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2012ボストーク号で行くロシアの旅 ブログトップ
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食堂車に行ってみた(中国編) [2012ボストーク号で行くロシアの旅]

2012年7月15日(日) 現地時間 午前7時19分 ボストーク号の中

目が覚めて一枚
目が覚めて一枚

目覚めると、列車の中だった。当たり前だが、モスクワへの鉄道の旅は間違いなく始まっていた。
列車内の寝心地は想像以上にいいもので、私は熟睡することができた。
昨晩、北京駅を出発したボストーク号は天津、唐山、山海関、錦州という駅に停車したはずである。
しかし、そういった駅に停車した憶えがまったくないのだ。心地よく眠りについていたらしい。
渡航前、インターネットから入手したボストーク号の時刻表によると、次の停車駅は瀋陽である。

車窓から
車窓から

さて、ここでボストーク号の設備についてかんたんにご紹介することにしよう。
まず、座席である。1等車に乗車した私は2人用のコンパートメントである。
中央の小さなテーブルをはさんで向かい合って2人分の座席がある。今は私が独占している状態。
この座席の背もたれを手前に倒すとベッドとなることは前回の記事でご紹介したが、
さらに座席のお尻の部分を持ち上げると荷物入れとなっている。重くて持ち上げるのが大変だが。
ある程度の荷物はこの荷物入れに収納することができるが、大きなスーツケースは入らない。

荷物入れ
座席下が荷物入れとなっている

また、座席の頭が当たる部分も開けることができて、小物を入れておくことができる。
コンパートメントのドアーはスライド式で、閉めた状態にすると一面の鏡となっている。
ドアーの上部にはテレビらしい機械が備え付けられていたが、これはいくら操作しても起動せず…。
コンパートメント内の照明に関しては、昼間は全く点かないが、夕刻になると使えるようになる。
ただ、点けたところでそんなに明るくはならない。読書灯はいつでも使える。

ドアーとテレビ
ドアーとテレビ

読書灯
読書灯

1等車にはこのようなコンパートメントが9つある。9×2でこの車両の乗客の定員は18人である。
ただし、今のところこの車両には私以外の乗客がいない。廊下に出てみるがしんとしている。
車両の端にあるトイレに行ってみる。トイレに関しては近年設備がよくなったとも聞いていた。
航空機のような吸引式のトイレが備え付けられているとの情報を得ていたのである。
ただ、実際に見てみると、むかしながらの垂れ流し式のトイレであった。
用を足し、便器の下部にあるレバーを踏むと、弁が開いて水とともに便が垂れ流されるのだ。
このトイレは駅に停車中や街中を走るときは鍵がかけられて使用禁止となる。
むろん、そんなようなところで便をまき散らされたらたいへんだからである…。

トイレ
垂れ流し式のトイレ。コーヒーの匂いのする消臭剤が置いてあった

車両にはシャワー室が備え付けられているともどこかで耳にしていた。
これがあるのとないのとでは大違い。私はひそかにシャワー室を探し車両内を歩いたのである。
しかし、それらしき空間は見当たらなかった…。モスクワまでシャワーもなしということになった。
私が乗車した車両が古いタイプのもので、最新の車両にはそういう設備があるのかもしれないが…。
やはり、持ってきたボディパウダーシートでからだを拭いて済ませることになりそうだ…。

廊下
ボストーク号の廊下

午前8時50分頃、瀋陽駅に着いた。持参してきた時刻表にある時間より20分程遅れている。
ボストーク号は北京を出てから約40の駅に停車するようだが、停車時間はまちまちである。
短いところでは2分程の停車時間。長いところでは30分停車するところもある。
乗客は駅停車時であれば自由に列車から外に出て駅舎を見学することができるだろう。
ただ、瀋陽駅に遅れて到着し、いつ発車となるかわからない今、列車の外に出ることは躊躇われた。
車窓から瀋陽駅を見るだけである。実際、瀋陽駅には10分も停車していなかった。
瀋陽駅で北朝鮮の平壌からきた車両が連結されるとも聞いていたが、どうだったんだろうか…。

もうすぐ瀋陽
瀋陽駅が近づいて…

瀋陽駅
瀋陽駅

午前9時を過ぎ、朝食を取ることにした。朝食は日清カップヌードルシーフード味である。
車両の前方に設置されているサモワールと呼ばれる給湯器でお湯を調達する。
これからの食事はこのサモワール頼みである。何度ここにお湯を汲みに行ったことか…。
カップラーメンを食べ終えた頃、おばさんの車掌がロシア出入国カードを持ってきてくれた。
昨晩、小太りの車掌に預けたパスポートも戻ってきた。車両には2人の車掌が乗っているらしい。
出入国カードを記入し、未だふわふわした感じで車窓からの景色を眺め、時間が過ぎていく。
ロシア入国はこの翌朝となる。今日はまだ中国国内をボストーク号は走っていく。

サモワール

サモワール

ロシア出入国カード
ロシア出入国カードが配られた

午後0時03分、長春駅に到着。時刻表を見ると遅れを取り戻したようで、予定より早い到着である。
時刻表によると、長春駅の停車時間は6分とのことだったので、またもや外に出る余裕はない。
今みたいに飛行機でかんたんにヨーロッパに行けるようになる前の時代、
鉄道でヨーロッパを目指した日本人たちの多くがこのあたりを通過したはずである。
例えば、林芙美子は満州事変のただ中にあった1931年、ここを通過しヨーロッパへ向かっている。
その様子は「シベリヤの三等列車」という文章につづられているらしい。
林芙美子は3等車か…。しかも一人旅だったということで、そのバイタリティには驚いてしまう…。

長春駅
長春駅

さて、中国国内を走っている間にしておきたいことがあった。食堂車に行くことである。
食堂車は中国走行中は中国の食堂車、ロシア走行中はロシアの食堂車が連結されている。
中国を走るのは今日いっぱいだから、中国の食堂車に行けるチャンスは今日のみというわけだ。
午後1時頃、2つ隣の車両に行き、「厨房」というプレートが掲げられた食堂車内にそっと入ってみた。
いるのは制服を着た中国の鉄道関係者?ばかり。ここでちゃんと食事ができるのであろうか?
おそるおそる席に着く、しょぼい造花が一輪飾ってある。こんなんなら飾らないほうがよいのだが…。

食堂車
食堂車

調理師らしい男がメニューを持ってきた。メニューはもちろん中国語だが、英語でも併記されている。
ただ、材料の関係なのか、メニューに記載された料理がいつもすべてできるとは限らない。
男はメニューの料理名を指差し、「有(ヨー)」、「没用(メイヨー)」と調理できるものを教えてくれる。
私はその「有(ヨー)」の中から「青菜肉片」という料理を選んでみた。25元(300円ほどか)である。
これとご飯が2元。ん。何か足りない…。私は「ピージュウ(啤酒)」と言って飲む仕草をした。
男はすぐに缶ビールを持ってきてくれたが、これが冷えていない…。しかも10元と高かった…。
料理自体は案外…おいしかった。ピリ辛の肉野菜炒め。次の停車駅は哈尔滨(ハルビン)である。

食べたもの
青菜肉片(25元)とご飯(2元)

出てきたビール
ぬるいビール(10元)。アルコール分3.7%。アメリカの兵士の顔が…"yes we can!"だって…
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哈尔滨駅で [2012ボストーク号で行くロシアの旅]

2012年7月15日(日) 現地時間 午後2時49分 哈尔滨(ハルビン)駅

哈爾浜駅到着
哈尔滨駅到着

食堂車からコンパートメントに戻ってくると眠くなり、昼寝をした。
目を覚ますと午後2時30分頃で、哈尔滨駅に到着する20分程前。
時刻表によると哈尔滨駅には21分程停車するという。ここは下車して哈尔滨駅を見てみよう。
というか、渡航前から哈尔滨駅ではぜひ見ておきたいところがあったのである。
ただ、21分という停車時間でそこをうまいこと見つけられるだろうか?という不安があった。

哈尔滨駅①
哈尔滨駅

哈尔滨駅は1909年10月26日、伊藤博文が暗殺された場所。事件現場となったのは1番ホーム。
事件発生時、伊藤博文と犯人安重根のいた地点には特別なタイルが埋められているという。
哈尔滨駅はこの事件の現場というイメージが私の中で強く、その地点は見ておきたかったのである。
ボストーク号が1番ホームに停車すれば、その事件現場を訪れることは容易だと思われる。
しかし、1番ホームに停車しなかった場合には1番ホームに行って、その地点を探すことになる。
そんなことは当たり前なんだが、哈尔滨駅がどんな構造となっているかもわからない。
21分の停車時間でその暗殺現場を見つけることができるであろうか。
東京駅にも原、濱口両首相の遭難地点に特別なタイルがあるが、ああいう感じなんだろうか…。

哈尔滨駅②
哈尔滨駅

午後2時49分。哈尔滨駅には定刻に到着した。北京駅で乗車して以来はじめて列車の外へ出る。
薄暗い哈尔滨駅のホームでは、長距離列車の乗客をターゲットにする物売りが何人かいた。
さて、ボストーク号が停車したのは1番ホームではなかった。1番ホームは駅の入口すぐのところ。
時間は21分しかない。私は1番ホームを目指すべく、思い切ってホームの階段を駆け上がった。
階段を上がりきったところにはガラスの扉。取っ手をひっぱってみるが、これが開かないのだ…。
よく見ると、扉の向こう側の取っ手が赤いテープでぐるぐる巻きにされ、開かないようになっていた。
ホームの外には移動できないのか知らん…。怪訝に思っていると、階段の下のほうから笛の音。
駅員がホームの外に出ようとする私を注意したのだった。おっかなくて、すぐに階段を下りてきた…。
どうやらホームの外に出ることはできないらしい…。1番ホームに行くことは諦めざるを得なかった。

この一件で少々シュンとなった私だが、ホームにいた物売りのおっさんから以下のものを購入した。

哈尔滨啤酒(ハルビンビール) 330ml缶 2本(1本5元)
ミネラルウォーター 500ml 1本(3元)
玉泉酒(10元)

哈尔滨啤酒
哈尔滨啤酒

というわけで、またもやビールである。しかし、哈尔滨でビールを買うことは正当である。
なぜならば、哈尔滨は都市別だとビール消費量が世界第3位というビールの街だからである。
ちなみに1位はミュンヒェン(さすがである)、2位は私が目指しているモスクワであるらしい…。
ただ、残念なことに哈尔滨啤酒、冷えていなかった。またもぬるいビールを飲むことになるのか…。
玉泉酒はなんとなく購入。ラベルに「鉄路のお供に」みたいな文字があるのが旅情があってよい。

玉泉酒
玉泉酒

コンパートメントに戻り、午後3時10分に列車は哈尔滨駅を出た。
相変わらずコンパートメントを私が独占しているが、車両には他の客も乗ってきた。
ただし2人だけ。ロシア人の親子であるようだ。お母さんとまだ10歳くらいの男の子。
まじまじと見たわけではないけれど、男の子はどことなくアジアの血が混じっているようにも見える。
この親子は、私のひとつ隣のコンパートメントをあてがわれた。
男の子はヒマそうで、廊下に出てずっとポータブルゲームで遊んでいた。
なんで廊下であるかというと、廊下に電源があるからである。コンパートメント内には電源が無い…。

哈尔滨駅発車
哈尔滨駅発車。1番ホームのほうを撮ってみる

コーヒー
日本から持参したスティックコーヒーを飲む

かくして、哈尔滨駅の1番ホームには行くことができなかったけれど、初めて列車の外に出た私。
これで気持ちにも余裕がでてきたからなのか、車両廊下内に時刻表が貼ってあるのを発見。
日本から持参した時刻表と比べてみる。大きな違いは無いが、微妙に違う部分は記録しておいた。
真に正確な発着時刻を知ることができ一安心。あとはコンパートメント内で景色を眺めて過ごす。
建設中の橋脚を多く見た。交通インフラの設備を加速させている中国。といったところだろうか…。

時刻表

廊下に掲げられていた時刻表

橋脚
こういう橋脚をよく見た。むこうには採掘機らしい重機もたくさん
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ロシア入国前夜 [2012ボストーク号で行くロシアの旅]

2012年7月15日(日) 現地時間 午後6時頃 ボストーク号の中

昂昂渓駅
昂昂渓駅

哈尔滨を出た列車は大慶、昂昂渓といった駅を通り、陽の沈む方向へ延々と走り続けていく。
明日の夜明け前には中国出国の審査が行われる満州里駅に到着。そして、いよいよロシア入国だ。
となると、今更ながらロシア語の不安が私の頭をもたげ始めるのであった…。
ロシア語会話帳で何とかなるだろうとは思うけれど、いくつか言葉は覚えておいたほうがいい。
以下、私が今回のロシア取材に備え覚えたロシア語の単語を列記してみる…。

・спасибо(スパシーバ):ありがとう 予備知識としてあった数少ないロシア語単語
・Да/Нет(ダー/ニェット):はい/いいえ これもなんとなく知っていた
・Здравствуйте(ズドラストヴィーチェ):こんにちは こういう挨拶すら、もはや知らない…
・До свидания(ダスヴィダーニャ):さようなら これもやはり知らない…
・Извините(イズヴィニーチェ):すみません Excuse meという感じだろうか…
・Можно(モージナ):~してもいいですか 
 カメラを構えてこの言葉を唱えると「撮影してもいいですか」という感じとなるらしい…
・Пожалуйста(パジャールスタ):~をお願いします
 これは便利な言葉である。英語で言うPlease、フランス語で言うS'il vous plaitという感じか
 例えば、買い物で欲しい商品を指しながらこの言葉を唱えれば購入の意思は通じるだろう

あとは数である。私はロシア語で数をどう数えるのかまったくわからない。
ロシア語で1から10までは次のように言う。

・один(アヂーン):1
・два(ドゥヴァー):2
・три(トゥリー):3
・четыре(チトゥイーリェ):4
・пять(ピャーチ):5
・шесть(シェースチ):6
・семь(スィェーミ):7
・восемь(ヴォースィミ):8
・девять(ヂェーヴィチ):9
・десять(ヂェースィチ):10

こういうのはガイドブックの後ろのほうに載っていたりするけれど、暗記するのはもう無理である。
お手上げである。こんなわけのわからない呪文のようなことばを覚えられるものか。
しかし、なんとか1、2、3だけは覚えることにした。アヂーン、ドゥヴァー、トゥリー。
アヂーン、ドゥヴァー、トゥリー。これを繰り返し脳に覚えさす。アヂーン、ドゥヴァー、トゥリー。
一方、ロシア語の100はかんたんに頭に入ってしまった。ロシア語で100はсто(ストー)。
「アンクル・トムの小屋」の作者、「ストー」夫人が想い出され、なぜだか結びついて覚えてしまった。
まあ、それ以前にこのキリル文字に慣れるのがたいへんだと思われるのだが…。

おにぎり
おにぎり(明太子)

中身
中身

夕食を取ることにした。今日の夕食は日本から持ってきていた「インスタントおにぎり」。
これはどんなものであるのか少々楽しみでもあったので、ここで食べてみることにした。
パッケージを開けると容器に乾燥した米が入っている。ここにお湯を注いで15分と結構待つ…。
夕暮れの景色を見ながら待って15分。みずみずしくなったご飯を海苔につつんで食べてみた。
やっぱりインスタントの味である。ただ、巻いたばかりのパリパリの海苔で食べられるのが嬉しい。
15分待ったおにぎりを3分で食べた。夕食はこれだけ。あまりおなかがすいていない。
もっとも、日本から持参したつまみを食べながらビールを飲んでいたので腹はふくれている。
調子に乗って哈尔滨で購入した玉泉酒にも手をつけてみた。アルコール度数42度である。
これは中国の焼酎のようなものだと思われるが、あまり嗅いだことのない妙な香りがした。

完成
おにぎり完成

42度の酒をやりながら車窓からの景色を見ていると、ある駅を通過した。私は目を疑った。
「成吉思汗站(駅)」とあったのである。成吉思汗。つまりはチンギス・カン。チンギス・カン駅!?
チンギス・カンの名に似つかわしくない小さな駅だった。なぜチンギス・カンの名を冠しているのか?
その由来を私は知らないけれども、確かに列車はモンゴル方面へ近づいているはずである。
中国出国の審査が行われる満州里駅は中露の国境駅だが、モンゴルの国境にも近い。


大きな地図で見る
Aが成吉思汗(チンギス・カン)駅

小太りの車掌が回ってきた。満州里駅で午前3時にパスポートコントロールがあるという。
これは、"3 o'clock"と英語で言ってくれたので何とか理解することができた。
外の景色は真っ暗。隣のコンパートメントも静かになった。ロシア人親子はもう寝たのだろうか。
私ももう寝たほうがよいであろう。なんせ午前3時に満州里駅で出国審査なのである…。
午後9時30分頃、私は歯も磨かずに寝台に横になるとそのまま眠りに着いてしまった…。

景色
景色。なにがなんだかよくわからないが…
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