SSブログ

石川啄木終焉の地 [お墓]

石川啄木といえば「天才詩人・歌人」と謳われる明治期の人であるが、
私は啄木の詩集、歌集を精読したことは無い。
それでも、いくつかの歌はなんとなく知っている。
「ぢっと手を見る」とか、「たわむれに母を背負いて」とかは有名だから知っている。
この人の歌のイメージは、貧窮し、困憊しているイメージである。

が、啄木はかなりの遊び人だったということを聞いた。
貧しい生活を歌ったのはよいが、それは自分が遊んでいたからと違うのか?
そんな風に憤りを覚えもしたが、その考えは短絡的であるかも知れぬ。
遊んでいたから素晴らしい文学作品を残せたのかも知れぬではないか。
うむ。ろくに啄木の作品を読んだことのない私が啄木について語ることは自ずと限界があるので、
あまり適当なことを載せてもいけないなあ。

じゃあ、なんで啄木の記事を載せたのかというと、今日は啄木の命日だからである。
今日私は、啄木終焉の地を訪れた。
実は夕刻になるまで、訪れようという気はまるで無かったのだが、
偶さか近くに終焉の地があることを知り、啄木の命日ということもあって、訪れることにしたのだ。

場所は文京区小石川5丁目11番7号である。
私は地図など持たず、この住所のみを頭に叩き込み、界隈を歩き始めた。
5丁目11番の周囲を彷徨っていると、このようなボロい看板を発見した。


携帯で撮影、日が暮れたこともあり、何とも怖ろしさを漂わせる画像である。

ボロ看板の指示通り、左折し15m進むと(15m測ったわけではないが)そこはあった。


お花が供えられていたが、携帯で撮影、日が暮れたこともあり、やはり怖ろしさを感じさせる。

啄木はこの地に1911年8月に転居してきたらしい。
しかし、すでに深刻な病に蝕まれていた啄木はなんら創作活動をすることが出来なかったという。
啄木がこの地で永眠したのは翌1912年4月13日のことであった。27歳の若さであった。


ここは啄木終焉の地であって、啄木のお墓ではない。
お墓はどこにあるのか調べてみたが、何と函館にあるということだった。


nice!(0)  コメント(5) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 5

TaekoLovesParis

りんこうさん、こんばんは
ちょっといい寄り道でしたね。
文京区は文人が多く住んでいた所みたいですね。
樋口一葉の記念館もこのあたりだったような。
by TaekoLovesParis (2006-04-14 00:55) 

こんばんは、りんこうさん。
このページはご存知でしょうか。
「石川くん。」
http://211.1.161.65/ishikawa_kun/index.html
歌人の枡野浩一が石川短歌を解釈して読み直したものです。
私はすばらしいと思いました。
(このリンクは最終回に繋がっていますので、
 よろしかったら第一回からお読みください。)
by (2006-04-14 22:30) 

りんこう

Taeko さんの仰るとおり、この辺りは多くの文人が住んでいたところのようです。
また散歩してみて、何か発見したら報告いたします。

スピカさんご紹介のページは興味深く読みました。
こういう風に現代のことばで解釈すると啄木も身近に感じますね。
もっとじっくり読んでみることにします。
by りんこう (2006-04-16 00:37) 

ルーシー

はじめまして、私も啄木に興味を持っています。
彼の後半の人生は経済的、身体的にもとても辛い状況でした。 そんな境遇から皮肉にも優れた短歌が生まれたのですね。 生前にもっと評価されてほしかったと思うと、切なくなりますが、歌壇界に不動の名声を得、これからも人々を魅了していくことでしょうね、ではまた!
  http://lucy-diary.cocolog-nifty.com
by ルーシー (2006-05-25 21:24) 

りんこう

ルーシーさん。はじめまして!
コメントありがとうございます!ルーシーさんのブログ拝見いたしました。
僕もビートルズ大好き人間ですので、これからもチェックさせていただきます。
どうぞヨロシク!
by りんこう (2006-05-26 00:39) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。