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2014ミャンマーの旅 ブログトップ
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トントン氏 [2014ミャンマーの旅]

2014年9月13日(土) 午前11時 ミャンマー バゴー エンペラー・モーテル

泊まった部屋
バゴーで泊まった部屋

「トントン」と名乗る日本語を話す男に着いていき、宿にチェックイン。
見ず知らずの人間についていくことは好ましいことではないが、実はトントン氏の情報は得ていた。
渡航直前にバゴーに滞在する計画に変更した私は、時間が無いながらもこの町の情報収集をした。
ネットで情報収集したのだが、すると、このトントン氏の情報が何件かヒットしたのだ。
そのどれもが、このトントン氏のことを好意的に述べていた。この人は信頼してよさそうであった。
しかし、ネット上でしか知らなかった人に初っ端からばったり出くわすとは、不思議な感じがする。

エンペラー・モーテルは1泊10ドル。これは持参したガイドブックに掲載されているとおりであった。
きれいとは言い難い。泊まるだけであるから、そんなに支障はないが。
しかも現在は雨季である。強い雨が降ると、窓から雨が漏れて入って来るようであった。
テレビは備え付けられていたが、点かなかった…。冷蔵庫も冷えていない…。しょうがない…。

アメニティ
エンペラー・モーテルのアメニティ

さて、トントン氏に10ドルを支払い、その際に旅程の相談をしてみた。
このような旅程である。
今日(9月13日) バゴー取材
明日(9月14日) 早朝バゴーを発ちゴールデン・ロック取材
            ゴールデン・ロック取材後、バゴーに戻り、さらに列車でヤンゴンへ
バゴー観光は10000チャット、ゴールデン・ロック観光は60000チャットで受けるとのことであった。
単純に位をひとつ削ると日本円になると考えて、合わせて7000円。まあ、いいだろう。

さらにここがポイントなのだが、バゴーからヤンゴンに向かう際、列車に乗れるのか確認してみた。
私の事前の調査では、午後7時頃にバゴー駅からヤンゴン中央駅に向かう列車があるはずだった。
かつて、台湾を鉄道で一周したり、ロシアをボストーク号で旅した私にとって鉄道は特別である。
「鉄ちゃん」を名乗れるほどではないが、鉄道で移動する旅というのは、なぜか心高鳴るものだ。
今回もこのミャンマーという国をちょっとでもいいから、できるならば鉄道で移動してみたかった。

トントン氏にこのことについて訊いてみたところ、あっさりOKであるという。
何の躊躇もないその答えぶりにほっとする。となると、切符の確保が気になりだした…。
これも訊くと、切符は乗車直前でも大丈夫であるとのこと。なんだか何もかもスムーズではないか。
取材開始早々、今回の旅程にある程度の見通しがついて一安心。
その後、トントン氏は「1時間ほど休んでください。その後ランチに行きましょう」と去っていった。

モスク
宿の裏はモスクだった

1時間後、トントン氏がやってきて、宿の近くの食堂へ。
何を食べたらいいかよくわからないが、チキンチャーハンを注文。1800チャット。200円弱である。
トントン氏がビールを勧めてくる。言われなくても飲みますよ。ミャンマー・ビール!
これは確か1杯1000チャットくらいだったように思う。
いったいどんなビールなんだろうかと飲んでみると、これは美味しいじゃないの!
あっさりしているのは他の東南アジアのビール同様だと思うのだけれど、後味の余韻がよく残る。
聞けば、過去に何度もモンドセレクションを受賞している誉れ高いビールであるようだ。
私はモンドセレクションというと、「たべっ子どうぶつ」を思い出しますねぇ…。

ミャンマービール
ミャンマー・ビール

さて、ほろ酔い加減の私であるが、この後バゴー取材の開始と相成るわけである。
バゴーに点在する名所・旧跡をどうやって巡るかというと、トントン氏のバイクで巡る。
トントン氏の背後に乗って、バゴーの町を駆け巡るのである。
おそるおそるトントン氏の両肩につかまり、「これでいいですか?」と弱々しく訊ねる私。
「大丈夫!」トントン氏はそう言いバイクを発進!しかし、次第に雨が強くなりだした…。

チキンチャーハン
チキンチャーハン
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シュエグーレー・パヤー [2014ミャンマーの旅]

2014年9月13日(土) 午後0時30分 ミャンマー バゴー

ミャンマーのだるま
ミャンマーのだるま?

トントン氏のバイクで出発したはよいが、雨脚は強くなるばかり。
バイクは舗装されていないデコボコ道を水たまりを避けながら進んでいく。
私は持参していたレインコートを装着していたのでまだよいが、トントン氏はずぶ濡れである。
たまらずトントン氏、一軒の民家の前でバイクを停車すると中に入っていった。
どうも、レインコートを取りに来たらしい。ということは、ここはトントン氏の自宅なのか?

訊ねると、トントン氏の父親の家であるとのこと。
トントン氏の父親は80歳近いと思われるが矍鑠としていて、まるで仙人のようにイスに座っていた。
トントン氏の父親ははなまりのない日本語を話す。ここで子供たちに日本語を教えているらしい。
近々、バゴーで日本語検定があるらしく、そのために今も2階で勉強している子供がいるという。
テキストも見せてもらった。興味深く見ていたら、「持って帰っていいですよ」と言われた。
持って帰っても仕方が無いのだけれど…。まあ、いい想い出ということで。

テキスト
いただいたテキスト

さて、トントン氏もレインコートを装着したところで、いよいよバゴーの観光開始!
と思いきや、トントン氏はまた1件の民家の前で停車。どうもここがトントン氏の自宅であるらしい。
竹かなんかで編んだような家で、トントン氏の父親の家と比べるとかなり簡素である。
トントン氏は稼いだお金のいくらかを妻?と思われる女性に手渡し今度こそ出発。

シュエグーレー・パヤー
シュエグーレー・パヤーで

最初にやってきたのは、シュエグーレー・パヤーというお寺。
ここでまずトントン氏に「バゴー入域料」として10000チャットを手渡す。
このお金を支払うことで、バゴー地区の名所旧跡を巡ることができる共通チケットがもらえる。
と、ガイドブックには記載されているが、そのようなチケットはもらわなかった。
チケット提示を求められることも一度もなかった。

シュエグーレー・パヤー②
シュエグーレー・パヤーで

仏塔
シュエグーレー・パヤーの仏塔

ともかくシュエグーレー・パヤーである。
お寺に入る際には土足厳禁であるので、サンダルを脱いではだしで境内を歩かなければならない。
折からの雨により床はとても滑りやすくなっている。慎重に歩いていてもこれが滑るのだ…。
黄金の仏塔が目に入る。トントン氏に仏塔内部に入るよう勧められ、言われるがまま内部へ。
すると仏像が何体も鎮座しているが、どれもこちらが脱力してしまうようなお顔をしている。
もうちょっと何とかならないものだろうか…。そんなこと言っちゃダメか…。

仏塔内部
仏塔内部

仏像
仏像

仏塔内の回廊をぐるりと回って外に出てきた。
トントン氏によると、仏塔内には64体の仏像があるとのことである。
仏塔は八角形になっていて、一辺に8体の仏像があるということらしい。
この「8」という数字がミャンマーでは重要で、ミャンマーでは曜日が8つあるということだった。
どういうことなのかというと、水曜日が午前、午後の2つに分かれているので曜日が8つ。
その8つの曜日ごとに祭壇が設けられていて、自分が生まれた曜日の祭壇でお参りをする。
ちなみに私は調べてみたところ月曜日生まれであった。

学校
シュエグーレー・パヤーに隣接する学校

シュエグーレー・パヤーの裏は学校が隣接していて、子供たちが授業中。
トントン氏はサービス精神旺盛で、頼みもしないのにこういう学校の様子とかも案内してくれる。
この後もこんな感じでトントン氏のバイクでのバゴーのあちらこちらを巡ることになる。
降り止む気配のない雨が恨めしかったが…。

タモリ?
これはタモリじゃないのか?
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まだまだバゴー巡り [2014ミャンマーの旅]

2014年9月13日(土) 午後1時50分 ミャンマー バゴー

マハーゼティー・パヤー
マハーゼティー・パヤー

シュエグーレー・パヤーの後もバゴーの名所をいろいろ巡ったが、いちいち記すとたいへんである。
よって、駆け足気味の記述になってしまうが、次に訪れたのがマハーゼティー・パヤーというお寺。
トントン氏に入口で降ろしてもらい、仏塔の周りをぐるっと回ってくるように勧められる。
言われるがまま、時計回りに歩いていく。ここでは途中で係の女性から写真撮影料を徴収された。
次におっさんが立っている。この人は英語が喋れないようだったが、参拝の仕方を教えてくれた。
これも言われるがまま、正しく参拝できているかよくわからないが、一応はお祈りをしてみた…。

仏像
マハーゼティー・パヤーの仏像

お寺の次は涅槃仏である。こういうのは見た目のインパクトがあるから面白い。
なんというか、いろいろ名所を巡っても、それぞれの由来が詳しくわかるわけではない。
トントン氏もいちいち各名所の歴史を詳しく教えてくれるわけではないのである。
だけど、こういう巨大な仏像はもう見ているだけで迫力に圧倒される。
涅槃仏といえば、むかしバンコクのワット・ポーで見たけれど、この涅槃仏はそれよりも大きい。
バンコクの涅槃仏は46メートル。一方、こちらのミャッターリャウン涅槃仏は60メートルある。

涅槃仏①
ミャッターリャウン涅槃仏

私が涅槃仏を訪れる前、ヨーロッパから来たと思しき観光客たちが涅槃仏の見物を終え帰ってきた。
そこにポストカードを売りつけようとするミャンマー人の若者。
観光客の一団は彼を避け帰ろうとしたが、ミャンマー人の若者は突如"Let it be"を歌いだした。
私はそこをさらに避けながら涅槃仏に向かったが、背後からは歌声がずっと聞こえてくる。
そのうち"Let it be"の合唱になっていたのがおかしかった。
さて、若者はポストカードを売ることができたのであろうか?

涅槃仏②
ミャッターリャウン涅槃仏

トントン氏はほんとうにいろんなところへ連れて行ってくれたのである。
ガイドブック(「歩き方」)に記載されていないようなところへも連れて行ってくれる。
きっと自分が住んでいる町をいろいろ案内するのがほんとうに大好きなんだろう。

4体の仏像
これは何というところかわかりませんが、巨大な仏像が4面に立っていました…

マハカラヤニシマ
マハカラヤニシマというところで。出家の儀式をおこなう場所らしい

中でも印象的だった場所のひとつがチャッカワイン僧院というところである。
覗いてみると、若い僧侶たちが経典を開いて修行に励んでいて、圧巻の光景である。
柱には高僧の肖像画が音楽室の大作曲家の肖像画のようにして掲げられている。
トントン氏に写真を撮影してもいいかと訊ねると「大丈夫!」との返事なので何枚か撮影をした。
トントン氏にはいろいろ訊ねたが、トントン氏が「ダメ!」ということはまずなかった…。
たいてい「大丈夫!」との返事が返ってくる…。ほんとうに大丈夫なのか心配になるが…。
まあ、実際大丈夫だったんですが…。

僧院①
チャッカワイン僧院

面白かったのは僧院の壁に張り出されていた何かの試験の成績表である。
ミャンマーの数字はアラビア数字ではなくビルマ数字なのでわかりにくい。
でも、ちょっと気になるのでこの点数を確認してみたのである…。
すると、成績優秀者は100点満点中98点を獲得していたようだった。素晴らしい。
一方、最下位のものはなんと28点…。これはひどい…。僧侶にも落ちこぼれはいる。
トントン氏によると成績が悪い僧は退学(退院?)となり、家族が引き取りに来るのだという。

僧院②
チャッカワイン僧院

僧院を出たところには馬に乗る兵隊の像が立っていた。
トントン氏に誰の像なのか訊ねてみたところ、「あれはスーチーさんのお父さんです」との答え。
アウンサン将軍ですね?と応じると、トントン氏は「そう!」と言って日本語の歌を歌いだした。
私はその歌を聞いたことが無かったが、どうも戦時中の古い歌のように聞こえた。
きっとトントン氏は日本語が流暢な父親からこの歌を教わったのに違いない。

アウンサンは「ビルマ建国の父」として今も国民の崇敬を集める人物である。
バゴー市内にはここ以外にもアウンサンが乗馬している像があり、その様子がうかがえた。
アウンサンはビルマ独立のため、日本軍とともにイギリスと闘ったこともあった。
トントン氏のお父さんはまさにそのアウンサン将軍の活躍していた頃に日本語を憶えたのであろう。
ミャンマーの近現代史に想いを馳せている私を乗せ、トントン氏のバイクはまた走り出す…。

アウンサン将軍
アウンサンの像
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