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取材2日目の朝 [2014パリの旅]

2014年1月2日(木)現地時間 午前8時15分 パリ LIBERTEL GARE DE L'EST FRANCAIS

ホテルの窓から
ホテルの窓から。この屋根だけの景色もまたいいなあ…

取材2日目である。午前8時台から外に出て行動開始である。
朝食は?これがまだとっていない。ホテルでとることもできたのだけれど…。
まあ、ホテルでとったらつまらない。と考えていて、あえてホテルでの朝食はやめにしたのである。
じゃ、どこで朝食をとるのかということになるが、私はパン屋に行ってパンを買おうと考えていた。
宿泊しているホテルから、徒歩で人気のパン屋さんに行くことができるようであったから。

パリ東駅
パリ東駅

年始のパリ。午前8時30分頃ではまだ薄暗い。しかし、そんなに寒くもなかった。
日本のほうがよほど寒かったと思う。これは今年に限って言えばの話なのかもしれないが。
さて、地図を片手にマジャンタ大通りというところから小路に入っていく。
程なく、お目当てのパン屋、デュ・パン・エ・デ・ジデを発見。
やはり有名なパン屋であるらしく、先客の日本人観光客がいた…。
ガイドブックや雑誌のパリ特集の記事によく出てくるパン屋であるから、まあそうなんだろう。
通りの角にまるで時が止まったかのようにしてこのパン屋はある。

パン屋①
通りの角にパン屋

パン屋②
パン屋のショー・ウィンドウ。アンティークの箱がいいですねえ…

パン屋③
Du Pain et Des Idées(デュ・パン・エ・デ・ジデ)の店内

入ってみると、意外と狭い店内。そこの何種かのパンが置かれている。
ここでは、トングで随意に食べたいものをトレイに取る。という方式ではない。
店員さんに食べたいものを告げて取ってもらう方式である。まあ、指差せばわかってもらえる。
で、購入したのはクロワッサンとエスカルゴというパンをひとつずつ。
クロワッサンはクロワッサンなわけだが、エスカルゴはうずまきになったくるくるなパン。
もちろんカタツムリが中に入っているわけではありませんよ…。
いくつか種類があったが、私はチョコとピスタチオが練りこまれたエスカルゴを買ってみた。

パン屋④
Du Pain et Des Idées(デュ・パン・エ・デ・ジデ)の店内

パン屋⑤
デュ・パン・エ・デ・ジデの天井

しかし、いい雰囲気のパン屋で、古き良き時代のパリのパン屋といった感じだろうか。
まあ、いつが古き良き時代かどうかもわからないので、勝手にそう思っているだけなんだが…。
レジでお会計を済ませた後、店員さんに店内を写真撮影していいかとフランス語で訊いてみた。
これが通じて、いいですよとのこと。というわけで、このように何枚か写真を撮ったのでした…。
その何枚か撮影した写真に、"Galette des rois"が写っていた。
これはキリスト教のお祭り「公現祭」の際に食べられるケーキである。
クリスマスの後の2回目の日曜が公現祭にあたるというから、今年は1月5日だったのか。

Galette des rois
Galette des rois

さて、こうしてパンを買ったはよいが、今度はどこで食べる?ということになる。
適当なカフェに入り、飲み物だけオーダーして、このパンを持ちこんで食べる…。
そういうこともありなんだろうか。パンを持ちこんでよいものかどうか、どうもわからない…。
結局、近くのサン・マルタン運河まで行って、ベンチに腰掛けて食べることにしたのである。
パンはやっぱりまだできたてといった感じがして、私はその味を堪能したのである。
でも、ベンチでこうやって食べるのは正直ちょっとさびしい感もあるな…。
寒くはないのだけれど、あったかいコーヒーを飲みたい気持ちにもなってくる…。

エスカルゴ
エスカルゴ

クロワッサン
クロワッサン

サン・マルタン運河
サン・マルタン運河

じゃあ、やっぱりカフェに行くか。そんなことを考えはじめて、しかし、もうパンは食べ終えて…。
でも、パリの名門カフェが集まるサン・ジェルマン・デ・プレの辺りに行ってみたくなった。
そういえば、ポール・マッカートニー。また来てくれますね!もうビックリですよ!
もちろん、私はまた観に行くつもりでいますが…。あれ…。なんでポールの話に…。
実はポールの曲に"Cafe on the Left Bank"という隠れた名曲がありまして…。
1978年のアルバム「ロンドン・タウン」に収録されている曲で、邦題が「セーヌのカフェ・テラス」!


ロンドン・タウン

ロンドン・タウン

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 1995/11/08
  • メディア: CD



とは言っても、この曲。歌詞に"Paris(パリ)"も"Seine(セーヌ)"も出てこない。
でも、"Cafe on the Left Bank"=「左岸のカフェ」となると、やっぱりセーヌの左岸かな…。
テムズ川ではなくてセーヌ川。そう思わせる歌詞なのである。
となると、やっぱりサン・ジェルマン・デ・プレ界隈のことだろうか?と想像が膨らんで…。
この約一月半前、東京ドームのポールのコンサートへ行った私。未だその余韻に浸っていたのか。
私の頭の中では"Cafe on the Left Bank"が再生されるばかりなのであった…。
そんな状態でサン・マルタン運河をぶらぶらと歩き、レピュブリック広場までやってきた。
次の目的地はサン・ジェルマン・デ・プレに決定である。さてさて、メトロで移動しよう…。

レピュブリック広場
レピュブリック広場
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サン・ジェルマン・デ・プレで [2014パリの旅]

2014年1月2日(木)現地時間 午前9時22分 パリ サン・ジェルマン・デ・プレ

カフェ・ド・フロール
カフェ・ド・フロール

はい。サン・ジェルマン・デ・プレ界隈にやってきました。
この界隈のシンボル、ロマネスク様式のサン・ジェルマン・デ・プレ教会。
その前にレ・ドゥー・マゴ。ちょっと先にカフェ・ド・フロール。どちらも老舗のカフェである。
サン・マルタン運河でパンを食べていて、コーヒーを飲みたくなってここに来たのだが…。
まあ、コーヒーを飲みたいだけならば、わざわざこのあたりに来なくてもいいのだが…。
とにかく、ちょっとサン・ジェルマン・デ・プレの雰囲気を確認したかったのだろう。

サン・ジェルマン・デ・プレ教会コンサートの予告
(左)サン・ジェルマン・デ・プレ教会
(右)コンサート予告のポスター

で、この2つの老舗カフェ。レ・ドゥー・マゴ、カフェ・ド・フロールの間を私はウロウロしていた。
実にあやしげであるが、どうもひとりで入るには敷居が高いような気がしたのである。
気にせずに入ってしまえばよいのである。有名なカフェだから観光客もいっぱい来るはずなのだ。
しかし、小心者であるところの私は、結局どちらにも入らず。未だにこういうのが苦手なのである。
でも、このあともこのあたりには何回も来ます。今回の取材でいちばん訪れたあたりである…。
というわけで、今後の展開をお楽しみに…。

サン・ジェルマン・デ・プレで
サン・ジェルマン・デ・プレで

さて、ウロウロしていたのは、カフェに入るか入らまいか思い悩んでいたからだけではない。
街角のキオスクで「パリスコープ」なる情報誌を購入しようとしていたからでもある。
「パリスコープ」は週刊誌。パリで上演、上映されている演劇、映画の情報などが掲載されている。
毎週水曜日の刊行だというから、昨日刊行されたはずである。昨日は1月1日だったが…。
実は昨日パリに到着した時から、内々この情報誌を購入しようと私は気にかけていたのである。
それが、どこにも見つからない。ここサン・ジェルマン・デ・プレのキオスクでも見つからない。
まあ、見つからないのならそれでいい。探し方が悪いのかもしれないが、執着はしていない…。

風立ちぬ

"CAHIERS DU CINEMA"誌の表紙が「風立ちぬ」だった

そもそも、なぜこの「パリスコープ」の購入を考えたのか。実は映画を観ようと思ったのである。
私は海外の映画館で映画を観たことはないが、海外で映画を観たいという気持ちは常にあった。
あれは2006年のことだった。パリ市庁舎で"PARIS AU CINEMA"という催し物があった。
この催し物は入場無料。入ってみると、パリを舞台にした映画に関する展示がなされていた。
大きなスクリーンにパリを舞台にした名作映画の数々を編集したものが上映されていたりした。
これが面白かったのである。何が面白いって、スクリーンを見つめる人たちの反応である。
笑い声を上げたり、驚きの声を上げたり。黙って観ている日本とは大違いなのである。

PARIS AU CINEMA

2006年の"PARIS AU CINEMA"の小冊子

この雰囲気をまた味わってみたいと私は思っていたのである。
もちろん、海外で映画を観るというのは言葉がわからないときついのであるが…。
とにかく、それよりも私は海外の映画館の雰囲気というものを味わってみたかった。
だから「パリスコープ」を求めたのだが…。それもない…。
というわけで、サン・ジェルマン・デ・プレに来た私はどうしよう?

サン・シュルピス教会
サン・シュルピス教会

仕方がないので…。仕方がないということもないが、ちょっと歩いてサン・シュルピス教会へ。
ガイドブックには「パリ屈指のネオ・クラシック様式の教会」とある。
しかし、映画好きの私にとって、ここは「ダ・ヴィンチ・コード」の舞台という印象が強い。
教会内にあるオベリスクの下に「キーストーン」なるものが隠されているんでしたっけね…。
もうだいぶ忘れてしまっていますが…。「ダ・ヴィンチ・コード」は8年前の映画なんですね…。
8年前…。いやあ!怖い!時が経つのはほんとうに早い!

サン・シュルピス教会内部
サン・シュルピス教会内部。左のほうにオベリスクが

パイプオルガン
立派なパイプオルガン

というわけで、結局、何しに来たのだというサン・ジェルマン・デ・プレの取材なのであった…。
パリに着いてから24時間経っていないのだもの。これから本領?発揮なんですよ…。
次の目的地はある美術館。メトロで移動する前にサン・ジェルマン・デ・プレをもう少しぶらぶら…。
映画館をいくつか見かけたが、日本映画が上映されていた。これなら言葉の問題はないか…。

そして父になる
「そして父になる」が上映されていた
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ロダン美術館 [2014パリの旅]

2014年1月2日(木)現地時間 午前10時54分 パリ ロダン美術館

シール
ロダン美術館入場のシール?

サンジェルマン・デ・プレからメトロで移動して、ロダン美術館へやってきた。
ロダン美術館に来るのは2回目である。2003年の夏に訪れていた。ああ…。もう11年も前か…。
11年前に訪れた際、私はフランソワ・トリュフォー監督の「恋のエチュード」を想い出していた。
あの映画のラストシーン。ジャン=ピエール・レオ扮するところのクロードはここの庭を歩くのだ。
今回11年ぶりに訪問した理由というのはいくつかあったが、私の頭の中には別の映画があった。

ロダン美術館2003
ロダン美術館。2003年

まあ、とにかくそのロダン美術館に入場しよう。と、ずんずん歩いていくとものすごい行列である。
仕方がないのでこの列に並んだが、列はなかなか進まない。入場制限でもしているのだろうか?
待てよ…。私はパリ・ミュージアム・パスを持っている。これがあれば入れるのではないか?
列の前方に進んで、係員にこのパスを提示し、入れるかどうか尋ねたところ、すんなり入場できた。
ああ!やっぱり!持ってて良かったパリ・ミュージアム・パス!

ハイネケン
ハイネケン

さっそく鑑賞と行きたいところだが、ちょっとのどが渇いていたので、庭の一画にあるカフェへ。
ここでコーヒー…。ではなくてハイネケン飲んでましたよ!私は…。まったく…。
ほろ酔いで出てきて、庭を見渡してみる。なかなか気持ちがよい。そしてそこに建つビロン館。
ビロン館は18世紀の邸宅なのだそうで、ロダンは亡くなるまでここに住んでいたのだそう。
今はこの館内にロダンの作品がたくさん展示されているのである。

ビロン館
ビロン館

さて、そのビロン館に入る前に、庭を歩いてみた。この庭にもロダンの作品が点在している。
ここでウディ・アレン監督の「ミッドナイト・イン・パリ」である。
あの映画は面白かった。ウディ・アレンのパリに対する愛がほんとうによく伝わってきた。
「ミッドナイト・イン・パリ」にはパリの名所がたくさん出てくる。ロダン美術館も出てきた。
学芸員役で出てたのが、スーパーモデルであり、かつサルコジ夫人であるところのカーラ・ブルーニ。
「考える人」の前で、ロダンとカミーユ・クローデルが結婚していたかどうかで議論となる。
あのえせインテリとの議論。あのあたり、いかにもウディ・アレンの映画である。

考える人
オーギュスト・ロダン (1840~1917) 「考える人」

カレーの市民
オーギュスト・ロダン (1840~1917) 「カレーの市民」

バルザック像とアンヴァリッド
オーギュスト・ロダン (1840~1917) 「バルザック像」

いよいよビロン館に入場しようとしたが、ここも行列。これは明らかに入場制限であろう。
これはパリ・ミュージアム・パスで優先されるとかいうことではないので、黙って並ぶ。
列の進みは早く、割とすぐに入ることができた。私は2階へ向かった。
順路通りなら1階から観て回るのだと思うが、なぜか2階に行ってしまった。
いくつか展示室を過ぎると、私が観たいと思っていた作品があった。「タンギー爺さん」である。

ビロン館内部
ビロン館内部

波
カミーユ・クローデル (1864~1943) 「波」

タンギー爺さん

フィンセント・ファン・ゴッホ (1853~1890) 「タンギー爺さん」

ゴッホの作品の中でも、重苦しさとは無縁であると思われる実に幸福な作品ではないだろうか。
背景には浮世絵が何枚も描かれていて、日本人の私にとって、このインパクトはやはり大である。
ジャポニスムの影響顕著であるところのこの作品。ロダン美術館所蔵である。
2003年もこの作品は鑑賞している。ロダン美術館にゴッホの作品が突然現れ、驚いた記憶がある。
ロダンが収集していた作品のひとつなのだそうだ。じっくり鑑賞させていただきましたよ…。

hanako

オーギュスト・ロダン (1840~1917) 「Hanako」

青銅時代
オーギュスト・ロダン (1840~1917) 「青銅時代」

バルザック像
オーギュスト・ロダン (1840~1917) 「バルザック像」

腹がすごい
バルザック像。腹がすごい…

ロダンの作品にもジャポニスムの影響を感じさせるものがあった。"Hanako"という作品。
「ハナコ」というからには、モデルは日本人なのだろう。
この「ハナコ」とは「花子」さんのことだそう。20世紀初めに踊り子としてヨーロッパに渡ったそう。
そこで成功して、ロダンのモデルにもなったということであるらしい…。知りませんでした…。
上野の国立西洋美術館にもロダンの手による「花子」の作品があるらしい…。知りませんでした…。
記事を書きながら今調べて知ったのです…。そういうこと、ちょいちょいあるんですな…。

傘ぽん
わかりにくいですが、ロダン美術館にあった「傘ぽん」。ここにもジャポニスムが…
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