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出発 [2007中欧3ヶ国の旅]

今回の中欧3ヶ国(チェコ、スロヴァキア、オーストリア)を巡る旅。
そりゃあ、楽しみにはしていたけれど、反面、いつも以上に不安な心境もあった。
それが何故に不安であったのか、よくは分からないのである。
何度も旅をしていると「慣れ」が出てきてしまうので、それに対する反動だったのか。
ちょっとは不安なほうが、警戒心が現れ、安全に旅することが出来るかもしれない。

今回のルートはオーストリア航空でウィーンへ行き、乗り換えてプラハへ。
プラハで3泊した後、列車でウィーンへ移動、ウィーンでまた3泊である。
スロヴァキアは首都のブラチスラバへウィーンから日帰りの旅。
当初はスロヴァキアの宿に1泊する案も考えたが、時間のロスが甚だしいと判断し断念。

今回も事前の情報収集は欠かさなかった。ネット上の情報を集めるのはもちろん、
書店にて「プラハ」ないしは「ウィーン」を特集した雑誌を見つけてはレジへ直行したのである。
大半が女性誌だったのであるが…。

しかし、今やプラハも欧州屈指の人気観光都市である。ウィーンは言わずもがな。
このような都市を訪れた人間は数知れず、レポートもネット上に氾濫しているであろう。
私が記事を載せたところで、目新しいところが何かあるのであろうか。
これから連載を開始するとなると、そういうことが不安要素として出てくるのだった。

ま、ともかく話を進めると、DJ OZMA の騒動に揺れる日本国を後に出発したのは1月2日。
昨年のスペイン・フランス旅行では搭乗時刻に遅れるという阿呆な事態となったので、
今回はどうなることやらと当然危惧はしたが、
リムジンバスにて成田に着いたのは離陸の3時間前。今回は充分すぎるほど余裕があった。

私はチェックインを済ますと、前回成田に来た時は無かった空港内商店街を闊歩した。
準備は万端であるはずだから、特に購入する物品など無いであろう。と考えたが、
急遽列車移動(プラハ・ウィーン間)の不安に駆られ、衝動的にトマスクックの時刻表を購入。
そして、そのまま出国手続きへ。出国手続きの列も昨年の黄金週間とは打って変わってガラガラ。

その後、朝からビェールを呑んだり、軽食を喰らったりし時間を潰し、
いよいよ搭乗の時間。私は今回も通路側の席を選択。
待ってろよ。カフカ。スメタナ。ベートーヴェン。ドヴォルジャークにモーツァルト。
午前11時40分過ぎ、私は機上の人となったのだった。


 

恋とはどんなものかしら~モーツァルト:アリア名曲集

恋とはどんなものかしら~モーツァルト:アリア名曲集

  • アーティスト: アーノンクール(ニコラウス), グルベローヴァ(エディタ), モーツァルト, ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団, ハンプソン(トーマス), ボニー(バーバラ), シャリンガー(アントン), マルジオーノ(シャルロッテ), ラング(ペトラ)
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2000/06/21
  • メディア: CD


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機内にて [2007中欧3ヶ国の旅]

さて、成田からウィーンへ向う機内で私の右隣に座していたのは日本人のおっさんであった。
この人はドリンクが運ばれるたびにビェールを要求していた。
もっとも私もそうだったのであるが。
さて、隣同士、ビェールを呑んでいたところ。この人が私に語りかけてきた。

「どこに行くの?」
「プラハです。そのあとウィーンに行きます。時間があればスロヴァキアも」
「ブラチスラバ?」
「ええ、時間があればですが…」

話を聞くと、この人はスロヴァキアの工場に出向しているとのことであった。
年末と元日だけ日本でゆっくりしていたということである。
どこか小さな町の工場だと仰っていたが、町の名は失念してしまった。

「ぜひスロヴァキアものぞいてあげて下さいよ」
「ええまあ…」
とは答えたものの、わたしの旅程は超過密なのであり、
この時点ではまだスロヴァキアに行ったるという固い決心は無いのだった。

その後、乗り物酔いの兆候が現れ、ピンチに陥るも、トラベルミンを服用し、それを鎮め、
抜け殻のようになりモニターのシベリア上空を飛ぶ航空機の図を数時間打ち眺め、
映画プログラムを観るなんてなことはせず、イヤーホンにも手をつけず。
十数時間耐えに耐え。ウィーンに付いたのは現地時間16時過ぎ。外はもう暗い。

空港内に入り、まず目に飛び込んできたのが、
「ヨハン・シュトラウス」という名のお食事処なのだった。
これを見て私は、おお、ウィーンなのだなあ。と実感が湧いた。何と単純であることか。
が、とりあえず、この地とは数日おさらばである。
まずはプラハを目指す私は、すぐさま乗り継ぎのロビーへ。

ロビーにて腰掛けていると女性の係員から旅券の提示を求められた。
別に何事もなかったのだが、こういうのはやはり連行されそうで恐い。何も悪いことはしてません。
ほどなくゲートが開き階段を降り、エアバスが待機する地点までバスで移動。
バスから降りたはよいが、強風が待ち構えていた。寒い。

数分、寒空の下で待機させられた後、エアバスに乗り込んだ。
機内ではモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲ハ長調」の第2楽章が流れていた。
さて、ウィーンからプラハまでは1時間もかからない。
私は飛行中、窓からの景色を眺め、もうチェコ上空なのか知らん。と密かに興奮していたのだ。
いよいよプラハは近づいていた。

モーツァルト : フルート&ハープ協奏曲&クラリネット協奏曲

モーツァルト : フルート&ハープ協奏曲&クラリネット協奏曲

  • アーティスト: ランパル(ジャン=ピエール), パイヤール室内管弦楽団, ラスキーヌ(リリー), モーツァルト, パイヤール(ジャン=フランソワ), ランスロ(ジャック)
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2000/06/21
  • メディア: CD


機内にて、「抜け殻」となってしまったため、今回は写真が一枚もありません。
申し訳ございません…。


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5年ぶりのプラハ [2007中欧3ヶ国の旅]

午後6時前、プラハ、ルズィニエ国際空港に着いた。
ずんずん進んで、入国のスタンプを旅券に押してもらう。
プラハを訪れたのは5年ぶり2回目だが前回とスタンプのデザインが違っていた。
EU加盟国共通のデザインのスタンプになっていたのだ。
これは5年前、チェコ共和国はまだEUに加盟していなかったということの証左に他ならない。

その5年前の2002年8月に入国した場所と同じところに私はいた。
私の脳裏にあの時の記憶がまざまざと蘇る。
5年前、ホテルまでの送迎サーヴィスを要請していた私は、カウンターに向ったのであるが、
そこの兄ちゃんがあなたが予約したそのホテルは物凄いことになっており危険であるという。
これでは、意味がよく分からない。どのような事態なのか呑み込めなかった。


ルズィニエ空港を出たところ

ワゴンに乗り、兄ちゃんが手配してくれた別のホテルに向かっていた私は異変に気づき始めた。
街は真っ暗。その暗い影の中のいたるところに道を塞ぐテープが張られているのが認められた。
運転手も困惑気味で、手配したホテルに辿り着くのに、相当苦労していたようだった。
ようやく辿り着いた郊外のホテルでテレヴィジョンをつける。すると洪水の映像が。
百年に一度という大洪水の只中、チェコを訪れてしまったことを私はようやく理解したのだ。

嗚呼!そのチェコに私は再びやってきた!
荷物を受け取った私は、日本円からチェココルナに両替をし、プラハ中心部へ向う。
今回はホテルまでの送迎サーヴィスは手配していない。
バスと地下鉄を利用し中心部を目指すのだ。

ドブリーデン!とチェコ語で挨拶し、おばはんから切符を購入。
切符はバス、地下鉄共通で20コルナ(¥110くらい)である。これで中心部まで行ける。
数年前購入したガイドブックには12コルナと記されていた。値上げしたようだ。
バスは119番のバスに乗ればよい。これに乗れば地下鉄A線終点、Dejvicka駅に辿り着ける。
あとはDejvicka駅から地下鉄で中心部へ楽々移動。


空港~中心部の切符

私はとりあえずバスが停車しているところへ荷物を引きずっていったが、
停車しているバスはブルノ行きだった。これに乗っては一巻の終わりである。
ブルノはメンデルの法則で知られるメンデルや作曲家ヤナーチェクゆかりの地ではあるが、
今回訪れる予定はないのである。

荷物を引きずり右往左往していたが、119番のバス停発見までさほど時間はかからなかった。
ちょうど前のバスが出てしまったようで、次のバスまで10分ほど待たねばならない。
その10分で、また私は5年前プラハを訪れた時のことを回想していた。
あの時、私はヴルタヴァ川に架かるカレル橋を渡ることが出来なかった。無論洪水のためである。
今回はスムースに旅することが出来ますように。


119番のバス停

祈念しているとバスが来た。荷物を引きずり乗り込んだ。が、座席に空席は無かったのである。
私は片手に荷物、空いた片手でつり革を掴みDejvicka駅までバスに揺られる覚悟でいたが、
その時、一人のチェコ人が私に声をかけてきた。どうやら席を譲ってくれるらしい。
私が重い荷物を持っていることを見かねたのか。嬉しいじゃないの。チェコ人は親切だなあ。

しかし、私の気持ちは複雑だった。声をかけてくれたその人が杖を手にしていたからだ。
まだ若い男性だったが、足が不自由であるようだった。
私は体に障害のある人から席を譲られるなんてのは生まれて初めてのことだったのだ…。

モーツァルト : 交響曲第38番「プラハ」&第40番

モーツァルト : 交響曲第38番「プラハ」&第40番

  • アーティスト: コロンビア交響楽団, モーツァルト, ワルター(ブルーノ)
  • 出版社/メーカー: ソニーミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 1998/10/21
  • メディア: CD


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