が一切なかったりするものがある…。今回はそんな台湾東海岸をのんびりと旅してみようということなのである。この名所を見てみよう!みたいな計画も特にない。朝早くから町歩きをするような気合いもない。眠いときは眠る。食事は屋台で売られているものを適当に食べ歩く。宿の部屋でカップ麺でもいい。そのくらいの意気込みである。宿については、渡航前に予約はしておいたけれども。旅程はざっとこのような感じとなった。のんびりと行っている割には、相変わらず移動ばかりであるのに我ながらあきれてしまう。1月3日(木) 成田 → 台北 → 花蓮1月4日(金) 花蓮 → 台東1月5日(土) 台東 → 宜蘭 → 礁渓温泉1月6日(日) 礁渓温泉 → 平渓線 → 台北1月7日(月) 台北 → 成田成田空港第3ターミナル搭乗したのはバニラエア。JW103便である。バニラエアの利用は初めてである。バニラエアが使用しているターミナルは成田第3ターミナル。これも私は初めてのところであった。JW103便は午後0時40分成田発であるが、私は午前9時過ぎには第3ターミナルに到着してしまった…。今回は所沢駅東口を午前7時に出発する成田空港行きのリムジンバスを利用し空港に向かった。時刻表では午前9時55分に第3ターミナルに到着することになっているが、だいぶ早い到着となった。もっと遅い時間のバスに乗ればいいのではないか?と思われるかもしれない。しかし、この次に所沢を出る成田行のバスでは第3ターミナル到着は午後2時25分。これに乗ってしまっては渡航できずに終了である…。もちろん、無理矢理バスを使うこともない。電車で行けば適当な時間に空港に到着できる。でも、正月休みの怠けきった身に、電車は乗り換えしたりなんだかんだでかったるいのであった…。そんなわけで私は第3ターミナルで時間を持て余した…。早く到着しすぎてしまい、カウンターでも搭乗手続きが始まる様子がない。第3ターミナルには大きな..
2019台湾東部の旅
りんこう
2019-01-20T00:00:00+09:00
時刻表
さて、今回の旅であるが、行き先は台湾である。
台湾は何度か行ったところであるし、2011年には鉄道で台湾を一周してもいる。
ただ、その台湾一周の際、台湾東海岸が駆け足になってしまったことに悔いが残っていた。
台湾東海岸は西海岸に比べると、高速鉄道もなく、アクセスしづらいところがある。
書店で台湾のガイドブックを見ても、東海岸についての記述が一切なかったりするものがある…。
今回はそんな台湾東海岸をのんびりと旅してみようということなのである。
この名所を見てみよう!みたいな計画も特にない。
朝早くから町歩きをするような気合いもない。眠いときは眠る。
食事は屋台で売られているものを適当に食べ歩く。宿の部屋でカップ麺でもいい。
そのくらいの意気込みである。
宿については、渡航前に予約はしておいたけれども。
旅程はざっとこのような感じとなった。
のんびりと行っている割には、相変わらず移動ばかりであるのに我ながらあきれてしまう。
1月3日(木) 成田 → 台北 → 花蓮
1月4日(金) 花蓮 → 台東
1月5日(土) 台東 → 宜蘭 → 礁渓温泉
1月6日(日) 礁渓温泉 → 平渓線 → 台北
1月7日(月) 台北 → 成田
成田空港第3ターミナル
搭乗したのはバニラエア。JW103便である。バニラエアの利用は初めてである。
バニラエアが使用しているターミナルは成田第3ターミナル。これも私は初めてのところであった。
JW103便は午後0時40分成田発であるが、私は午前9時過ぎには第3ターミナルに到着してしまった…。
今回は所沢駅東口を午前7時に出発する成田空港行きのリムジンバスを利用し空港に向かった。
時刻表では午前9時55分に第3ターミナルに到着することになっているが、だいぶ早い到着となった。
もっと遅い時間のバスに乗ればいいのではないか?と思われるかもしれない。
しかし、この次に所沢を出る成田行のバスでは第3ターミナル到着は午後2時25分。
これに乗ってしまっては渡航できずに終了である…。
もちろん、無理矢理バスを使うこともない。電車で行けば適当な時間に空港に到着できる。
でも、正月休みの怠けきった身に、電車は乗り換えしたりなんだかんだでかったるいのであった…。
そんなわけで私は第3ターミナルで時間を持て余した…。
早く到着しすぎてしまい、カウンターでも搭乗手続きが始まる様子がない。
第3ターミナルには大きなフードコートがあったが、何か食べようにもスーツケースがじゃまである。
スーツケースを引きずったまま、フードコートでトレーを持って動くのは至難の業である。
コインロッカーを利用し手ぶらになればいいかもしれないが、そのために銭を徴収されるのが悔しい。
結局、チェックイン開始時刻まで右往左往。フードコートでの食事もお預け。
私は早くも疲れてしまった…。このあたりひとり旅のつらいところである…。
チェックインが開始され、ようやくスーツケースを預けると、私はフードコートでうどんを調達。
席を探すがその頃はお昼近くであり、席はかなり埋まっていた。
ようやく若者の集団の脇にひとつ空席を見つけ、せわしなくうどんを啜ったのであった…。
出国については「顔認証システム」である。
パスポートの顔写真ページを機械が読み取り、実際の顔面と照合。同一人物と判定されればゲートが開く。
昨年11月の「記事を連載する気が失せた旅」でも私は「顔認証システム」を経験済みである。
「顔認証システム」ではパスポートにスタンプを押してもらえない。
審査官にお願いすればスタンプを押してもらえるので、これを押してもらい出国。フライトを待った。
第3ターミナルはLCC専用のターミナルということで、やはりなんだか寂しいところだったなあ…。
ようやく飲んでます
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2019 謹賀新年
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2019-01-07
↑行ってきたところみなさま、新年あけましておめでとうございます。本日帰国しました。また、今年もよろしくお願い申し上げます。
旅
りんこう
2019-01-07T15:00:00+09:00
↑行ってきたところ
みなさま、新年あけましておめでとうございます。
本日帰国しました。また、今年もよろしくお願い申し上げます。
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2018年も終わり
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2018-12-31
2018年12月31日(月) 午前11時00分 自宅↑これはポール・マッカートニーの国技館ライブで最後にステージから放たれた紙テープです!今年もあと何時間かで終わりです。私は11月10日から12日にかけて取材をしてきて、そのことを記事にしようとしていたのですが…。それについては、急激に記事にする気が失せてしまいました(笑)。この旅は我ながらよく考えたものだというスケジュールで…。もう完璧なスケジュールでしたが。何もその旅がつまらなかったわけではありません。きわめて順調な旅でした。ただ記事にする気が失せてしまったのです。まあ、その旅についてもいつか載せることがあるかもしれません…。「記事を連載する気が失せた旅」から1枚。11月12日早朝の富士山。すごい笠雲さて、私は年明け早々に新たな取材に行く予定です。そのことについてはまた記事にして載せていきたいと思っています。というわけで、今年一年ありがとうございました。皆様よいお年をお迎えください!
旅
りんこう
2018-12-31T11:00:00+09:00
↑これはポール・マッカートニーの国技館ライブで最後にステージから放たれた紙テープです!
今年もあと何時間かで終わりです。
私は11月10日から12日にかけて取材をしてきて、そのことを記事にしようとしていたのですが…。
それについては、急激に記事にする気が失せてしまいました(笑)。
この旅は我ながらよく考えたものだというスケジュールで…。もう完璧なスケジュールでしたが。
何もその旅がつまらなかったわけではありません。
きわめて順調な旅でした。ただ記事にする気が失せてしまったのです。
まあ、その旅についてもいつか載せることがあるかもしれません…。
「記事を連載する気が失せた旅」から1枚。11月12日早朝の富士山。すごい笠雲
さて、私は年明け早々に新たな取材に行く予定です。
そのことについてはまた記事にして載せていきたいと思っています。
というわけで、今年一年ありがとうございました。
皆様よいお年をお迎えください!
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2018パリの旅(完)
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2018-11-25
2018年5月6日(日) 午後4時25分 パリ シャンゼリゼ大通りエトワール凱旋門「2018パリの旅」の連載も今回で終わりである。もう特に変わったこともない…。最後にエトワール凱旋門を一目見ようとメトロに乗ってCharles de Gaulle-Étoile駅にやって来た。地上に出ると、エトワール凱旋門を真横から見る位置であった。そこからいくつか道路を渡り、シャンゼリゼ大通りへ向かうと、そこには人だかりが。警察が待機している。シャンゼリゼ大通りに入るには荷物検査をする必要があるようだ。思えば、私が最後にパリを訪れたのは2015年の1月のことだった(2014~2015の年越しをパリでした)。その2015年に同時多発テロが起き、今回はその事件の後初めて訪れるパリなのであった。シャンゼリゼ大通りは歩行者天国だった荷物検査を受け、シャンゼリゼ大通りへ入ると、そこは歩行者天国であった。歩行者天国ということで荷物検査をする必要があったようである。今日は第一日曜日。第一日曜日、シャンゼリゼ大通りは歩行者天国となるらしい。知らなかった。なんだか得をした気分。堂々とシャンゼリゼのど真ん中を歩いて行く。パフォーマーがあちらこちらにいて、ダンスをしていたりギターで弾き語りをしていたりする。その光景を見ながら、のんびりとコンコルド広場の方へ約2キロ歩いて行く。ストリート・ミュージシャン歩きながら、私は2015年の年が明けた直後、真夜中にシャンゼリゼ大通りに来たことを思い出した。珍妙な水平の格好をしたスタッフがいる店でビール(50cl)を飲んで20ユーロもしたことも思い出した。あの時も歩行者天国であったけれど、あの狂騒に比べれば今日は実に爽やかで心地よい。次第に遠ざかるエトワール凱旋門…。コンコルド広場に立つ大観覧車が近づいてくる。残念だけれど今回の旅ももうすぐ終わりである。ルイ・ヴィトン本店老舗カフェ「Le Fouquet's」以前ビールが20ユーロもした店…コンコルド広場に着くと、メトロに乗って、ホテルの最寄り駅に移動。今朝預けていたスーツケースを受け取り、Châtelet-Les Halles駅からシャルル・ド・ゴール空港へ。本当にもう変わったこともない。今回の旅も終わりである。出発前は公共交通機関のストライキに怯えていたが、終わってみればとても順調な取材であった。コンコルド広場へ大観覧車(確か、景観上の理由で最近撤去されたと聞いた..
2018パリの旅
りんこう
2018-11-25T21:00:00+09:00
エトワール凱旋門
「2018パリの旅」の連載も今回で終わりである。もう特に変わったこともない…。
最後にエトワール凱旋門を一目見ようとメトロに乗ってCharles de Gaulle-Étoile駅にやって来た。
地上に出ると、エトワール凱旋門を真横から見る位置であった。
そこからいくつか道路を渡り、シャンゼリゼ大通りへ向かうと、そこには人だかりが。
警察が待機している。シャンゼリゼ大通りに入るには荷物検査をする必要があるようだ。
思えば、私が最後にパリを訪れたのは2015年の1月のことだった(2014~2015の年越しをパリでした)。
その2015年に同時多発テロが起き、今回はその事件の後初めて訪れるパリなのであった。
シャンゼリゼ大通りは歩行者天国だった
荷物検査を受け、シャンゼリゼ大通りへ入ると、そこは歩行者天国であった。
歩行者天国ということで荷物検査をする必要があったようである。
今日は第一日曜日。第一日曜日、シャンゼリゼ大通りは歩行者天国となるらしい。
知らなかった。なんだか得をした気分。堂々とシャンゼリゼのど真ん中を歩いて行く。
パフォーマーがあちらこちらにいて、ダンスをしていたりギターで弾き語りをしていたりする。
その光景を見ながら、のんびりとコンコルド広場の方へ約2キロ歩いて行く。
ストリート・ミュージシャン
歩きながら、私は2015年の年が明けた直後、真夜中にシャンゼリゼ大通りに来たことを思い出した。
珍妙な水平の格好をしたスタッフがいる店でビール(50cl)を飲んで20ユーロもしたことも思い出した。
あの時も歩行者天国であったけれど、あの狂騒に比べれば今日は実に爽やかで心地よい。
次第に遠ざかるエトワール凱旋門…。コンコルド広場に立つ大観覧車が近づいてくる。
残念だけれど今回の旅ももうすぐ終わりである。
ルイ・ヴィトン本店
老舗カフェ「Le Fouquet's」
以前ビールが20ユーロもした店…
コンコルド広場に着くと、メトロに乗って、ホテルの最寄り駅に移動。
今朝預けていたスーツケースを受け取り、Châtelet-Les Halles駅からシャルル・ド・ゴール空港へ。
本当にもう変わったこともない。今回の旅も終わりである。
出発前は公共交通機関のストライキに怯えていたが、終わってみればとても順調な取材であった。
コンコルド広場へ
大観覧車(確か、景観上の理由で最近撤去されたと聞いた)
当初掲げていたパリ取材の目的4つも見事すべて達成をすることが出来た。
①美術館で名作を堪能する
②何か映画を観る
③墓参をする
④カエルを捕獲する
やはりパリは魅力的な街である。
また訪れることが出来る機会があれば、新たな目的を設けもっとこの街を楽しんでみたい。
きっとパリは私の期待に応えてくれるであろう。
シャルル・ド・ゴール空港
ソウル経由で成田空港に到着
さて先日、私は新たな旅をしてきました。
今までとは少々毛色の違う取材なので、これはいろいろと波紋を呼ぶかもしれません(笑)。
まあ、こちらものんびりと連載していきたいと思っておりますよ…。
先日の旅から一枚
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2018パリの旅も大詰め
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2018-11-17
2018年5月6日(日) 午後1時47分 パリ Filmotheque du Quartier Latin置いてあったチラシようやく映画のチケットを入手できた私は、上映室に入る前に狭いロビーをあらためて見回した。見たことのある顔がいるなと思ったら、この映画館を創設したJean-Max Causse氏だった。以前、何かのテレビ番組で紹介されていたのを見たのですぐにわかった。椅子に腰かけるJean-Max氏の近くには、この映画館オリジナルの映画チラシが置かれていた。映画チラシ収集が趣味の私は、これを折れないように日本に持ち帰りましたよ…。上映室は地下。階段の上には「スター誕生」のジュディ・ガーランドの写真がさて、この映画館は2つの上映室からなる。1つは赤を基調とした「マリリン」。もう1つが青を基調とした「オードリー」である。私がこれから鑑賞する「近松物語」は「オードリー」での上映であった。さっそく入室し、適当な椅子に腰掛ける。全60席のとても小さい上映室だが、真っ青な壁、花をモチーフとした照明、オードリーの肖像画。観客は私以外はみんなフランス人だっただろうか。熱心な映画ファンたちである。私は特別な空間にいることを実感し、わくわくしながら上映を待った。上映室「オードリー」実は私。溝口健二監督の作品は「雨月物語」くらいしか観たことがない。日本語の音声で、フランス語字幕が出るという上映であるから問題はないであろう。やがて、拍子木と太鼓が鳴り、大映のマークがスクリーンにでかでかと現れた。だが、物語が始まるやいなや私はまずいと思った。何を言っているのか聞き取りにくいのである…。セリフが昔の言葉であるし、60年以上前の作品であるから音声の悪さは仕方がないのかもしれないが…。向こうの人は、映画を観ておかしなシーンでは大声を上げて笑うことがある。だが、この映画は悲しい恋の物語であるから、映画館内も基本的に静かである。それでも、茂兵衛、おさん、助右衛門の3人が鉢合わせになるシーンでは笑いが漏れた。私は以春を演じる進藤英太郎の演技がとにかくいやらしいのでそれがおかしかった。ストーリーはだいたい把握できたが、やはり事前にあらすじを頭に入れておくべきだったかな…。上映を待つ人々上映が終わると、時刻はそろそろ午後4時になろうとしている。映画館の外には、次の回のチケットを求める人の列ができていた。もうそろそろ今回の旅も終わりであるのだが、最後に..
2018パリの旅
りんこう
2018-11-17T22:00:00+09:00
置いてあったチラシ
ようやく映画のチケットを入手できた私は、上映室に入る前に狭いロビーをあらためて見回した。
見たことのある顔がいるなと思ったら、この映画館を創設したJean-Max Causse氏だった。
以前、何かのテレビ番組で紹介されていたのを見たのですぐにわかった。
椅子に腰かけるJean-Max氏の近くには、この映画館オリジナルの映画チラシが置かれていた。
映画チラシ収集が趣味の私は、これを折れないように日本に持ち帰りましたよ…。
上映室は地下。階段の上には「スター誕生」のジュディ・ガーランドの写真が
さて、この映画館は2つの上映室からなる。
1つは赤を基調とした「マリリン」。もう1つが青を基調とした「オードリー」である。
私がこれから鑑賞する「近松物語」は「オードリー」での上映であった。
さっそく入室し、適当な椅子に腰掛ける。
全60席のとても小さい上映室だが、真っ青な壁、花をモチーフとした照明、オードリーの肖像画。
観客は私以外はみんなフランス人だっただろうか。熱心な映画ファンたちである。
私は特別な空間にいることを実感し、わくわくしながら上映を待った。
上映室「オードリー」
実は私。溝口健二監督の作品は「雨月物語」くらいしか観たことがない。
日本語の音声で、フランス語字幕が出るという上映であるから問題はないであろう。
やがて、拍子木と太鼓が鳴り、大映のマークがスクリーンにでかでかと現れた。
だが、物語が始まるやいなや私はまずいと思った。何を言っているのか聞き取りにくいのである…。
セリフが昔の言葉であるし、60年以上前の作品であるから音声の悪さは仕方がないのかもしれないが…。
向こうの人は、映画を観ておかしなシーンでは大声を上げて笑うことがある。
だが、この映画は悲しい恋の物語であるから、映画館内も基本的に静かである。
それでも、茂兵衛、おさん、助右衛門の3人が鉢合わせになるシーンでは笑いが漏れた。
私は以春を演じる進藤英太郎の演技がとにかくいやらしいのでそれがおかしかった。
ストーリーはだいたい把握できたが、やはり事前にあらすじを頭に入れておくべきだったかな…。
上映を待つ人々
上映が終わると、時刻はそろそろ午後4時になろうとしている。
映画館の外には、次の回のチケットを求める人の列ができていた。
もうそろそろ今回の旅も終わりであるのだが、最後にどこへ行こうか?
今回は映画を3本観て、ジャンヌ・モローのお墓参りもした。
映画というテーマで最後も締めるのであれば、巨大映画館"Le Grand Rex"へ行ってみようかと考えた。
Le Grand Rex(2014年撮影)
"Le Grand Rex"は1932年に開館した巨大映画館で、座席は2700席もあるらしい。
当時全盛だったアール・デコ調の建造物で、何年か前、その建物の前は通ったことがある。
とはいえ、さすがに今から"Le Grand Rex"で映画を観る時間はない。
しかし、"Le Grand Rex"では舞台裏ツアーというのを5分おきに開催しているらしい。
それならばどうだろうか?ツアーの所要時間は約50分との情報を得ていた。
帰国の便が出るのが午後9時。その2時間前に空港に着いているとして…。
逆算していったところ、このツアー参加もなんだか慌ただしくなってしまいそうであった…。
凱旋門へ
結局、"Le Grand Rex"訪問は諦め、メトロに乗ってCharles de Gaulle-Étoile駅に行くことにした。
今回の旅ではまだエトワール凱旋門を目にしていない。
帰国前にやはり一度拝んでおこうということである。
Charles de Gaulle-Étoile駅から地上に出るエスカレーター。
そのエスカレーターに乗り、次第に姿を現すエトワール凱旋門。あれがいいのである。
と、Charles de Gaulle-Étoile駅に着いたところ、工事中。
凱旋門から少々離れた出口から地上に出るハメとなってしまった…。
工事中
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FRESHEN UP Japan tour 2018
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2018-11-07
2018年11月5日(月) 午後7時30分頃 両国国技館ここのところ、順調に毎週土曜日に記事を更新できていたんですが。ちょっと次の土曜は取材に出る予定でして、更新できそうにありません…。予めお断り申し上げます…。私の近況としては、ポール・マッカートニーのライヴに行ってきました!このことについては今のパリ取材の記事が終わったら、記事にしたいと考えております!ポール!今年も来日してくれてありがとう!また来年も来日してください!よろしくお願い申し上げる次第であります!どすこい!
音楽
りんこう
2018-11-07T23:00:00+09:00
ここのところ、順調に毎週土曜日に記事を更新できていたんですが。
ちょっと次の土曜は取材に出る予定でして、更新できそうにありません…。
予めお断り申し上げます…。
私の近況としては、ポール・マッカートニーのライヴに行ってきました!
このことについては今のパリ取材の記事が終わったら、記事にしたいと考えております!
ポール!今年も来日してくれてありがとう!また来年も来日してください!
よろしくお願い申し上げる次第であります!どすこい!
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パリで映画を観る(3本目)
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2018-11-03
2018年5月6日(日) 午後0時50分 パリ カルチェラタンカルチェラタンにある名画座のひとつ Le Champoカエルを捕獲できた私は昼食をとることにした。前回の記事にも載せたとおり、食べ物の出店がたくさんあるので、このうちの何かを…。と歩いていたら、エスカルゴを売っていた。ちょっと食べてみるか。12個で10ユーロだったろうか。オーブンで温めて出してくれる。売っていたおじさんはアルメニアからの移民ということであった。そういえば先日亡くなった歌手シャルル・アズナヴールもアルメニア系であった。今日のお昼近くで生ビールを調達してきて、クリュニー中世美術館に面した公園でこれを食す。生ビール購入時のことだが、お釣りのコインがないとのことで、紙幣は受け付けてくれなかった。私は財布の小銭をかき集めて、何とか生ビールを手に入れることができた。もう既にコップに注がれた後であったので、これには少々焦った。財布にはミッテラン元大統領の肖像が使われていた2ユーロのコインがあったのだが、これも放出である。ミッテランの2ユーロコインは初めて見たので、わざと使わないで持ち帰ろうとしていたのだが…。ソルボンヌ大学さて、これからこの取材3本目の映画鑑賞である。私が向かったのは"Filmothèque du Quartier Latin"という映画館である。今回鑑賞するのは溝口健二監督の「近松物語」(1954年)。というわけで日本映画である。この映画館で日本映画が何本か上映されていることは渡航前からチェックしていた。鈴木清順監督特集として「東京流れ者」(1966年)や「殺しの烙印」(1967年)なども上映していた。まあ、ちょうど時間が合いそうだったのが「近松物語」なのであった。Filmothèque du Quartier Latinさて、映画を観るためには当然チケットを買わねばならない…。私はまだ若そうな女性のスタッフに「チケットください」と言った。時間は「近松物語」の上映直前であった。だから、そう言えば「近松物語」のチケットを売ってくれると思ったのだが、そうは甘くなかった。「どの映画ですか?」と私は聞き返されてしまったのだった…。……。「近松物語」ってフランス語で何というのだろうか…。わからない…。「チカマツ」と言えばわかってもらえるものなのだろうか?わからない…。わからないので、私は「ミゾグチ」と監督の名を口にした。するとすぐにわかってく..
2018パリの旅
りんこう
2018-11-03T18:00:00+09:00
カルチェラタンにある名画座のひとつ Le Champo
カエルを捕獲できた私は昼食をとることにした。
前回の記事にも載せたとおり、食べ物の出店がたくさんあるので、このうちの何かを…。
と歩いていたら、エスカルゴを売っていた。ちょっと食べてみるか。
12個で10ユーロだったろうか。オーブンで温めて出してくれる。
売っていたおじさんはアルメニアからの移民ということであった。
そういえば先日亡くなった歌手シャルル・アズナヴールもアルメニア系であった。
今日のお昼
近くで生ビールを調達してきて、クリュニー中世美術館に面した公園でこれを食す。
生ビール購入時のことだが、お釣りのコインがないとのことで、紙幣は受け付けてくれなかった。
私は財布の小銭をかき集めて、何とか生ビールを手に入れることができた。
もう既にコップに注がれた後であったので、これには少々焦った。
財布にはミッテラン元大統領の肖像が使われていた2ユーロのコインがあったのだが、これも放出である。
ミッテランの2ユーロコインは初めて見たので、わざと使わないで持ち帰ろうとしていたのだが…。
ソルボンヌ大学
さて、これからこの取材3本目の映画鑑賞である。
私が向かったのは"Filmothèque du Quartier Latin"という映画館である。
今回鑑賞するのは溝口健二監督の「近松物語」(1954年)。というわけで日本映画である。
この映画館で日本映画が何本か上映されていることは渡航前からチェックしていた。
鈴木清順監督特集として「東京流れ者」(1966年)や「殺しの烙印」(1967年)なども上映していた。
まあ、ちょうど時間が合いそうだったのが「近松物語」なのであった。
Filmothèque du Quartier Latin
さて、映画を観るためには当然チケットを買わねばならない…。
私はまだ若そうな女性のスタッフに「チケットください」と言った。
時間は「近松物語」の上映直前であった。
だから、そう言えば「近松物語」のチケットを売ってくれると思ったのだが、そうは甘くなかった。
「どの映画ですか?」と私は聞き返されてしまったのだった…。
……。「近松物語」ってフランス語で何というのだろうか…。わからない…。
「チカマツ」と言えばわかってもらえるものなのだろうか?わからない…。
わからないので、私は「ミゾグチ」と監督の名を口にした。
するとすぐにわかってくれた。
うわあ。海外で監督の名だけを口にしてチケット購入だなんて、なんかかっこよくね?
いや、それしかわからなかっただけですから…(フランス語題は" Les Amants Crucifiés"とのこと)。
上映作品。「シャレード」(1963年)、ウェス・アンダーソン特集、ステファーヌ・オードラン特集など
だが、これですぐにチケットを手に入れられたわけではない。
続いて「割引料金での鑑賞ですか?」という質問が来たのである。
いやいや、私はただの旅行者…。きっと割引は適用されないであろう。
私は記憶の片隅から「通常料金」という語に相当するフランス語を引き寄せる…。
確か"Plein Tarifs"…。「プ、プラン・タリフ」と伝えると通常料金での鑑賞だとわかってくれた。
通常料金は9ユーロ。
私は20ユーロ紙幣を差し出したが、今度は9ユーロちょうどはないのか?と尋ねられた。
先ほど述べたように、コインは生ビール購入時に大放出してしまった。
5ユーロ紙幣も10ユーロ紙幣もなかった。
もう私がここで出せるのは20ユーロ紙幣だけなのである(カードでの支払いも確か不可)。
やがてスタッフは、仕方ないわねといった風に11ユーロのお釣りとチケットを私にくれた…。
チケット買うのも一苦労。チケット購入までで今回の記事は終わりである…。
ようやく手に入れたチケット
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ついにカエル捕獲!
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2018-10-27
2018年5月6日(日) 午後0時01分 パリ サン=ミッシェル駅メトロに乗って移動…クリニャンクールでカエルを見つけることが出来なかった私…。メトロに乗ってカルチェラタンへと移動をした。この辺りには名画座がいくつかあり、その内のひとつでこの旅3本目の映画を観るためである。もう帰国の時まであまり時間はないけれど、カエルの捕獲についてはどうでもいいのか?いや。どうでもよくない。映画を観る前にカエルを捕獲するつもりでいる。実はこの界隈で蚤の市があるとの情報を事前に得ていたので、これをあてにしていたのである。カルチェラタン界隈。食べ物の出店が並ぶ地下鉄駅構内から地上に出てくると、確かにいろいろ出店があった。日曜日ということもあり、ちょっとしたお祭りのような雰囲気である。これらは食べ物を売っている店が主で、パンやら菓子類やらチーズやらを売っていた。それらの店を見ながら通りを歩いていると、次第に蚤の市の光景が見えてきた。とてもいい感じである。私がイメージする蚤の市の光景そのままであった。次第に蚤の市の風景へよくガイドブックには「パリ三大蚤の市」みたいなことが載っていたりする。「クリニャンクール」、「ヴァンヴ」、「モントルイユ」がその「パリ三大蚤の市」である。しかし、パリにはこの3つしか蚤の市がない!ということではないのである。当たり前である。「パリ三大蚤の市」以外にも、パリでは毎週どこかで蚤の市が開催されている。今週はこのカルチェラタン界隈で開催されていたというわけだ。こういう蚤の市について、"vide-greniers"という呼びかたをよくするらしい。"vide"は「空の(からの)」という形容詞、"greniers"は「屋根裏部屋」という名詞である。ということは、「屋根裏部屋を空にするべく不要なモノを売りますよ」というようなニュアンスか。いいじゃないか。パリの屋根裏部屋で生息していたカエルがひょっこり現れそうな気配大である。業者ではなく一般の人が店を出している感じもして(実際はわからないが)、なかなか興味深い。楽しすぎる!私が目星をつけていた映画の上映時間まではまだ時間があったので、それまではカエル探しである。出店の数も多く、ひとつひとつのお店を丹念に見ていったら、絶対おもしろいモノが見つかるだろう。ここにいればいくらでも時間がつぶせそうであった。そして、私はついにカエルと出会ったのである。カエルがいる!(店主の方。画像..
2018パリの旅
りんこう
2018-10-27T23:00:00+09:00
メトロに乗って移動…
クリニャンクールでカエルを見つけることが出来なかった私…。
メトロに乗ってカルチェラタンへと移動をした。
この辺りには名画座がいくつかあり、その内のひとつでこの旅3本目の映画を観るためである。
もう帰国の時まであまり時間はないけれど、カエルの捕獲についてはどうでもいいのか?
いや。どうでもよくない。映画を観る前にカエルを捕獲するつもりでいる。
実はこの界隈で蚤の市があるとの情報を事前に得ていたので、これをあてにしていたのである。
カルチェラタン界隈。食べ物の出店が並ぶ
地下鉄駅構内から地上に出てくると、確かにいろいろ出店があった。
日曜日ということもあり、ちょっとしたお祭りのような雰囲気である。
これらは食べ物を売っている店が主で、パンやら菓子類やらチーズやらを売っていた。
それらの店を見ながら通りを歩いていると、次第に蚤の市の光景が見えてきた。
とてもいい感じである。私がイメージする蚤の市の光景そのままであった。
次第に蚤の市の風景へ
よくガイドブックには「パリ三大蚤の市」みたいなことが載っていたりする。
「クリニャンクール」、「ヴァンヴ」、「モントルイユ」がその「パリ三大蚤の市」である。
しかし、パリにはこの3つしか蚤の市がない!ということではないのである。当たり前である。
「パリ三大蚤の市」以外にも、パリでは毎週どこかで蚤の市が開催されている。
今週はこのカルチェラタン界隈で開催されていたというわけだ。
こういう蚤の市について、"vide-greniers"という呼びかたをよくするらしい。
"vide"は「空の(からの)」という形容詞、"greniers"は「屋根裏部屋」という名詞である。
ということは、「屋根裏部屋を空にするべく不要なモノを売りますよ」というようなニュアンスか。
いいじゃないか。パリの屋根裏部屋で生息していたカエルがひょっこり現れそうな気配大である。
業者ではなく一般の人が店を出している感じもして(実際はわからないが)、なかなか興味深い。
楽しすぎる!
私が目星をつけていた映画の上映時間まではまだ時間があったので、それまではカエル探しである。
出店の数も多く、ひとつひとつのお店を丹念に見ていったら、絶対おもしろいモノが見つかるだろう。
ここにいればいくらでも時間がつぶせそうであった。
そして、私はついにカエルと出会ったのである。
カエルがいる!(店主の方。画像NGでしたら削除します…)
そのカエルは、正直かわいいとは言えなかった。全身が不気味な青で、造形もきわめて稚拙である。
しかし、造形がいくら稚拙でも、カエルであることははっきりとわかる。
これはカエルという生物の偉大なところのひとつであると私は思う。
稚拙なカエルだが、いかんせんもう時間がない。私はこのカエルを捕獲することに決めた。
真ん中にいるのは…(店主の方。画像NGでしたら削除します…)
店主のおっさんにカエルに触ってもいいかどうか確認をし、全身を隈無くチェック。
特にキズもない。値段を訊けば15ユーロだという。2000円弱である。それは高いだろう。
まけてくれとお願いしたら12ユーロになった。1500円ちょっとか。まだ高い。
すると、店主の知り合いと思われるマダムが偶然通りかかった。
このカエルを目にし、「いいカエルだわ。12ユーロなら買いね」みたいなことを真顔で言っている。
え?と思いながら、買い物下手の私はそれ以上値段交渉をすることもなくカエル捕獲…。
こうして、パリの屋根裏部屋で眠っていたかもしれないカエルは、今、私の部屋にいるのである…。
パリで捕獲したカエル
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クリニャンクールの蚤の市
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2018-10-20
2018年5月6日(日) 午前8時43分 パリ シャトレ駅ホテルをチェックアウト。スーツケースをフロントに預け行動開始日付が変わって、帰国の日となった。帰国は行きと同様ソウル経由で、そのソウル行のKE902便が出るのが午後9時である。というわけで、今日の日中はまだパリを楽しめるわけであるが、私にはやり残していたことがあった。今回のパリ取材の目的4つをここで再掲すると…。①美術館で名作を堪能する②何か映画を観る③墓参をする④カエルを捕獲するこの内、「④カエルを捕獲する」については、まだ達成していないのであった…。今日の日中はまるまるパリで滞在できるといえども、帰国便が出る時間は刻一刻と迫っている…。そんなわけで、この目的を達成するべく私はクリニャンクールの蚤の市へ向かったのである。はたして、クリニャンクールに手頃なカエルは生息しているであろうか?パリの北の端、クリニャンクールへクリニャンクールの蚤の市は過去何回か訪れたことがあった。そのときは古い紙類や古写真を購入したのであるが、全体的に敷居が高いような印象を受けた。「蚤の市」というより「高級アンティーク街」という感じが私にはしたのである。クリニャンクールはとても広いらしいから、その内の高級エリアを訪れてしまったのであろうか?とにかく、今回も懲りずにそのクリニャンクールに掘り出し物(カエル)を見つけるべくやって来た。開いてない…しかし…。お店が開いていないのである…。蚤の市で掘り出し物(カエル)を見つけるためには、朝早く行かねばならない。そんな風に思い込んでいたから、シャッターが降りたお店を見て、まったく当てが外れた感じであった。午前9時をとうに回っているが、店主たちはのんびりと開店準備を始めている。時間をもてあまし、シャッター通りの中をうろうろと歩き回る私。これはなんとなく違う気がする…。開いてない…「蚤の市」はビニールシートを広げてガラクタを売っているようなイメージが私にはある。だから、こうお店が並んでいるところというのは、私の中の「蚤の市」のイメージと違うのである。昨日訪れたヴァンヴ蚤の市はクリニャンクールと比べると庶民的であるとよく言われるが…。しかし、そのヴァンヴ蚤の市でカエルを捕獲できなかったのであるから…。開きだしたやがて開きだしたクリニャンクールのお店たち。あるお店でガラスで出来たカエルの置物を見つけた。店主に断って触らせてもらったが、値段を訊いたと..
2018パリの旅
りんこう
2018-10-20T18:00:00+09:00
ホテルをチェックアウト。スーツケースをフロントに預け行動開始
日付が変わって、帰国の日となった。
帰国は行きと同様ソウル経由で、そのソウル行のKE902便が出るのが午後9時である。
というわけで、今日の日中はまだパリを楽しめるわけであるが、私にはやり残していたことがあった。
今回のパリ取材の目的4つをここで再掲すると…。
①美術館で名作を堪能する
②何か映画を観る
③墓参をする
④カエルを捕獲する
この内、「④カエルを捕獲する」については、まだ達成していないのであった…。
今日の日中はまるまるパリで滞在できるといえども、帰国便が出る時間は刻一刻と迫っている…。
そんなわけで、この目的を達成するべく私はクリニャンクールの蚤の市へ向かったのである。
はたして、クリニャンクールに手頃なカエルは生息しているであろうか?
パリの北の端、クリニャンクールへ
クリニャンクールの蚤の市は過去何回か訪れたことがあった。
そのときは古い紙類や古写真を購入したのであるが、全体的に敷居が高いような印象を受けた。
「蚤の市」というより「高級アンティーク街」という感じが私にはしたのである。
クリニャンクールはとても広いらしいから、その内の高級エリアを訪れてしまったのであろうか?
とにかく、今回も懲りずにそのクリニャンクールに掘り出し物(カエル)を見つけるべくやって来た。
開いてない…
しかし…。お店が開いていないのである…。
蚤の市で掘り出し物(カエル)を見つけるためには、朝早く行かねばならない。
そんな風に思い込んでいたから、シャッターが降りたお店を見て、まったく当てが外れた感じであった。
午前9時をとうに回っているが、店主たちはのんびりと開店準備を始めている。
時間をもてあまし、シャッター通りの中をうろうろと歩き回る私。
これはなんとなく違う気がする…。
開いてない…
「蚤の市」はビニールシートを広げてガラクタを売っているようなイメージが私にはある。
だから、こうお店が並んでいるところというのは、私の中の「蚤の市」のイメージと違うのである。
昨日訪れたヴァンヴ蚤の市はクリニャンクールと比べると庶民的であるとよく言われるが…。
しかし、そのヴァンヴ蚤の市でカエルを捕獲できなかったのであるから…。
開きだした
やがて開きだしたクリニャンクールのお店たち。
あるお店でガラスで出来たカエルの置物を見つけた。
店主に断って触らせてもらったが、値段を訊いたところ、ウン万円とのことだった…。
私は慌てて退散した。そのカエルはラリック(但しまだ新しめ)であった。
「よそではこんな安く買えないよ」とか言っていたが…。
Marche Dauphine
結局、私はクリニャンクールでもカエルを捕獲することは出来なかった。
気がつけばもうお昼近くになっている。
何も買わないのは悔しいので、Marche Dauphineという区画でPathé Babyのフィルムを購入した。
これはパテ社が1920年代に開発した9.5mmフィルムである。5ユーロであった。
こんなモノを購入しても自宅で映写できたりするわけがないのだが…。
まあ、昨日パテ・ジェローム・セドゥ財団で映画を観たことだし、記念として。
そういえば、パテ・ジェローム・セドゥ財団2階の展示スペースにもPathé Babyが展示されていた。
そんなことはどうでもいい。私はパリでカエルを捕獲できるのであろうか…。
クリニャンクールで買ったPathé Baby(パテベビー)のフィルム
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パリ3日目の夜
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2018-10-13
2018年5月5日(土) 午後6時17分 パリ ポンヌフ駅ポンヌフ駅イタリア広場から、いったんホテルに戻るべく、地下鉄4号線に乗ってポンヌフ駅へ向かった。ポンヌフ駅に着くと、せっかくだからノートルダム寺院に行ってみようと思い、シテ島へ。ノートルダム寺院の前は、さすがにパリの代表的観光地だけあって人がいっぱい。寺院前の広場で"La Fête du Pain Paris"なるイベントが開催されていたからなおさらである。寺院の中に入ることも考えたが、もの凄い行列であり、今回は諦めた。アルコル橋を渡り、シテ島を後にし、パリ市庁舎の辺りから歩いてホテルに戻る。ポンヌフからの眺め(左)ノートルダム大聖堂(右)パン祭りの幟ちょっとホテルで休憩した後、夕食を食べるため、また地下鉄4号線に乗ってオデオン駅で降りた。サン=ジェルマン大通りに降り立った私は、4年前の記憶を頼りに、あるビストロを目指すことにした。"Aux Charpentiers"というところである。4年前。開店前の時間であったが、親切なスタッフのおかげで食事をすることが出来たところである。"Aux Charpentiers"は、確かサン=ジェルマンの市場に面していたはずである。しかし、どこを歩いても"Aux Charpentiers"というビストロは見つからなかった…。4年前、確かこの映画館で「そして父になる」を観た私は不思議な気分だった。あの4年前はまぼろしだったのだろうか?私はサン=ジェルマン市場の周囲を2周ほど歩いてしまった。どう考えても、"Aux Charpentiers"があったところに、今は違うレストランが営業をしている。そこで食事をしようかとも考えたが、店内はもの凄い人で、ひとりではなんとも入りづらい…。私は頭の中が「?」でいっぱいになりながら、サン=ジェルマン市場を後にした。2002年 Le Chansonnierさて、どうしようか?食事が出来るところならいっぱいあるけれど、どうもひとりで入るのが躊躇われるところばかり。それは、ここがサン=ジェルマン地区であるからなのかもしれない。スーパーで何か買って、部屋で食べることも考えたけれど、それでは昨日と一緒になってしまう。昨日はオペラ大通り沿いのスーパー「モノプリ」で寿司を購入し、ホテルの部屋で食べたのだった。それに、明日の夜には帰国の途に着かねばならない。最後くらいはちゃんと食事をしたい気持ちがある。20..
2018パリの旅
りんこう
2018-10-13T18:00:00+09:00
ポンヌフ駅
イタリア広場から、いったんホテルに戻るべく、地下鉄4号線に乗ってポンヌフ駅へ向かった。
ポンヌフ駅に着くと、せっかくだからノートルダム寺院に行ってみようと思い、シテ島へ。
ノートルダム寺院の前は、さすがにパリの代表的観光地だけあって人がいっぱい。
寺院前の広場で"La Fête du Pain Paris"なるイベントが開催されていたからなおさらである。
寺院の中に入ることも考えたが、もの凄い行列であり、今回は諦めた。
アルコル橋を渡り、シテ島を後にし、パリ市庁舎の辺りから歩いてホテルに戻る。
ポンヌフからの眺め
(左)ノートルダム大聖堂
(右)パン祭りの幟
ちょっとホテルで休憩した後、夕食を食べるため、また地下鉄4号線に乗ってオデオン駅で降りた。
サン=ジェルマン大通りに降り立った私は、4年前の記憶を頼りに、あるビストロを目指すことにした。
"Aux Charpentiers"というところである。
4年前。開店前の時間であったが、親切なスタッフのおかげで食事をすることが出来たところである。
"Aux Charpentiers"は、確かサン=ジェルマンの市場に面していたはずである。
しかし、どこを歩いても"Aux Charpentiers"というビストロは見つからなかった…。
4年前、確かこの映画館で「そして父になる」を観た
私は不思議な気分だった。
あの4年前はまぼろしだったのだろうか?
私はサン=ジェルマン市場の周囲を2周ほど歩いてしまった。
どう考えても、"Aux Charpentiers"があったところに、今は違うレストランが営業をしている。
そこで食事をしようかとも考えたが、店内はもの凄い人で、ひとりではなんとも入りづらい…。
私は頭の中が「?」でいっぱいになりながら、サン=ジェルマン市場を後にした。
2002年 Le Chansonnier
さて、どうしようか?
食事が出来るところならいっぱいあるけれど、どうもひとりで入るのが躊躇われるところばかり。
それは、ここがサン=ジェルマン地区であるからなのかもしれない。
スーパーで何か買って、部屋で食べることも考えたけれど、それでは昨日と一緒になってしまう。
昨日はオペラ大通り沿いのスーパー「モノプリ」で寿司を購入し、ホテルの部屋で食べたのだった。
それに、明日の夜には帰国の途に着かねばならない。
最後くらいはちゃんと食事をしたい気持ちがある。
2014年 Le Chansonnier
と、ここで思い出されたのが"Le Chansonnier"というビストロである。
2002年の3月。初めてのひとり旅でパリを訪れた際にこのビストロを訪ねたのだった。
多分、ガイドブックに載っていたのでそれで訪れたのだろう。
そのパリ初訪問の14年後。ここで再び食事をしたことは、このブログでも過去に記事にした。
その記事では1902年創業としているが、今、お店のサイトを確認したところ1918年創業であるらしい…。
ということは、今年で100周年。まあ、いずれにしても老舗である。
2018年 Le Chansonnier
私はまたしても"Le Chansonnier"で食事をしようと思いたった。
過去2回食事をしたということで、安心感があるのである。
確かパリ東駅から歩いて行ったはずなので、急遽パリ東駅にメトロで移動。
パリ東駅に着いてみると、界隈はサン=ジェルマン地区に比べるとだいぶ閑散としている。
記憶を頼りに歩いて行くと、ありました"Le Chansonnier"。
混雑をしているということもなく、すんなりと入店できた。
2018年 食べたもの①
2018年 食べたもの②
店員のおっさんも愛想がよく、私はメニューを見て、適当な品をオーダー。
前菜とメインで27ユーロ。これと"Brouilly"なるワインが16ユーロで計43ユーロ(5600円くらいか)。
サン=ジェルマン地区から移動してきて、落ち着いて食事をすることが出来た。
さて、私は食べたものを写真に記録し、帰国後に4年前食べたものと比較してみた。
仰天してしまった。同じようなものを食していたのである。
注文することでいっぱいいっぱいで、いろいろ試してみたいという余裕がないからこうなる…。
さて、サン=ジェルマンで見つけることが出来なかった"Aux Charpentiers"であるが…。
これも帰国後に調べてみたところ、先年、惜しまれつつ閉店となったようである。
2014年 食べたもの①
2014年 食べたもの②
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パリで映画を観る(2本目)
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2018-10-06
2018年5月5日(土) 午後3時32分 パリ パテ・ジェローム・セドゥ財団パテ社のトレードマーク「雄鶏」パテ・ジェローム・セドゥ財団の地下階で映画の上映が始まるのが午後4時半から。まだ1時間近く時間があるので、上階の展示室を見てみることにした。そこは、パテ社の創生期から20世紀後半に至るまでのカメラや映写機がずらりと並ぶ空間であった。公式ホームページによると、約150台が展示されているらしい。展示室のみであれば3ユーロで入場できるが、ここは映画を観るついでに訪れる人がほとんどだろう。映画1本鑑賞+展示室訪問だと料金は6.50ユーロとなる。展示室とは言え、これだけ機材が並ぶ空間はなかなかである。シネマテークの映画博物館でも、これだけカメラや映写機が並んでいる展示はなかったと思う。このカメラは何を記録したのだろうか?この映写機は何を映し出したのだろうか?各機材の製造年代から、いろいろな想像をかき立てられる。展示室の一画には、1920年代?のパテ社の工場の様子を記録したフィルムが上映されている。イスに腰掛け、このフィルムを観るなどして時間を潰した後、上映室のある地下階へ降りた。展示室シネマトグラフ(1896年頃)Pathé WEBO(左から1946年、1954年、1956年、1960年)さて、これから私が観る映画はルイ・デリュック監督の"L'Inondation(洪水)"という作品である。1923年の作品で当然サイレント映画。上映時間は1時間20分である。語学がダメな私でもサイレントなら大丈夫であろうということで、またしてもサイレント映画である。日露戦争の映画のポスター(1905年)ルイ・デリュックという名であるが、映画チラシを収集している私には見覚えがあった。昔のフランス映画のチラシに「ルイ・デリュック賞受賞!」とかあるのをよく目にしていたからである。「ルイ・デリュック賞受賞!」と言われても、よくわからないが、多分すごいのである。そして、その映画賞に名を残すルイ・デリュックという人も、おそらくすごい人なのである。しかし、その人の作品を観たことがない。だから今回はよい機会なのである。(左)「城の生活」の映画チラシ(1967年)(右)チラシの拡大「ルイ・デリュック賞受賞作」とある上映室の入りは4割程度だろうか。外国人は私くらいであると思われた。上映前、アナウンスがあり、ピアニストが紹介された。まだ若そうなピアニストは、..
2018パリの旅
りんこう
2018-10-06T18:00:00+09:00
パテ社のトレードマーク「雄鶏」
パテ・ジェローム・セドゥ財団の地下階で映画の上映が始まるのが午後4時半から。
まだ1時間近く時間があるので、上階の展示室を見てみることにした。
そこは、パテ社の創生期から20世紀後半に至るまでのカメラや映写機がずらりと並ぶ空間であった。
公式ホームページによると、約150台が展示されているらしい。
展示室のみであれば3ユーロで入場できるが、ここは映画を観るついでに訪れる人がほとんどだろう。
映画1本鑑賞+展示室訪問だと料金は6.50ユーロとなる。
展示室
とは言え、これだけ機材が並ぶ空間はなかなかである。
シネマテークの映画博物館でも、これだけカメラや映写機が並んでいる展示はなかったと思う。
このカメラは何を記録したのだろうか?この映写機は何を映し出したのだろうか?
各機材の製造年代から、いろいろな想像をかき立てられる。
展示室の一画には、1920年代?のパテ社の工場の様子を記録したフィルムが上映されている。
イスに腰掛け、このフィルムを観るなどして時間を潰した後、上映室のある地下階へ降りた。
展示室
シネマトグラフ(1896年頃)
Pathé WEBO(左から1946年、1954年、1956年、1960年)
さて、これから私が観る映画はルイ・デリュック監督の"L'Inondation(洪水)"という作品である。
1923年の作品で当然サイレント映画。上映時間は1時間20分である。
語学がダメな私でもサイレントなら大丈夫であろうということで、またしてもサイレント映画である。
日露戦争の映画のポスター(1905年)
ルイ・デリュックという名であるが、映画チラシを収集している私には見覚えがあった。
昔のフランス映画のチラシに「ルイ・デリュック賞受賞!」とかあるのをよく目にしていたからである。
「ルイ・デリュック賞受賞!」と言われても、よくわからないが、多分すごいのである。
そして、その映画賞に名を残すルイ・デリュックという人も、おそらくすごい人なのである。
しかし、その人の作品を観たことがない。だから今回はよい機会なのである。
(左)「城の生活」の映画チラシ(1967年)
(右)チラシの拡大「ルイ・デリュック賞受賞作」とある
上映室の入りは4割程度だろうか。外国人は私くらいであると思われた。
上映前、アナウンスがあり、ピアニストが紹介された。
まだ若そうなピアニストは、客席を通り、スクリーン向かって左に設置されているピアノに腰掛けた。
パテ・ジェローム・セドゥ財団での上映の特徴は、このようにピアノ伴奏付きということなのである。
これで6.50ユーロだというのだから、ちょっと得した気分である。
さあ、上映開始である。
上映室
ひとりの貧しい身なりの女性が小さな村の駅に降り立ち、ある青年に恋をする。
しかし、青年には婚約者があって、三角関係に…。というようなおはなしだった。
貧しい女性の心理が洪水の映像が挿入されることによって象徴的に表現されていた。
私は鑑賞後、無性に感動してしまった。
ストーリーを把握できたこと、ピアノの伴奏付きで観られたことの喜びもある。
でも、作品自体のパワーがすごかったのだと思う。
地下階のロビー
上映後、フランス人の青年が受付の女性に対し、少し興奮気味に作品の感想を語っていた。
私もその気持ちはよくわかる。もう一度、どこかで鑑賞する機会はないだろうか?
と、記している今知ったことなのだが、この作品。
今年1月にアンスティチュ・フランセ東京で上映されていたらしい。やはりピアノ伴奏付きで…。
ただ漫然としていると、こういう素晴らしい作品を観る機会を逃してしまうのだなあ…。
この「洪水」はルイ・デリュックの遺作となった。
デリュックは悪天候の中、本作を撮影したことで肺炎となり、33歳の若さで亡くなったのだった。
最後に記念品としてトートバッグ(6ユーロ)とチャップリンの小さな伝記(7.50ユーロ)を購入
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パテ・ジェローム・セドゥ財団
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2018-09-29
2018年5月5日(土) 午後1時17分 パリ イタリア広場イタリア広場メトロに乗ってPlace d'Italie駅(イタリア広場駅)までやって来た。いつだったか、このイタリア広場近辺のホテルに泊まったことがある。確か、バルセロナから夜行列車に乗ってパリに着いた後、この辺りに来たのだと思う。そういうこともあって、地図も確認せずにわかった風に歩き出した私。見事に迷ってしまったではないか…。あらためて地図を確認してみると、イタリア広場からは放射線状に何本も道が延びている。これでは迷ってしまうのも無理はなかった。今一度目的地をしっかり確認して、しかるべき通りを歩き始めた。さて、イタリア広場に来た目的というのは何か?私は映画を見ようとしているのである。昨日、シネマテークで「戦艦ポチョムキン」を鑑賞し、パリで「何か映画を観る」の目的は達成済み。しかし、この近くには是非とも行ってみたい映画関連施設があったのである。ここで食べましたその前に…。おなかが空いてきたので、お昼をとることにした。しかし、どこで食べることにしようか?私はかなりの時間、通りを右往左往していた。いつもそんな感じである。結局、"L'Entracte"というところに入ってハンバーガーを食べた。オーダー時、肉の焼き加減を尋ねられた。"cuisson(焼く)"と言う単語が聞き取れたので、状況から肉の焼き加減であるとわかったのである。たまにはレアでオーダーしてみようか。はて、「レア」はフランス語で何というのだっけ…?食べたもの私「セ、セ、セ…」店員「saignant?」私「ウィー、ウィー」というなんとも情けないやりとりで何とかわかってもらえた…。saignantは英語だと「ミディアム・レア」ということである。ハンバーガー(フリット付き)とビール「1664」とで25.50ユーロである。1664は爽やかな柑橘系の味がしてビックリしたが、何のことはない。レモンのスライスが入っていた。saignantの焼き具合完食満腹になったところで私はこのカフェの隣の建物に向かった。ここが今回の目的地「パテ・ジェローム・セドゥ財団」のビルである。「パテ」というのはフランスの映画会社の名前である。また、「ジェローム・セドゥ」というのはフランスのメディア王でパテ社を買収した人物の名である。このジェローム・セドゥという人は今をときめく女優レア・セドゥの祖父にあたる。建物のファサードはかなり立派..
2018パリの旅
りんこう
2018-09-29T17:00:00+09:00
イタリア広場
メトロに乗ってPlace d'Italie駅(イタリア広場駅)までやって来た。
いつだったか、このイタリア広場近辺のホテルに泊まったことがある。
確か、バルセロナから夜行列車に乗ってパリに着いた後、この辺りに来たのだと思う。
そういうこともあって、地図も確認せずにわかった風に歩き出した私。
見事に迷ってしまったではないか…。
あらためて地図を確認してみると、イタリア広場からは放射線状に何本も道が延びている。
これでは迷ってしまうのも無理はなかった。
今一度目的地をしっかり確認して、しかるべき通りを歩き始めた。
さて、イタリア広場に来た目的というのは何か?
私は映画を見ようとしているのである。
昨日、シネマテークで「戦艦ポチョムキン」を鑑賞し、パリで「何か映画を観る」の目的は達成済み。
しかし、この近くには是非とも行ってみたい映画関連施設があったのである。
ここで食べました
その前に…。
おなかが空いてきたので、お昼をとることにした。
しかし、どこで食べることにしようか?
私はかなりの時間、通りを右往左往していた。いつもそんな感じである。
結局、"L'Entracte"というところに入ってハンバーガーを食べた。
オーダー時、肉の焼き加減を尋ねられた。
"cuisson(焼く)"と言う単語が聞き取れたので、状況から肉の焼き加減であるとわかったのである。
たまにはレアでオーダーしてみようか。
はて、「レア」はフランス語で何というのだっけ…?
食べたもの
私「セ、セ、セ…」
店員「saignant?」
私「ウィー、ウィー」
というなんとも情けないやりとりで何とかわかってもらえた…。
saignantは英語だと「ミディアム・レア」ということである。
ハンバーガー(フリット付き)とビール「1664」とで25.50ユーロである。
1664は爽やかな柑橘系の味がしてビックリしたが、何のことはない。レモンのスライスが入っていた。
saignantの焼き具合
完食
満腹になったところで私はこのカフェの隣の建物に向かった。
ここが今回の目的地「パテ・ジェローム・セドゥ財団」のビルである。
「パテ」というのはフランスの映画会社の名前である。
また、「ジェローム・セドゥ」というのはフランスのメディア王でパテ社を買収した人物の名である。
このジェローム・セドゥという人は今をときめく女優レア・セドゥの祖父にあたる。
建物のファサードはかなり立派であるが、これはかのロダンが若き日に手がけたものであるという。
中に入ると、雰囲気は一変する。そこはレンゾ・ピアノによるモダンな建築空間である。
(左)パテ・ジェローム・セドゥ財団のファサード
(右)ファサードをくぐると、レンゾ・ピアノによる奇抜な建物が
この施設の地下で無声映画を中心にパテ社のフィルムが多数上映されている。
そのことを知った私は、適当な時間に上映される作品を渡航前にインターネットで予約していた。
その控えをプリントアウトした紙を受付で提示すると、親切に応対してくれた。
上映までまだ時間があるので、奥のカフェで休んでもいいし、上階の展示室も見られますよとのこと。
実は私。先ほどのハンバーガーを割と急いで食べた。上映時間に間に合わないと思ったのである。
だが、私の全くの勘違いであった…。なんと上映時間までまだ1時間以上も時間があったのだ…。
何でこんな勘違いをしてしまったのか。とにかく上階の展示室に行ってみることにした…。
地上階。奥の中庭がカフェになっている
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モンマルトル墓地
https://rinkou.blog.ss-blog.jp/2018-09-22
2018年5月5日(土) 午前11時50分 パリ モンマルトル墓地モンマルトル墓地でモンマルトル墓地の入口付近には、大きな案内板が設置されている。この歴史ある墓地に埋葬されている著名人の墓所を番号で示しているのである。さらにその案内板の下部には、墓参者が携帯できる地図がぶら下がっている。私はこれを手に取り、ジャンヌ・モローの墓所を確認してみた。しかし、ジャンヌ・モローは昨年無くなったばかりであるからか、地図に墓所は反映されていなかった。まあ、フランソワ・トリュフォー監督のお墓の近くにあるということだから、そちらへ歩いて行った。(左)モンマルトル墓地の案内板(右)劇作家・映画監督 サッシャ・ギトリ(1885~1957)のお墓フランソワ・トリュフォーのお墓は墓地の21区と呼ばれる区画にある。黒い墓石に名前と生没年のみが刻されたシンプルなお墓である。通り沿いに面しているので、比較的見つけやすい。つるつるとした墓石に墓地の木々が映し出されていた。私はトリュフォー監督との挨拶もそこそこに、続いてジャンヌ・モローのお墓を探しはじめた。近くにある墓石の墓碑をひとつひとつ見て回る私は、端から見たら実に怪しい人間である。(左)作曲家 エクトル・ベルリオーズ(1803~1869)のお墓(右)映画監督 フランソワ・トリュフォー(1932~1984)のお墓その地味な作業の途中で、ジャック・リヴェット監督のお墓を発見した。ジャック・リヴェットもトリュフォーと同様にヌーヴェル・ヴァーグを代表する映画監督である。ジャック・リヴェットは2016年に亡くなっていた。ということは、私が前回この墓地に来たときにはこのお墓は無かったはずである。白い墓石にはジャック・リヴェットの氏名と生没年。その下部に、もう一人の名が刻されていた。"Veronique Manniez"とあり、生年しか刻まれていなかった。帰国後に調べたところ、この人はジャック・リヴェットの妻ということらしい。1972年生まれのようだから、ずいぶんと年が離れている。映画監督 ジャック・リヴェット(1928~2016)のお墓女優 ジャンヌ・モロー(1928~2017)のお墓さて、ジャンヌ・モローのお墓であるが、本当にトリュフォーのお墓の近くなのであった。通りに面してトリュフォーのお墓があることは先にも記したが、その2列ほど後方にあったと思う。深い意味は無いと思うけれど、まるでトリュフォーと背..
2018パリの旅
りんこう
2018-09-22T21:00:00+09:00
モンマルトル墓地で
モンマルトル墓地の入口付近には、大きな案内板が設置されている。
この歴史ある墓地に埋葬されている著名人の墓所を番号で示しているのである。
さらにその案内板の下部には、墓参者が携帯できる地図がぶら下がっている。
私はこれを手に取り、ジャンヌ・モローの墓所を確認してみた。
しかし、ジャンヌ・モローは昨年無くなったばかりであるからか、地図に墓所は反映されていなかった。
まあ、フランソワ・トリュフォー監督のお墓の近くにあるということだから、そちらへ歩いて行った。
(左)モンマルトル墓地の案内板
(右)劇作家・映画監督 サッシャ・ギトリ(1885~1957)のお墓
フランソワ・トリュフォーのお墓は墓地の21区と呼ばれる区画にある。
黒い墓石に名前と生没年のみが刻されたシンプルなお墓である。
通り沿いに面しているので、比較的見つけやすい。
つるつるとした墓石に墓地の木々が映し出されていた。
私はトリュフォー監督との挨拶もそこそこに、続いてジャンヌ・モローのお墓を探しはじめた。
近くにある墓石の墓碑をひとつひとつ見て回る私は、端から見たら実に怪しい人間である。
(左)作曲家 エクトル・ベルリオーズ(1803~1869)のお墓
(右)映画監督 フランソワ・トリュフォー(1932~1984)のお墓
その地味な作業の途中で、ジャック・リヴェット監督のお墓を発見した。
ジャック・リヴェットもトリュフォーと同様にヌーヴェル・ヴァーグを代表する映画監督である。
ジャック・リヴェットは2016年に亡くなっていた。
ということは、私が前回この墓地に来たときにはこのお墓は無かったはずである。
白い墓石にはジャック・リヴェットの氏名と生没年。その下部に、もう一人の名が刻されていた。
"Veronique Manniez"とあり、生年しか刻まれていなかった。
帰国後に調べたところ、この人はジャック・リヴェットの妻ということらしい。
1972年生まれのようだから、ずいぶんと年が離れている。
映画監督 ジャック・リヴェット(1928~2016)のお墓
女優 ジャンヌ・モロー(1928~2017)のお墓
さて、ジャンヌ・モローのお墓であるが、本当にトリュフォーのお墓の近くなのであった。
通りに面してトリュフォーのお墓があることは先にも記したが、その2列ほど後方にあったと思う。
深い意味は無いと思うけれど、まるでトリュフォーと背中合わせになっているような場所であった。
ジャンヌ・モローのお墓もシンプルで名前と生没年のみである。
晩年の作品はあまり観ていないけれど、「死刑台のエレベーター」とかもちろん「突然炎のごとく」…。
そういった作品は観ているから、墓前に立つと不思議な感じがする。
本当にこの人はいたのだなという気持ちと、本当に亡くなってしまったのだなという気持ちと。
手前の黒い墓石がトリュフォーのお墓。
その後方、2基の白いお墓の間に見える墓石がジャンヌ・モローのお墓(白い矢印で示してあります)
私は、フランソワ・トリュフォー監督の映画「大人は判ってくれない」をまた想い出していた。
あの映画には、モンマルトル墓地の上に架かる陸橋で撮影されたシーンがある。
また、劇中でドワネル少年が観た映画はジャック・リヴェット監督の「パリはわれらのもの」であった。
ジャンヌ・モローも「大人は判ってくれない」にカメオ出演をしている。
ロケ地となった陸橋の下、その3人は今、こんなに近くで眠っている。
ガラス張りのお墓
墓地の21区から29区へと移動すると、ガラス張りの変わったお墓がある。
ここに眠るのが、「夢見るシャンソン人形」で知られる歌手フランス・ギャルである。
フランス・ギャルが亡くなったのは今年の1月7日。
フランス・ギャルもモンマルトル墓地に埋葬されたと聞いていたので、ここも訪れておきたかった。
ガラス張りの特徴のあるお墓と聞いていたから、すぐに見つけることができた。
1992年に亡くなった夫ミシェル・ベルジェ、1997年に亡くなった娘ポーリーヌ。
氏名とサイン、生没年を記した金色のプレートが、3つ並んで置かれていたのだった。
歌手 フランス・ギャル(1947~2018)のお墓
これで今回会いたいと思っていた人たちには会うことが出来た。
ゆっくりと、もと来た方へ戻って行く。
こうしてみると、墓石の形状も実に様々で、墓石がその人の生前の職業を反映したものだったりする。
日本人のお墓もちらほらあった。墓石に家紋が掘られていたりするのである。
墓地を出て、時間があれば、丘の上の方に歩いて行きたかったけれど、今回のモンマルトルはここまで。
私は再びパリを南下。イタリア広場付近へ向かうことにしたのである。
もっとモンマルトルを散策したかったが、イタリア広場へ…
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