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2008ロンドンの旅 ブログトップ
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テート・モダンの展示 [2008ロンドンの旅]

私は目の前に出されたタルトと思われる料理をいぶかしく思い見ていた。
フォークでちょっとつついたりはしたものの食べたりはしない。躊躇われる。
それは、この目前の料理が、自分のオーダーしたものと違うではないか、
と、やっぱり疑念を抱いていたからなのであるが、私は食にそれほどこだわりを持たぬので、
いや、もしかしたらこれ正しい料理が来ているんじゃねぇか?と悩んで困惑していたのである。
いやいや、でもこの料理はどう見てもスモークサーモンは登場していない。

すると、背後からスモークサーモンを使用した料理を手にしたスタッフが現れた。
おお。私がオーダーした料理はまさにこの皿に乗っているのではないか!
そのスタッフ、私のテーブルに既にしてタルトが給されていることに気がついた。
すると、このスタッフは私のテーブルからそのタルトの乗った皿を取り上げ、
私の前方に座る夫婦らしきカップルのテーブルに何事もなかったようにタルトを移動。
顛末を知らぬ前方のカップルも何事なかったようにタルト受け入れ。

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正しい料理

やれやれ、タルトはあのカップルが注文していたのか。食べんでよかった。
私はスモークサーモンを使用した料理の他に、私は適当にパスタをオーダーしたのだが、
いかん。代金はいかほどなのか?倹約がテーマの旅であるのに、あまり考えてなかった。
お会計をお願いしたら、合計25.59ポンドであった。
日本円にして3000円以上しているではないか!これは正直不本意であった。

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不本意な食事の後、ほろ酔い気分でテート・モダンの5階に階段で下りて行く。
いよいよ常設展示の取材である。楽しみにしていた作品はいくつもあった。
その内の一つは、パブロ・ピカソの「泣く女」の連作である。
館内は写真撮影禁止で様子をお伝えできないし、
著作権の関係もあり、絵画を掲載することもできず、様子をお伝えすることが難しくもどかしいが、
結論としては、展示室を回ってもその「泣く女」の連作は展示されていなかったのである。

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料理の写真ばかりですみません

カラフルな色彩で顔をグシャグシャにしてハンケチをくいしばっている女性。
彼女に会えなかったことに今度は私が泣きそうになってしまったが、気を取り直す。
しかし、私が観ることがかなわなかった作品は他にも多数あった。
例えばマーク・ガートラーの回転木馬だとか、ダリのロブスターが乗った電話だとか…。
この巨大な現代美術館はいったいどれだけの膨大な作品を所蔵しているのだろう。
一度ひょいと行っただけでは、お目当ての作品にお目にかかれるとも限らないのだ。

興味深かった展示室といえば、レーニンだとかスターリンだとかの肖像を用いた、
旧ソ連かなんかのプロパガンダ・ポスターが四面の壁にズラリと展示されていた部屋。
ここまでたくさんのプロパガンダ・ポスターを掲げられると圧巻である。
文字を解せぬ私には何を主張しているかは分からないが、強烈な主張が確実にある。
これだけ数が集まると、何もそこまでしなくても、と笑いそうになってしまった。

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テート・モダンの展示は特に年代順というわけでもなさそうで、ある程度作風別になってはいるが、
それ以上に、時代を超えた作品のつながり具合を重視した展示となっているようだ。
印象的だったのはモネの睡蓮とロスコの作品が並べて展示されていたことである。
ロスコは特別展が別に開催されていたが、常設展にも1点のみ展示されていたようだ。
ロスコの作品は例によってぼんやりとした色彩がキャンバスを支配しているのだが、
モネの晩年の睡蓮と並べられることにより、あ。この2作品は似ているぜ、と認識できるのである。
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1日目終了 [2008ロンドンの旅]

テート・モダンではお目当ての作品を必ずしも鑑賞できたわけではないが、
常設展示の5階、3階は一通り観て歩き、エゲレス上陸直後で慌ただしかったけれど楽しんだ。
常設展示の中にはジュリアン・シュナーベルの作品もあった。
この人は私が昨年観た中でも印象に残っている映画「潜水服は蝶の夢を見る」の監督である。
もとは画家として出発した人だとは知っていたが、実際に絵画作品を観たのは初めて。


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作品はたくさんの陶器の皿がキャンバスに貼り付けられていて混沌としている。
どうも、「潜水服…」の温かさとこの作品が結びつかないが、しばらくじっと見つめる。
紺色に塗りたくられていて、「潜水服…」の透明感とも結びつかず、よく解らない。
私はなんだかもう一度「潜水服…」を見直してみたくなった。
後ろから、老夫婦がやって来てやはりこの作品の前で立ち止まった。
「オー、シュナーベル…」とか言って去って行ったっけ。

壁面一帯が印象派から現代までの巨大な美術年表のようになっているところがある。
左端が印象派で、ずっと右に移ってゆくと現代活躍している作家たちの名が示されている。
いちばん右のあたりに目をやると、「Takashi Murakami」だって。
やはり世界的に評価されているんだな。でも私にはこれもよく解らない。

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ミュージアム・ショップはかなり充実している。画集がこれでもかとずらりと棚に並んでいる。
まあ、これらを購入しても外国語だから読むことができないし、何より多額の銭がとんでゆく。
そんな中、私は日本語の薄いテート・モダンのガイド本とポストカードを3枚記念に購入。
ガイド本は3ポンド。日本円で400円ほどである。やっぱり円高だからか安く感じる。
ポストカードは1枚0.60ポンドでピカソ、ダリ、ミロのポストカードを購入。
意識したわけではないが、今考えてみたらなぜかみんなスペインの作家だった。

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これがその時のレシート

テート・モダンを出ると、テムズ川沿い、冷たく強い風に見舞われた。
肩をすくめ、両手をポケットに入れながら、ミレニアム・ブリッジを渡る。
寒さのせいで、あまりロンドンの夜景を楽しむ余裕もなかったけれど、
タワー・ブリッジはとりあえずデジキャメで撮影し、俺はロンドンに来ているぜ、と噛みしめた。
脳内でWings の「たそがれのロンドン・タウン」を再生させる。
どんよりとしたロンドンをイメーヂさせる名曲だ。

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ミレニアム・ブリッジ

ミレニアム・ブリッジを渡りきると、そこにそびえるのはセント・ポール大聖堂。
ここにはまた後日訪れる予定でいる。時刻を確認すると21時50分。
今日はロンドンに着いたばかりなのだから、ここは早く宿に帰り就寝するのが賢明。
明日の早朝からは、またハードな取材が待っているのである。
で、2日目。私りんこうがまず向かった先は観光客があまり行きそうもないところなのであった。
が、これは観光ではない、取材なのである。入国審査時は「Sightseeing」と言ったけれど…。

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帰りの地下鉄。誰も乗っていない

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チャップリンの生家? [2008ロンドンの旅]

2008年12月28日(日)、現地時間 午前8時00分、ロンドンの宿。

ロンドンに到着した日は土曜日で、到着したその日からテート・モダンへ赴いたのは、
土曜日、テート・モダンは午後10時まで開館しているからに他ならない。
取材時間が限られている私は、こういう夜間開館の時間もうまく利用しなければならない。
しかし、今日からはいよいよ丸一日取材ができるのである。気合十分である。
早朝では各種施設は閉まったままだけれど、街を歩くだけならば、関係ない。

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ヴォクソール・ブリッジのたもとにあったヘンな建物

私は宿を出ると、ヴォクソール・ブリッジという橋を渡り、テムズ川右岸へ向かった。
そして、橋を渡ったところすぐにあるヴォクソール駅を通り抜け、「ケニントン・レーン」という通りへ。
私が今目指しているのは喜劇王チャップリンが生まれた家である。
渡航前、その生家の住所を調べ上げ、準備万端である。私は閑静な住宅街へ入って行く。
チャップリンの自伝の冒頭にも確かこのあたりの描写が登場したはずだ。
途中で古い教会があった。幼いチャーリーもこの教会に来たりしたのだろうか。

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ケニントン・レーン

ヴォクソール駅から10分ほど歩いただろうか。調べ上げた住所付近にたどりついた。
レンガ造りの住宅が延々と並んでいる。同じ欧州でもこうした建物は大陸とだいぶ様子が違う。
そうした中の一軒の玄関の上。あるプレートが掲げられているのを私は発見した。
今でも誰か住んでいるようで、柵越しにしか確認できないが、確かにChaplin の文字が!!!
私は2004年にスイスのヴェヴェイにあるチャップリンのお墓を訪ねているので、
これで生家とお墓の両方を訪れたことになった!!!!!はずであった…。

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チャップリンのプレート

はずであった…。というのはどこか解せない部分があったのである。
ロンドンには有名人のゆかりの家にブルー・プラークという碑が掲げられているが、
私が今目にしているチャップリンの碑はそのブルー・プラークとは形状が違うのである。
その上、私は憤ってしまった。この碑、チャップリンの没年を間違えているではないか!!!!!
チャップリンは1977年に亡くなったのだが、この碑は1978年と刻している。
これほどの偉人の没年を間違えるとは、何たることなのだ!!!!!何かおかしい…。

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間違ってるんですけど…

それでも、私はここでチャップリンは生まれたのだと自分を納得させ、
このお宅を背景に勝手に記念写真を撮り、無事帰国したのであるが、
どうも気になるので、帰国後チャップリンの自伝を読み返してみた。
すると、生まれたのは「ウォールワスのイースト・レーン」とある。
何?私が調べ上げた「ケニントン・レーン」ではなかったのか?
さらにネットで調べたところ、チャップリンのブルー・プラークはその「イースト・レーン」にあるようだ。

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ブルー・プラークの一例。
これは指揮者サー・トーマス・ビーチャムが住んでいた家に掲げられていたブルー・プラーク

ぎゃん!!!!!この事実に私は打ちのめされてしまった。
確かに私が見た碑も「Birthplace」とは刻まれてなく、「Lived Here」としかなっていない。
こんな具合で、本当のところはいまだによく判らないでいるのだが、
まあ、チャップリンが幼少時代ケニントンで過ごした事実は変わらない。
それにしても、あの没年を間違えている碑はまずいだろう。あれは…。
早いとこ、なおしてほしい。

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さて、まだその時はチャップリンの生家を間違いなく訪れた気でいた私。次なる目的地へ向かう。
時間の限られている今回の取材(いつものことだが今回は特に)。
この日の午前中、いかに時間を有効に使うことができるかが重要であった。
私はエレファント&キャッスルという名の駅まで歩いてゆくと、
地下鉄Northern Lineに乗ってロンドンの街を北上。
またも、観光客があまり行きそうもないところへ向かったのである。

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