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ガムラスタンをぶらぶらと [2011バルト海沿岸5ヶ国の旅]

2011年4月29日(金)、現地時間 午後0時47分、ストックホルム レストラン "Kaffegillet"

Kaffegillet
レストラン "Kaffegillet"

お昼にしようと、大広場からすぐのガムラスタンの大聖堂の向かいにあるレストランに入る。
"Kaffegillet" というそのレストランに入ると、私は思わずこうつぶやいた。
「うわ。日本人だらけだな…」
客が全員日本人だったのである。団体のツアー客が自由時間内で来ていたのだと思われる。
確かに、ここは店頭に日本語メニューを掲げており(他言語のメニューも掲げている)入りやすい。
入りやすいので、私という日本人がまたひとりこのレストラン内に入って行ったわけである…。

日本語メニュー

日本語メニュー

席に座して、まずは日本語メニューを見る。その中からこの地の名物料理を適当に選ぶ。
私が選択したのは「ピッティパンナ」というかわいらしい名前の品。そして、もちろんビェール。
店員にメニューを指差し、ピッティパンナ、ビェールと告げ、提供されるのを待つ。
まずはSpendrupsという瓶ビェールが現れた。アルコール度数4.2%のごく軽いビェールである。
この日は日差しが強く、歩いているとちょっと汗ばむくらいの天候であり、ビェールがしみる。
軽いビェールでどんどん飲んでしまいそうだが、ピッティパンナが出てくるまで残しておかねば…。

Spendrups
"Spendrups" というビェール 45スウェーデン・クローナ

ピッティパンナが出てくるのは早かった。ビェールが出てきてから5分程しか経っていない。
というわけで、私はビェールを飲み干さないですんだわけであるが、
肝心のピッティパンナはなるほど、これならば早く提供できるであろうという簡単な料理。
サイコロ状に刻まれたポテト、肉が炒めてあり、その上に目玉焼きがのっかっている。
これは、目玉焼きの黄身をつぶして、ポテト、肉と絡めて食べるのであろうか?
食べ方なんぞどうでもいいが、秋田出身の私は「横手やきそば」を連想してしまったもので…。

ピッティパンナ
ピッティパンナ 155スウェーデン・クローナ

横手やきそば
資料画像:横手やきそば

午後1時過ぎ、きわめて家庭的な当地の料理を食したことに満足してレストランを出る。
すると、なにやら楽隊の演奏が近くから聞こえてきた。これは行ってみなければ!
その音色の方に進んでいくと、そこは王宮前広場。ひょっとして、衛兵交代式が始まるのか?
しかし、ガイドブックによると、4月に衛兵交代式が行われるのは水、土、日曜のみとのこと。
今日は金曜であり、衛兵交代式は無いはずなのである。じゃあ、何だ?この楽隊は?
楽隊は私の疑問など知る由もなく、マーチを奏でながら広場を縦横無尽に行進し続けていた…。

楽隊①
楽隊① 午後1時15分頃から演奏開始…

楽隊②
楽隊② 金曜日ではあるが衛兵交代式であった可能性もある…

楽隊による演奏を10分程聴いて、私はさらにガムラスタンの街歩きを続けることにした。
時刻は午後1時30分。あと1時間後には、スーツケースを預けてある中央駅に戻っておきたい。
そして、中央駅からストックホルムの空の玄関口アーランダ空港へ向かい、そこから次の国へ!
というわけで、もう、スウェーデンはガムラスタンをぶらぶら歩いて終了ということになるであろう。
ガムラスタンは広くないので、限られた時間でゆっくり歩いてもひと回りできてしまうほどである。
あてもなく歩いていても、見覚えのある通りに再び出くわす。ほんとうに歩いているだけで楽しい。

ガムラスタンの通りモーテン・トローツィ・グレン
(左)ガムラスタンの通り
(右)ガムラスタンで一番狭い通り「モーテン・トローツィ・グレン」

ある通りでは大道芸人が現れて、カップ・アンド・ボールという古典的なマジックを始めた。
おなじみのマジックではあるけれども、大道芸人は話術を駆使して大いに観客を盛り上げていた。
その大道芸人のすぐ脇で、女の子が喜んじゃって、わいわいジャンプを繰り返している。
もうその様子がかわいくてかわいくて。とても平和な時間がこの美しい街並みの中を流れていた。
しかし、時間が無い私は、その中にどっぷり浸っているわけにもいかないのだった。
いよいよこの国を離れる時が来てしまった。私はストックホルム中央駅に向かい歩きだした。

大道芸人
大道芸人

中央駅へ
ストックホルム中央駅へ

中央駅に到着後、9桁のコードを入力してコインロッカーからスーツケースを取り出して、
アーランダ・エクスプレスというアーランダ空港への直通列車が発着するホームへ向かう。
乗車料金は240スウェーデン・クローナ(3200円程)でこれまた高い。
もっと安い交通手段もあるが、アーランダ・エクスプレスだと20分で空港に着くのでこれにした。
アーランダ・エクスプレスは最高時速200km を記録し、午後3時9分、アーランダ空港に到着。
さて、アーランダ空港から次はどこに向かうのか?それは、ラトビア共和国の首都リガであります!

ストックホルム中央駅
ストックホルム中央駅

アーランダ・エクスプレス
アーランダ・エクスプレス
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ラトビア、リガへの路 [2011バルト海沿岸5ヶ国の旅]

2011年4月29日(金)、現地時間 午後3時13分、ストックホルム アーランダ国際空港

アーランダ・エクスプレス
アーランダ国際空港に到着

さて、ストックホルムからラトビア共和国の首都リガへフライトする私であるが、
リガへは"airBaltic"という格安航空会社を利用することにした。
日本でも近年、エアアジアやジェットスターなどの格安航空会社が就航し、話題となっているが、
その格安航空会社というのを私は生まれて初めて利用してみることにしたのである。
当初はストックホルムからリガまではフェリーで行こうかとも計画していた。
フェリーだと、ストックホルムを午後5時に出港して、リガ到着が翌日の午前11時とのこと。


大きな地図で見る
A がラトビア共和国の首都リガです

つまり、フェリーで1泊するということで、バルト海を進む船内で宿泊というのもなかなか魅力的。
しかし、リガに午前11時着というのは、時間が無い私にとっては遅すぎるのではないだろうか?
その分、フェリーでの旅を存分に満喫すればよいのだろうけれど、リガにはもっと早く着きたい。
自分でもうまく説明できないが、何故だか私はリガという街にとても期待感を抱いていたのである。
それは、チェコ共和国のプラハを訪れる前に抱いていた気持ちとよく似ているように思われた。
そして、プラハはその期待に十二分に応えてくれたのであるが…。

アーランダ国際空港
アーランダ国際空港

そんなわけで、なんとかリガにもっと早く到着できる手段は無いものか?と情報収集した結果、
私は airBaltic という格安航空会社を利用するという結論に至ったわけなのである。
考えてみれば、これまでの私の欧州の取材は列車での移動が主であった。
やはり、陸や海を這うように進んでいくほうが、地球を感じ取れる気がして望ましく思う。
だから今回、フェリーを使わずに空を飛んでしまうというのは、私にとって邪道なのではあるが、
正直に告白すると、私、話題の格安航空というのにも一度乗ってみたかったのですね…。

ダーラヘスト
空港で買ったもの① スウェーデン名物、木彫りの馬「ダーラヘスト」
一番小さいサイズ(高さ5cm)だが、これで149スウェーデン・クローナ(2000円程)もした…

airBaltic はラトビアのフラッグ・キャリアで、リガ国際空港を拠点に各地に便を飛ばしている。
格安航空会社の航空券はクレジットカードさえあればインターネット上で簡単に購入でき、
今回、私も渡航前にインターネットで航空券を購入。燃油サーチャージ等含め、57.21ユーロ。
日本円で6000円ちょっとか。しかし、これは基本料金。いろいろオプションで料金は追加される。
例えば、私は重いスーツケースを持っているが、こんな預け荷物がある場合は15ユーロの追加…。
更に私は、フライトを自由に変更できるオプションも選択してしまい、これは19ユーロの追加…。

ポストカード
空港で買ったもの② ヴィクトリア王女のロイヤル・ウェディング(2010年)記念ポストカード
何で買ってしまったのか不明…。そういえばこの日、ロンドンではウィリアム王子の結婚式だった…

結局、私がストックホルムからリガへのフライトに費やした銭は締めて91.21ユーロ。
日本円にして1万円を超してしまい、「格安」かどうかわからぬ値段になってしまったのである。
フライト変更のオプションなんぞ選択しなくてよかったが、初めての格安航空の利用なのでつい…。
そんなこんなで、airBaltic のカウンターに向かい、予約してある旨記したメールを差し出す。
カウンターには3人の男性が座っていたが、みなずんぐりの同じ体形で笑いそうになってしまった。
申し訳ない…。そう思いつつ、ティケットの発券を待つが、これがなぜか手間取っている…。

「スペシャル・ティケット?」、「ノーマル・ティケット?」ずんぐり職員1号は私にそう尋ねてきた。
私は何のことやらわからない。スペシャル?ノーマル?何なのだそれは?私はポカンとする他ない。
すると、ずんぐり職員2号はどこかに電話をかけ、なんらかの確認をしているようである。
数分後、ティケットは無事に発券されたので一安心であるが、今のやり取りは何だったのか?
どこか解せない気分でいる私にずんぐり職員1号か2号か、はたまた3号だったかは忘れたが、
とにかくずんぐりの誰かが「良いフライトを!」と何事も無かったかのように声をかけてきた…。

時刻表
毎度おなじみ時刻表

リガへのフライトは午後4時55分発。リガに着くのは午後7時過ぎである。
フライト時間は1時間ちょっとなのだが、スウェーデンとラトビアの間には1時間の時差があるので、
リガに着くのはストックホルムを発ってから約2時間後ということになる。
搭乗するBT108便の機体はボンバルディアのプロペラ機であった。
airBaltic のコーポレート・カラー、黄緑で塗られた尾翼が印象的なそのプロペラ機は、
初の格安航空?の利用でドキドキした私を乗せ、いよいよリガに向けて飛び立った。

BT108便
BT108便
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リガ到着、2日目終了 [2011バルト海沿岸5ヶ国の旅]

2011年4月29日(金)、現地時間 午後7時15分、リガ国際空港

機内食メニュー
airBaltic の機内食メニュー。機内食は有料。食べませんでした…

午後7時過ぎ、リガ国際空港に到着。私は今回の取材2カ国目となるラトビア共和国に入国した。
入国と言っても、ラトビアはシェンゲン協定加盟国なのでパスポートの審査も何もありはしない。
空港の建物内に入ると、いきなり荷物受取のターンテーブルがあった。小さな空港のようである。
私以外の乗客は預け荷物など無い人がほとんどで、さっさと空港の外に出ていってしまった…。
スーツケースが出てくるまでの間、隅に設置されていたATMでラトビアの通貨を手に入れる。
ラトビアの通貨単位はラッツという。とりあえず10ラッツ(1700円程)だけを引き出してみた。

リガ国際空港到着
ラトビア共和国、リガ国際空港到着

荷物を受け取り空港外に出ると、相次いで声を掛けられた。これではまるで東南アジアである。
しかし、彼らはタクシーの客引きなどではなく、よく見るとairBaltic のスタッフのようである。
空港からリガの中心部まではairBaltic が運行する小型バスで行くことにしていて、既に予約済み。
乗車のバウチャーを持ってきているので、それをそのスタッフに見せたところ、
「君は2番目の車に乗ってくれ」とのこと。目の前を見ると、確かにグリーンの車が2台停まっている。
その車に近づくと、ドライバーが私のスーツケースを軽々と車後方にしまいこんでくれたのだった。

小型バス
airBaltic の小型バスというかバンというか…

バスは空港と市内中心部を何カ所かに停車しながら巡回していて、運賃は5ユーロまたは3ラッツ。
私は「Hotel Riga」で下車することにしていたので、その旨ドライバーに伝え、車に乗り込んだ。
Hotel Riga はリガの旧市街にあり、オペラ座の向かいに位置する4つ星の宿であるが、
私はここには泊らず、そのすぐそばの"Old City Boutique Hotel" というところを予約していた。
まあ、すぐそばなので、Hotel Riga というところで下車してしまえばよいわけである。
小型バスが走り出して程なく、この街のランドマークが遠方に見えてきた。期待が膨らむ。

リガ旧市街へ
車中から旧市街のほうを撮ってみる。うまく撮れなかった…

宿に着いたのは午後8時頃。この宿は15世紀の建物を改造してできているそうで、1泊48ユーロ。
内部は結構複雑に入り組んでいる。私は部屋まで荷物を引きずりくねくねと進んでいった。
部屋に入り、ベッドに腰掛け一休み。まだ2日目。旅はまだ序盤だが、やっぱりハードである。
これから先、予定通りに取材ができるであろうか?毎度のことだが不安に駆られてしまう。
しかし、これで通算して26カ国目を制覇。旧ソ連の国に来たのも初めて。好奇心の方が勝るのだ。
外はまだ明るい。私はさっそく街歩きに繰り出すことにした。

Old City Boutique Hotel

リガの宿、"Old City Boutique Hotel"

宿の部屋
宿の部屋

宿を出て石畳の道を歩いて行くと、"Riharda Vagnera iela"(ワーグネラ通り)という通りがあった。
クラシック好きの人ならピンと来るかも知れないが、ここはリヒャルト・ワーグナーゆかりの通り。
ワーグナーはこの通りの4番地に1837年から2年間住んでいたのだそう。
その建物の壁には記念碑が掲げられているが、このプレート、他にも見覚えのある名が…。
そのプレートによると、どうやら、リストやベルリオーズもここでコンサートをしたようだ。
プレートの言語が何語であるかもわからぬが、"KONCERTEJUSI" は多分「コンサート」でしょう…。

ワーグナーの家
リヒャルト・ワーグナーが住んでいた家

ワーグナーの家のプレート

ワーグナーの家の記念碑。リスト、ベルリオーズ、アントン・ルビンシテインの名も

宿のすぐそばに、こんな大作曲家たちが活動した場所があったのだ。これは感激である。
私は思わず当時のサロン音楽を想像してみる。19世紀のリガは文化的な街であったに違いない!
そういえば、クラシック音楽関係だと、ラトビア出身の人というのは結構いるのである。
マリス・ヤンソンス、ミッシャ・マイスキー、ギドン・クレーメルといった人はいずれもリガ出身。
クラシック以外でも映画監督のエイゼンシュタインや画家のマーク・ロスコはラトビア出身である。
あまりなじみのないラトビアではあるが、実は錚々たる芸術家を生んでいる国なのであった。

リガ旧市街にて
リガ旧市街にて

レストラン
"4 rooms" というレストランで食事

ワーグネラ通りを抜けるとリーヴ広場というところへ出た。
広場に面してレストランが何軒も並んでいるが、そのうちの一軒に適当に入ってみた。
差し出されたメニューを見たが、どのお料理もお高いようで…。
結局、チキンフィレとビェールを注文。合わせて11.99ラッツ(2000円程)。カードで支払った。
いささか寂しいディナーとなったが、無料のパンを腹に詰め込んで満腹にして店を出た。
ラトビアは物価安いんじゃないか。という勝手な思い込みがはかなく粉砕され2日目終了である。

ビェール
ビェールは"Aldaris" というのが出てきた。今回の取材でようやく「飲んだ気」になれたビェール

食べたもの
なんか焼き魚のようにも見えますが、チキンフィレなんです…
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