クトナー・ホラのセドレツ地区へ [2009中欧2ヶ国の旅]
2009年5月2日(土)、現地時間 午後1時45分、クトナー・ホラ 聖母マリア教会
クトナー・ホラの旧市街の取材もそこそこに、今度はセドレツと呼ばれる地区へ向かう。
ここにも世界遺産に登録された建造物のひとつである聖母マリア教会というのがある。
旧市街からセドレツまではのんびり歩いて30分程であったが、
歩いたから見つけられるものもある。例えば、次のようなユニークな建造物があった。
ユニークな建造物
一風変わった雰囲気を感じさせるこの建物は、まだ新しい建物のようには見えるが、
もしかしたら、むかし流行した建築様式にのっとって建造されたものであるかも知れぬ。
とはいえ、それがどういう建築様式なのか、そんなことなど私はわからない。
そもそも、そういうこと以前にこれは何に使用されている建物なのだろうか?
この像の意味するところは?
私はこれは小学校なのではないかと勝手に想像した。
建物上方にある珍妙な3人の子供の像からそういう連想をしたのだ。
3人の子供はクローン人間のように同じ背格好をして裸で同じポーズをとって並んでいる。
まったくどういう意図でこのような彫像が建物を飾っているのか。わけがわからない。
このわけのわからなさを私は「チェコっぽい」という感想で乱暴にまとめてしまうのだった。
聖母マリア教会
さて、やがて堂々とした聖母マリア教会が姿を現した。
この聖母マリア教会は1700年頃にバロック様式に増築されたものが現在残っているのだという。
入場料は70コルナ。ただし、これは近くにある墓地教会との共同ティケットとなっている。
つまり、70コルナで、聖母マリア教会と墓地教会の2か所を観て回れるというわけだ。
聖母マリア教会では英語の案内を貸し出してくれた。ここには日本語案内は無いようだ。
聖母マリア教会 & 墓地教会 入場ティケット
聖母マリア教会の中は撮影禁止だった。それに教会内では、改修工事をしていた。
そういう状況で、ここでは特に印象に残るようなものもなかったので、私はすぐに外に出てきてた。
そんなわけで、教会の中がどんな様子であったかうまく記すことができないのである。
ただ、その分、もう一方の墓地教会は私の期待を裏切ることがなかった。
ここは墓地教会に話題を移そう。
聖母マリア教会が世界遺産であることを示す碑
墓地教会は聖母マリア教会から200メートルほど離れたところにある。
教会の敷地内に入ると、まずは何基もの墓石が訪れるものを迎えるのだ。さすがは墓地教会。
共同ティケットを示して教会内に入場すると、ここでは日本語ガイドがあって貸してくれた。
実は墓地教会は聖母マリア教会とは違い、世界遺産に登録されている物件ではない。
それでも、墓地教会は観光客の数が聖母マリア教会とは比較にならぬくらい多い。
そして、その観光客が一様にデジキャメ或いはビデオキャメラで教会内の撮影に勤しんでいる。
墓地教会
彼らは教会の中が奇想天外であるがゆえに、熱心に写真を撮っているのである。
私もここでたくさん写真を撮ってきたのだが、ここで撮影した写真や映像は、
ひょっとしたら、撮影者の意図に反する不気味な影が写りこんでいるかも知れぬので要注意である。
なぜならば、この教会の内部は人間の骨だらけで装飾された奇抜な空間だからなのである…。
墓地教会内部
クトナー・ホラの旧市街の取材もそこそこに、今度はセドレツと呼ばれる地区へ向かう。
ここにも世界遺産に登録された建造物のひとつである聖母マリア教会というのがある。
旧市街からセドレツまではのんびり歩いて30分程であったが、
歩いたから見つけられるものもある。例えば、次のようなユニークな建造物があった。
ユニークな建造物
一風変わった雰囲気を感じさせるこの建物は、まだ新しい建物のようには見えるが、
もしかしたら、むかし流行した建築様式にのっとって建造されたものであるかも知れぬ。
とはいえ、それがどういう建築様式なのか、そんなことなど私はわからない。
そもそも、そういうこと以前にこれは何に使用されている建物なのだろうか?
この像の意味するところは?
私はこれは小学校なのではないかと勝手に想像した。
建物上方にある珍妙な3人の子供の像からそういう連想をしたのだ。
3人の子供はクローン人間のように同じ背格好をして裸で同じポーズをとって並んでいる。
まったくどういう意図でこのような彫像が建物を飾っているのか。わけがわからない。
このわけのわからなさを私は「チェコっぽい」という感想で乱暴にまとめてしまうのだった。
聖母マリア教会
さて、やがて堂々とした聖母マリア教会が姿を現した。
この聖母マリア教会は1700年頃にバロック様式に増築されたものが現在残っているのだという。
入場料は70コルナ。ただし、これは近くにある墓地教会との共同ティケットとなっている。
つまり、70コルナで、聖母マリア教会と墓地教会の2か所を観て回れるというわけだ。
聖母マリア教会では英語の案内を貸し出してくれた。ここには日本語案内は無いようだ。
聖母マリア教会 & 墓地教会 入場ティケット
聖母マリア教会の中は撮影禁止だった。それに教会内では、改修工事をしていた。
そういう状況で、ここでは特に印象に残るようなものもなかったので、私はすぐに外に出てきてた。
そんなわけで、教会の中がどんな様子であったかうまく記すことができないのである。
ただ、その分、もう一方の墓地教会は私の期待を裏切ることがなかった。
ここは墓地教会に話題を移そう。
聖母マリア教会が世界遺産であることを示す碑
墓地教会は聖母マリア教会から200メートルほど離れたところにある。
教会の敷地内に入ると、まずは何基もの墓石が訪れるものを迎えるのだ。さすがは墓地教会。
共同ティケットを示して教会内に入場すると、ここでは日本語ガイドがあって貸してくれた。
実は墓地教会は聖母マリア教会とは違い、世界遺産に登録されている物件ではない。
それでも、墓地教会は観光客の数が聖母マリア教会とは比較にならぬくらい多い。
そして、その観光客が一様にデジキャメ或いはビデオキャメラで教会内の撮影に勤しんでいる。
墓地教会
彼らは教会の中が奇想天外であるがゆえに、熱心に写真を撮っているのである。
私もここでたくさん写真を撮ってきたのだが、ここで撮影した写真や映像は、
ひょっとしたら、撮影者の意図に反する不気味な影が写りこんでいるかも知れぬので要注意である。
なぜならば、この教会の内部は人間の骨だらけで装飾された奇抜な空間だからなのである…。
墓地教会内部
墓地教会 [2009中欧2ヶ国の旅]
2009年5月2日(土)、現地時間 午後2時10分、クトナー・ホラ 墓地教会
ティケットを提示して内部を垣間見るや、私は唖然として口をポカンと開けてしまった。
墓地教会の納骨堂の人骨による装飾は圧倒的で、これには約4万人の骨が使われているらしい。
13世紀後半に聖地イェルサレムの土がここ墓地教会に撒かれたことにより、
この教会も聖地と看做され、この地で埋葬されることを望む人間が各地より集まった。
ここにあるのはそう言った人たちの骨で、ペストや戦役で命を落とした多くの人の骨もここにある。
そこまではついて行けるのだが、その人骨を飾り立てるという感覚はにわかには理解しかねる。
墓地教会納骨堂内部①
それにしても、ここに飾り立てられた4万人の人たちは何百年か前、間違いなく生きていたのだ。
彼らは当然さまざまな個性をもった人間達であったはずであるが、
今ではその彼らの骨が完全に装飾のパーツ、つまり「もの」として扱われているのである。
そして、その「もの」からは生前に備わっていたはずの個性を見出すことはもはやできない。
今や個性が見出せない「もの」であるからか、不思議と怖さのようなものも感じなかった。
墓地教会納骨堂内部②
内部には人骨が山のように積まれている箇所が何箇所もある。
シャンデリアのように飾り付けられているところがある。しまいにゃ紋章まで骨で作っている。
現地で購入したガイドブックによると、この人骨による装飾の意味するところは、
「人の生命と死は隣り合ったものなのだ」ということなのだそうだが、
現在はクトナー・ホラの観光名所となっているこの墓地教会。
そんなことを思う人はどれだけいるのだろうか。そんなことより皆、写真撮影に必死である。
墓地教会納骨堂内部③
私はここでヤン・シュヴァンクマイエルという芸術家がこの国の人であることを想い出した。
シュヴァンクマイエルの映像作品は熱心に観たことが無いのだが、
この納骨堂のシュールな感覚からシュヴァンクマイエルという名を何となしに想い出したのだ。
後に知ったが、シュヴァンクマイエルには何と!この納骨堂で実際に撮影した映画があるらしい。
「コストニツェ」(1970年)という映画がそれだということで、これは早いところ観なくてはならぬ。
さて、骨に囲まれ私はこの納骨堂に20分近くいた。外に出ると時刻は午後2時30分頃だった。
クトナー・ホラからプラハに戻る列車はクトナー・ホラ本駅から午後2時59分に出る。
プラハ到着が午後4時04分。それから夜行列車に乗る午後9時09分までがプラハ取材時間だ。
というわけで、クトナー・ホラとはそろそろお別れである。私は駅に向かって歩き出した。
ああ。骨。骨。骨。もの凄かった。そういえば「ホネホネ・ロック」という歌があったなあ…。
プラハ行きの乗車券
午後4時過ぎ。列車はプラハ本駅にはほぼ定刻に到着した。
そのまま地下鉄に乗りMůstek 駅へ向かい下車。
私がプラハにおいてまず目指すのは旧市街広場およびカレル橋である。
いずれもいわゆる「プラハ歴史地区」に属するところで、世界遺産に登録されている。
ここを訪れれば、クトナー・ホラに続き、今回の取材で2か所目の世界遺産制覇ということになる。
ティケットを提示して内部を垣間見るや、私は唖然として口をポカンと開けてしまった。
墓地教会の納骨堂の人骨による装飾は圧倒的で、これには約4万人の骨が使われているらしい。
13世紀後半に聖地イェルサレムの土がここ墓地教会に撒かれたことにより、
この教会も聖地と看做され、この地で埋葬されることを望む人間が各地より集まった。
ここにあるのはそう言った人たちの骨で、ペストや戦役で命を落とした多くの人の骨もここにある。
そこまではついて行けるのだが、その人骨を飾り立てるという感覚はにわかには理解しかねる。
墓地教会納骨堂内部①
それにしても、ここに飾り立てられた4万人の人たちは何百年か前、間違いなく生きていたのだ。
彼らは当然さまざまな個性をもった人間達であったはずであるが、
今ではその彼らの骨が完全に装飾のパーツ、つまり「もの」として扱われているのである。
そして、その「もの」からは生前に備わっていたはずの個性を見出すことはもはやできない。
今や個性が見出せない「もの」であるからか、不思議と怖さのようなものも感じなかった。
墓地教会納骨堂内部②
内部には人骨が山のように積まれている箇所が何箇所もある。
シャンデリアのように飾り付けられているところがある。しまいにゃ紋章まで骨で作っている。
現地で購入したガイドブックによると、この人骨による装飾の意味するところは、
「人の生命と死は隣り合ったものなのだ」ということなのだそうだが、
現在はクトナー・ホラの観光名所となっているこの墓地教会。
そんなことを思う人はどれだけいるのだろうか。そんなことより皆、写真撮影に必死である。
墓地教会納骨堂内部③
私はここでヤン・シュヴァンクマイエルという芸術家がこの国の人であることを想い出した。
シュヴァンクマイエルの映像作品は熱心に観たことが無いのだが、
この納骨堂のシュールな感覚からシュヴァンクマイエルという名を何となしに想い出したのだ。
後に知ったが、シュヴァンクマイエルには何と!この納骨堂で実際に撮影した映画があるらしい。
「コストニツェ」(1970年)という映画がそれだということで、これは早いところ観なくてはならぬ。
ヤン・シュヴァンクマイエル 「ドン・ファン」その他の短編 [DVD]
- 出版社/メーカー: コロムビアミュージックエンタテインメント
- メディア: DVD
さて、骨に囲まれ私はこの納骨堂に20分近くいた。外に出ると時刻は午後2時30分頃だった。
クトナー・ホラからプラハに戻る列車はクトナー・ホラ本駅から午後2時59分に出る。
プラハ到着が午後4時04分。それから夜行列車に乗る午後9時09分までがプラハ取材時間だ。
というわけで、クトナー・ホラとはそろそろお別れである。私は駅に向かって歩き出した。
ああ。骨。骨。骨。もの凄かった。そういえば「ホネホネ・ロック」という歌があったなあ…。
プラハ行きの乗車券
午後4時過ぎ。列車はプラハ本駅にはほぼ定刻に到着した。
そのまま地下鉄に乗りMůstek 駅へ向かい下車。
私がプラハにおいてまず目指すのは旧市街広場およびカレル橋である。
いずれもいわゆる「プラハ歴史地区」に属するところで、世界遺産に登録されている。
ここを訪れれば、クトナー・ホラに続き、今回の取材で2か所目の世界遺産制覇ということになる。
プラハを歩く [2009中欧2ヶ国の旅]
2009年5月2日(土)、現地時間 午後4時30分、プラハ 旧市街広場
プラハでの目的はというと、まずは旧市街広場を訪れて、カレル橋にも足をのばして…。
時間が無いからカレル橋の向こうのプラハ城の方までは行っていられない。
でも、プラハ城は過去に訪れたことがあるから諦めはつく。
旧市街広場もカレル橋も過去に訪れたことはあるにはあるが、
やはりこの空間に自分が立つこと、この空間を満喫すること、それが目的であったのかも知れぬ。
これで、今回の取材で2つ目の世界遺産ということになる。
(左)モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」が初演されたスタヴォフスケー劇場
(右)旧市街広場の天文時計(タイミングよくからくりが動くところが観られました)
やってきた旧市街広場。プラハの魅力に気づいた人たちがいよいよ多いのか、観光客が多い。
私は2002年と2007年と、過去2回この旧市街広場に立ったが、その時の比ではなかった。
まあ、今日は土曜日。お休みであるから人が多いのかも知れぬ。
そして、昨日は5月1日で金曜日であった。5月1日はメーデーで欧州では祝日であろう。
明日はもちろん日曜日でお休み。私は5月の連休ということで日本から取材に訪れたのだが、
欧州も実は連休だったようである。欧州内なら簡単にプラハにも来れることだろう。いいなあ…。
旧市街広場①
旧市街広場②
さて、カレル橋に向かうとその人間の多さはいよいよエスカレートしてきた。
2年前、あれは1月だったが、私は人間の多さにうんざりすることもなくカレル橋を渡りきった。
それが今回。結果的に私はカレル橋を渡りきることはなかった。
あまりの人の多さに対岸まで渡りきることを断念したのである。
しかも、カレル橋は今回改修工事をしていたようで、歩行できる幅が狭まっていたりする。
いつもより狭いから混んでいるのか、狭い所にいつも以上の人出なのか。いづれにせよすごい混雑。
カレル橋①
そんな中でも、大道芸人は相変わらず奮闘していた。
カルテットで軽妙なジャズを演奏する人たちや、ひとりで原始的な民族楽器を吹奏している人。
お決まりの似顔絵描きもたくさん橋の上に陣取っている。
本来ならば、これらをひやかしながらぶらぶら歩くのはとても楽しいことだ。
しかし、やはり混雑の具合が甚だしく、そこにおふざけで女装した若者の集団が、
スプリームスの「Stop in the name of love」を歌唱する混沌加減。私は旧市街広場に戻った。
カレル橋②
まあ、冒頭にも述べたように私はこのプラハの街を歩いて、この空間にいるだけで充分である。
あとは、旧市街広場付近でお土産をいろいろと物色した。
チェコにはいろいろと興味深いものがあるが、おなじみのマリオネットとボヘミアン・グラスを購入。
こうして旅の序盤でお土産を揃えてしまえば、あとはお土産のことで悩まないで済む。
チェコはそういった意味でお土産に相応しいものが簡単に見つけられるような気がして、
なんだか助かったような気がして、あとは取材に専念できるかなとちょっぴり感じたのである。
マリオネットを買ったお店
時刻は午後6時を回った。私がプラハにいられるのもあと3時間ほど。
午後9時過ぎにはプラハ本駅から出発する夜行列車に乗車せねばならぬのだ。
それまでの時間内でしなければならないことといえば、ディナーをとることである。
チェコでディナーをとるとなれば、ビェールを呑むことは必須である。
ああ。そうだそうだ。チェコを離れる前に今一度ビェールを呑んでおかなければならぬではないか。
私はビアホールに向かって歩きだした…。
プラハでの目的はというと、まずは旧市街広場を訪れて、カレル橋にも足をのばして…。
時間が無いからカレル橋の向こうのプラハ城の方までは行っていられない。
でも、プラハ城は過去に訪れたことがあるから諦めはつく。
旧市街広場もカレル橋も過去に訪れたことはあるにはあるが、
やはりこの空間に自分が立つこと、この空間を満喫すること、それが目的であったのかも知れぬ。
これで、今回の取材で2つ目の世界遺産ということになる。
(左)モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」が初演されたスタヴォフスケー劇場
(右)旧市街広場の天文時計(タイミングよくからくりが動くところが観られました)
やってきた旧市街広場。プラハの魅力に気づいた人たちがいよいよ多いのか、観光客が多い。
私は2002年と2007年と、過去2回この旧市街広場に立ったが、その時の比ではなかった。
まあ、今日は土曜日。お休みであるから人が多いのかも知れぬ。
そして、昨日は5月1日で金曜日であった。5月1日はメーデーで欧州では祝日であろう。
明日はもちろん日曜日でお休み。私は5月の連休ということで日本から取材に訪れたのだが、
欧州も実は連休だったようである。欧州内なら簡単にプラハにも来れることだろう。いいなあ…。
旧市街広場①
旧市街広場②
さて、カレル橋に向かうとその人間の多さはいよいよエスカレートしてきた。
2年前、あれは1月だったが、私は人間の多さにうんざりすることもなくカレル橋を渡りきった。
それが今回。結果的に私はカレル橋を渡りきることはなかった。
あまりの人の多さに対岸まで渡りきることを断念したのである。
しかも、カレル橋は今回改修工事をしていたようで、歩行できる幅が狭まっていたりする。
いつもより狭いから混んでいるのか、狭い所にいつも以上の人出なのか。いづれにせよすごい混雑。
カレル橋①
そんな中でも、大道芸人は相変わらず奮闘していた。
カルテットで軽妙なジャズを演奏する人たちや、ひとりで原始的な民族楽器を吹奏している人。
お決まりの似顔絵描きもたくさん橋の上に陣取っている。
本来ならば、これらをひやかしながらぶらぶら歩くのはとても楽しいことだ。
しかし、やはり混雑の具合が甚だしく、そこにおふざけで女装した若者の集団が、
スプリームスの「Stop in the name of love」を歌唱する混沌加減。私は旧市街広場に戻った。
カレル橋②
まあ、冒頭にも述べたように私はこのプラハの街を歩いて、この空間にいるだけで充分である。
あとは、旧市街広場付近でお土産をいろいろと物色した。
チェコにはいろいろと興味深いものがあるが、おなじみのマリオネットとボヘミアン・グラスを購入。
こうして旅の序盤でお土産を揃えてしまえば、あとはお土産のことで悩まないで済む。
チェコはそういった意味でお土産に相応しいものが簡単に見つけられるような気がして、
なんだか助かったような気がして、あとは取材に専念できるかなとちょっぴり感じたのである。
マリオネットを買ったお店
時刻は午後6時を回った。私がプラハにいられるのもあと3時間ほど。
午後9時過ぎにはプラハ本駅から出発する夜行列車に乗車せねばならぬのだ。
それまでの時間内でしなければならないことといえば、ディナーをとることである。
チェコでディナーをとるとなれば、ビェールを呑むことは必須である。
ああ。そうだそうだ。チェコを離れる前に今一度ビェールを呑んでおかなければならぬではないか。
私はビアホールに向かって歩きだした…。