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ウフィッツィ美術館③ [2008イタリアの旅]

ええと。またまた間が開いてしまいましたけれども。
確か、ポッライウォーロの「貴婦人の肖像」が観られなんだ。
というところで、ウフィッツィの記事は終わっていたんだっけ。
では、その次に印象に残っているウフィッツィの展示室はボッティチェリの展示室ということになる。
すなわち、この展示室は私がウフィッツィで最も楽しみにしていた展示室なのである。

大きな展示室の空間に出ると、左の壁にかの「ヴィーナスの誕生」が掲げられている。
そして、正面にはこれまた有名な「春」が掲げられているのだ。
だが、私はそれらの作品を直視しようとしない。これらの作品は後でじっくり鑑賞してやるのだ。
私は「ヴィーナスの誕生」、「春」を避けるようにして、まずはその他のボッティチェリ作品を鑑賞。
「剛毅」という名の作品を観るなどしたが、やはり「ヴィーナスの誕生」、「春」が気になる。

ヴィヴァルディ:協奏曲集《四季》

ヴィヴァルディ:協奏曲集《四季》

  • アーティスト: イ・ムジチ合奏団, カルミレッリ(ピーナ), ビバルディ
  • 出版社/メーカー: マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 1997/10/08
  • メディア: CD

私は堪えきれなくなって、その他の作品を簡単に観て、「春」の正面へ。
さて、私が所有しているヴィヴァルディの「四季」のCDジャケットはこの「春」の絵が使用されている。
それはヴィヴァルディの「春」とボッティチェリの「春」をかけたのだろうが、その印象が強かった。
その印象が強かったものの、それは単にCDジャケットとしての「春」であって、
そのCDのヴィヴァルディの「春」ないしは「四季」をじっくり鑑賞することはあっても、
そのジャケットのボッティチェリの「春」をじっくり鑑賞することはなかったのである。

それが、どうだ。実物の「春」をじっくりと鑑賞する機会に恵まれた私はたちまち圧倒されてしまった。
じっくり観たからこそ解ったが、ひとりひとりの人物の表情が実に美しい。
特に作品左側で手を取り合っている3人の女性の表情が良いですね。
私にはこの絵画の寓意はよく解らない。ガイドブックにもよく解らないと記してあるからしょうがない。
ただ、ボッティチェリというと「ヴィーナスの誕生」の首のひょろ長いヴィーナスの印象が強く、
それに比すると、ボッティチェリは意外にリアルに表情を捉えていたのだと思われたのだ。


ミュージアム・ショップで買った「春」のポストカード

その「春」を堪能した後は、いよいよ「ヴィーナスの誕生」を直視することとなった。
この作品の前にはさすがに鑑賞している人が多い。団体の観光客がガイドの説明を受けている。
そんな「ヴィーナスの誕生」だが、観ると想像していたより全体的に淡い色をしていた。
今まで散々書籍かテレヴィジョンかなんかで観ていたものとは印象がちょっと違う。
「ヴィーナスの誕生」は、もっと鮮やかなものだと勝手に想像していたのだ。
ついさっき観た「春」の方がインパクトが強く、私の思い出に残ったのだった。

ボッティチェリは怪僧サヴォナローラの思想にのめり込んだというが、
その後の作品は描かれる人物の表情に変化が表れたという。
確かに、「誹謗」という作品を観ても、登場人物の表情に「春」のような美しさはもはやないようだ。
その後、ボッティチェリは筆を折り、寂しい最期を迎えたという。
そんなボッティチェリさんには、後で会いに行くことにしよう。
さあ、次の展示室ではレオナルドが待っているよ。


ミュージアム・ショップで買った「春」のボールペン(筆記用具持ってなかったので…)


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ウフィッツィ美術館④ [2008イタリアの旅]

レオナルドの展示室に入ると、3枚のレオナルドの手による作品が視界に飛び込んできた。
とはいえ、その内1点は下書きのままの未完の状態、もう1点も師匠ヴェロッキオとの共作。
つまり、レオナルド単独の名義による真の完成作は1点のみ。それが「受胎告知」である。
これは昨年来日し、私もとある金曜の夕刻、上野の国立博物館まで鑑賞しに行った。
金曜日は午後8時まで開館しているのである。

そのときは大きな展示室に想像していたより小さな「受胎告知」が1点だけ展示されていた。
作品の前には蛇行するスロープが設えられ、見学者はこのスロープを歩きながら見学。
スロープの途中で止まることは許されなかった。
この日本での展覧会は2部構成となっており、第1部が前述の「受胎告知」。
第2部がレオナルドの手稿を基にした模型などの展示なのであった。
だが、夕刻訪れた私は第1部を観ただけで時間切れ。第2部はちっとも観ていない。


「レオナルド・ダ=ヴィンチ -天才の実像-」展 図録

すなわち、私は入場料1500円という高額の銭を払い、「受胎告知」のみを鑑賞したのである。
それもスロープ上で止まることの許されぬ過酷な状況の中での鑑賞である。
そ。それが。今、私の目の前に、そ。その。「受胎告知」が目と鼻の先にある。
東京で会ってから半年。フィレンツェでの再会である。
今は止まってじっと鑑賞していても、咎められることはなかった。

「受胎告知」は3点あるレオナルド作品の内、いちばん左に掲げられていた。
日本で鑑賞した際は、大きな薄暗い展示室に1点だけだった「受胎告知」。
それがここでは、当たり前のように展示室の左端に掲げられている。なんて贅沢なんだ。
「受胎告知」の右隣りには「マギの礼拝」というレオナルド作品。先ほど述べたようにこれは未完。
観て判るとおり、これは下書きの状態で、いうなればレオナルドはこの作品をすっぽかしたのだ。
そのすっぽかした作品が堂々と中央に展示されているのだから、やはりレオナルドは凄いのだな。


「マギの礼拝」

3点あるレオナルド作品の内、いちばん右に展示されていたのが、「キリストの洗礼」。
師匠ヴェロッキオとの共作で、レオナルドの描いた天使を観たヴェロッキオは愕然とし、
ショックのあまり以後筆を折ったというのはあまりにも有名な逸話である。
だが、正直、私は今までこの作品を書籍やなんかで観ても、
ヴェロッキオはどうしてそんなにショックを受けたのか釈然としないのだった。
ヴェロッキオ、筆折ること無いんじゃねぇ?もうちょっと頑張れよ。などと感想を抱いたのである。

それが、今こうして実物を目の前にする機会を得て、
私は再び、ヴェロッキオの描いたヨハネやキリストと、レオナルドが担当した天使像を比べてみた。
どうだろうか。やはり違うのだろうか。なんと実物を目の前にしてもピンとこない私がいた。
私は映画「アマデウス」を想い出した。ヴェロッキオはサリエリだ。そして、レオナルドはモーツァルト。
ヴェロッキオは絵画ではレオナルドに劣るが、その天才は誰よりもよく解ったのだろう。
だから、彼は筆を折った。そして、何も解らない私は作品の前でボケっとしているのみなのだった。


「キリストの洗礼」

なんだか、ウフィッツィの記事だけでもう4回も続いていて、
いよいよ、今回のイタリア旅行記。いつ終わるか知れなくなってきた。ちょっと早足にしましょうか?
いや。もう実際この展示室あたりでおなかいっぱいの私なのでした。
このあとも有名作品は続くのだけれど、これからの取材のことも考えると早足にならざるを得ない。
大きな美術館の鑑賞というのは、時間配分がひじょうにむつかしいのである…。


昨年の「レオナルド・ダ=ヴィンチ -天才の実像-」展で購入した「受胎告知」のポストカード


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ウフィッツィ美術館⑤ [2008イタリアの旅]

実はレオナルドの3作品を観たところで、見学者はウフィッツィの見学順路の半分も来ていない。
半分も来ていないのに、絵画史上に残る作品の連続で、前回も述べたようにおなかいっぱい。
気を確かに歩みを進めた私は、薄暗い八角形の部屋に来た。
ここは「トゥブリーナ」と呼ばれる部屋で、作品が所狭しといくつも壁に掲げられていた。
部屋が薄暗いうえ、狭い通路上での鑑賞となるため、つぶさに作品を鑑賞はできない。
それでも、歴史書の類で見たヴァザーリの手によるロレンツォ・デ・メディチの肖像画が確認できた。


ジョルジョ・ヴァザーリ作「ロレンツォ・デ・メディチの肖像」

このように、予期せずに見たことのある絵に出くわすと、ちょっと嬉しいもので、
ウフィッツィでは、やはり世界史の教科書かなんかで見たことのあるルターの肖像画を見つけた。
帽子をかぶり、ちょっと意地悪そうな目つきの丸珍ルター、いや、マルティン・ルターの肖像画。
ははん。この絵は実はウフィッツィにあったのか。
そして、この絵を描いたのはクラナッハらしい。知らなかった。


ルーカス・クラナッハ作「マルティン・ルターの肖像」

そんな感じで、いろいろ発見しながら、私はようやく順路の半分を来た。
ウフィッツィは大きな細長い「コ」の字型をしているけれど、片方の翼をようやく観終えたのだ。
この調子で鑑賞していたらヘトヘトになってしまうなあ。
お目当てのボッティチェリやダ=ヴィンチはもう観たし、ここは急ぎ気味に鑑賞するか。
と思いきや、私の目の前に難敵が出現した。ミケランジェロである。


ミケランジェロ・ブオナローティ作「聖家族」

「聖家族」という円形の作品。ミケランジェロの絵画作品では唯一持ち運び可能なものらしい。
そりゃ、「最後の審判」みたいな壁画なんか持ち運びできないですからね。
彫刻もしたからなのか、なんともダイナミックな作風で、繊細なボッティチェリとは好対照。
もう一方の翼に入った途端、このようにミケランジェロだもの。
急ぎ気味に鑑賞するかという私の企みは崩れそうになったが、早くもバテ気味の私。
取材はまだ始まったばかりだ、他にも取材するところはたんとある。やはり急ぐか。


ラファエロ・サンティ作「ひわの聖母」

すると、続いてはラファエロが待ち構えていたのだった。
「ひわの聖母」は修復中ということで、残念ながら安っぽいレプリカが掲げられていたが、
そのレプリカの前で日本人観光客がガイドの説明に耳を傾けていた。
その隣にラファエロの自画像は展示されていた。
彼が短命だったことが頭の中にあるからなのか、なんともはかなげな肖像という印象である。


ラファエロ・サンティ作「自画像」

次々と難敵に出くわした私だったが、次の部屋ではヴィーナスがお出迎え。
ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」である。
このヴィーナスは来月来日予定なのだが、一足早く現地で鑑賞してきた。
ちょっと待てば日本でも観られたのだが、現地で観るというのはやはりいいじゃない?
日本の美術館で鑑賞している人を尻目に、俺は現地で観て来たんだぜ。と優越感に浸れるじゃん。
って。そんなことではまったくダメですねえ…。


ミュージアム・ショップで購入した「ウルビーノのヴィーナス」のポストカード

で、肝心の感想ですが、これはヤバい。この視線といい。この透き通るような肌といい。
ボッティチェリのヴィーナスともだいぶ印象は違って肉感的。
表情も恥じらい気味だったボッティチェリのものとは違い、これは意志の強そうな眉毛である。
そんなにこっちを見つめて、あなたは何を訴えているのですか?ヤバいなあ。
その答えを見つけるために、また上野にあなたに会いに行くでしょう。うわあ。ヤバいなあ。


「ウルビーノのヴィーナス」展覧会のチラシ


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