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今回はベトナム! [2012ベトナムの旅]

2012年5月2日(水)、現地時間 午後3時12分 成田国際空港

成田空港
成田空港 第2ターミナル

新たな取材に旅立つというのに、心高鳴ることのない「りんこう」。それは空港に来ても変わらない。
何というか。私が「取材」と称しているこの行為は、だんだん義務的なものになってはいまいか?
いやいや。別に誰かに義務付けられているわけではないし、嫌なら家にいればよいではないか。
それなのに、こうして空港に来てしまったのは、もう高い航空券を購入してしまっているから。
今回はしっかりとした計画も立てていない。いや。一応は立てたが、その計画表さえ忘れてきた。
こんなにも取材に出る意欲が失せているのは、今回は企画の段階で失敗していたからなのである。

今回の取材期間は5月2日から5月6日までの5日間。この予定で私は取材の企画を立案した。
どんな企画であるかというと、ラオス・ベトナム2カ国の旅である。
ラオスにはルアンパバーンという世界遺産の町がある。ここはかねてより行ってみたい町だった。
寺院が多く建ち並び、早朝には僧侶が托鉢で練り歩く。のんびりしたいい町だと聞いていた。
そして、この町は観光客の人気が急上昇であるらしいので、早く行かねばならぬとも考えていた。
観光客が大挙して押し寄せ、この町の本来の魅力が失われてしまったのでは面白くないから。

成田空港②
連絡シャトルでゲートへ

その世界遺産ルアンパバーンまでの直行便は無い。東南アジアのどこかで乗り継がねばならない。
私はベトナム、ハノイのノイバイ空港で乗り継いでルアンパバーンに行くことを考えた。
ベトナムという国も以前から興味のある国であった。が、この国には観たい町がたくさんある。
ハノイの他に南部のホーチミンや中部のフエやホイアン…。できれば縦断してみたいとも思う…。
ただ、5日の取材期間でベトナム縦断というのはハードであるので、今回はそんなことはしない。
そこで、今回はルアンパバーンとハノイの2都市の取材に専念しようと当初は考えた。当初は…。

ビール
さっそく飲んでます

まずは成田からハノイまでの航空券を確保。ハノイ~ルアンパバーン間の航空券は後で購入しよう。
こうして取材の計画を立てはじめた私であったが、これがうまくいかない…。
ルアンパバーンでは僧侶の托鉢の光景を見てみたい。ハノイでは水上人形劇を見てみたい。
ハノイからちょっと足を延ばすと、これまた世界遺産ハロン湾の絶景がある。これも見てみたい。
ハノイの旧市街を散策してみたいし、この国の建国の父が眠るホーチミン廟も訪れておきたい。
結局、これら全部を5日間で見て回るのはかなり無理があることが次第に明らかになった…。

こうなったら、ルアンパバーンに絞るか、ハノイに絞るか、どちらかにしよう。と私は考えた。
となれば、乗り継ぎせずに時間を有効に使えるのはハノイに滞在することである。
非常に残念であるが、ルアンパバーン訪問は今回は断念。ハノイに3泊することにしたのである。
最近の私の取材傾向を考えると、ひとつの都市に3泊もするのは異例であるといえる。
だいたい1~2泊して次の都市に移動しているし、移動することで旅をしている実感が湧くのだが…。
これまでの取材でも短期間に馬鹿みたいに移動して、「何カ国目制覇!」などとぬかしていた…。

JL751
JL751便

さて、搭乗したのはJAL751便。フライト時刻は午後5時55分。ハノイ到着は午後10時10分の予定。
機内エンターテインメントでは本年度のアカデミー賞受賞作「アーティスト」を観ることができた。
この映画は既に劇場で観賞済みだが、もういっぺん観てしまったのだった。
なんだかこの映画は「アイデア賞」という気がしないでもないが、こういう空間で観るには良い。
サイレントであるから複雑な物語ではないし、言葉の壁もない。狭い空間で観ていても頭に入る。
サイレントである代わりにこの映画の音楽は雄弁であるが、その音楽もあらためて楽しんだ。

機内食
機内食

そうこうしているうちにハノイ到着が近づいてきた。この期に至っても気持ちが高鳴らない…。
気になるのは入国カードが機内で配られなかったことで、ベトナムでは不要なのだろうか?
あと不安なのが、空港から宿までの交通手段である。恐らくタクシーを利用することになるだろう。
ただ、空港~ハノイ市内間のタクシーはぼったくりが多発すると聞いていた。
今考えると、気分が高鳴らなかったのは、このタクシーの不安も一因であるのかもしれなかった。
と言っても、何の対策もしていない私は予定時刻の40分も前にハノイ、ノイバイ空港に到着した…。
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ベトナムの洗礼 [2012ベトナムの旅]

2012年5月2日(水)、現地時間 午後10時50分 ハノイのホテル

ホテルに着いて一杯
ホテルの部屋で一杯。ハリダというベトナムのビール

ベトナムの入国は入国カードも必要無ければ、審査官の質問も一切なかった。拍子抜けした。
こうして無事に入国を果たした私であるが、さっそくベトナムの洗礼を受けてしまうのだった。
空港に予定時刻よりもだいぶ早く到着したはいいが、荷物がなかなか出てこなかったのである。
蒸し暑い空港内で20分以上待っていただろうか、ようやく私の荷物がターンテーブルに現れた。
しかし、こんなことは些細なことである。みな私と同じように荷物を待っていたのである。
問題は空港~ハノイ中心部までのタクシーである。ぼったくりが多発するというタクシーである…。

私は空港内のATMでいくらかのベトナム・ドンの紙幣を入手し、タクシー乗り場へと向かう。
この間、私に声をかけてきたタクシー・ドライバーがいた。俺のタクシーに乗らないか?と。
こういうのに乗ると駄目なのである。こういうのはぼったくる可能性が高いと思われる。
比較的信頼できるタクシー会社というのがあって、そういうタクシーに乗るべきなのである。
そういうタクシー会社は、トランシーバーを持った女性スタッフが待機している専用乗り場がある。
そういう信頼できるタクシー会社の、ちゃんとした乗り場から乗ればぼったくりは防げるであろう。

私はそういう信頼できるタクシー会社の、ちゃんとした専用乗り場に向ったのである。
待機する女性スタッフにどこのタクシー会社であるか尋ねたところ、"Taxi San Bay"との回答。
これは信頼できるとされているタクシー会社のひとつであったので、乗車することにした。
乗車直後、ドライバーは「スリーハンドレットフィフティー…」と言ったと思う。これが運賃。
350000ドンである。額が大きいのでこれが日本円でいくらなのか。戸惑ってしまう…。
私は「0」を3つ消して、4を掛けることにした。つまり350×4で1400円くらいであろう…。

部屋の窓から
ホテルの部屋の窓から

ベトナムはバイク社会であると聞いていたので、どんなものか窓からずっと外を見ていた。
しかし、空港を出てからしばらくはバイクの姿は多く無い。長いまっすぐな道がずっと延びている。
タクシーはただまっすぐな道を走る続けるが、どこら辺を走っているのか見当がつかない。
初めての土地なので、見当がつかなくて当然だが、町に明かりが少なく暗いから余計にそう思う。
そのうち、大きな湖の脇の小路を通るようになると、バイクの数が急増してきた。
これが噂に聞いていたベトナムの光景か。ようやく異国にいる実感が湧いてきたようである。

時刻は午後10時台。路上で小さい風呂のイスみたいなのに座って食事している人が大勢いる。
どうして路上なのか…。室内で食べるより路上なのか…。その前をバイクが何台も通り過ぎる。
今までは安全運転と思われたタクシーもそれらのバイクを縫うように走るようになった…。
ライトアップされたホー・チ・ミン廟が見えた。私はやっと現在の位置がわかってきた。
そのちょっと後の公園に大きな銅像が立っているのが見えたが、暗くてよくわからない。
やはりホー・チ・ミンの銅像だったのだろうか?とぼんやり考えているうちにホテルに到着。

運賃は350000ドンとのこと。私は500000ドンの紙幣を手渡したが、戻ってきたのは120000ドン。
足りないじゃないか。解せないでいたら10000ドン追加で戻ってきたが、まだ20000ドン足りない。
足りないじゃないか。解せないでいたら20000ドンはチップであるという。チップ…?。
そのうち、ホテルのボーイが来て「あなたはいくら払いましたか?」と訊ねてきた。
私が「スリーハンドレットフィフティー…」云々と言っていたら、タクシーは走り去っていった。
どうも解せない…。そんな状態の私は一応5つ星の宿ホテル・ニッコー・ハノイにチェックイン。

ホテルの部屋
ホテルの部屋。円高だからお得感はあった。

10年前、あるテレビ番組でハノイからホーチミンまで原付バイクで縦断する企画があった。
そのスタート地点がホテル・ニッコー・ハノイであった。ここに宿泊した理由はそれだけである。
彼らが宿泊したのと同じ12階の部屋であったが、その部屋であらためてタクシーの件を考えた。
持ってきていた資料をあらためて見ると、空港~ハノイ中心部の運賃は315000ドンとある…。
私は"fifteen"と"fifty"を間違えていたらしい…。それにタクシーにチップはいらないともある…。
つまり、私は315000ドンのところを370000ドン支払い、55000ドンをぼられてしまったのだった…。

ホテルのポストカード
55000ドンぼられたということは…。「0」を3つ消して、4を掛けると、被害は220円ほどか…。
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2日目、ハロン湾へ [2012ベトナムの旅]

2012年5月3日(木)、現地時間 午前7時07分 ハノイ ホテル・ニッコー・ハノイ

朝、ホテルの窓から①
朝起きると、12階の部屋であったにもかかわらず、外からクラクションが聞こえてきた

ベトナム取材2日目である。この日はハロン湾への日帰り団体ツアーに参加する予定にしている。
本当ならば、まずハノイの町歩きをしてこの国の空気を感じたかったのだが、いきなりハロン湾。
実は、私は日程を間違えてこの日にハロン湾ツアーの予約をしてしまったのだった…。
しかも、この日は午後6時過ぎから水上人形劇の団体ツアーの予約もしてしまっていた。
ハロン湾ツアー参加後に、夕刻からの水上人形劇ツアーに参加するのはかなり無理がある…。
予約ミスに気がついたのは渡航する数日前…。私は水上人形劇を翌日の3日目に変更してもらった。

朝、ホテルの窓から②
画像から伝わりにくいが、ほんとうにバイクだらけである

このようにハロン湾も水上人形劇も団体ツアーに参加である。本来なら参加したくないのだが…。
私は団体行動が苦手。ひとりで行けるのであればひとりであちこち見て回りたい性分である。
ただ、ハロン湾をひとりで見て回ると、移動手段やら湾のクルーズやらで高くついてしまうらしい。
また、水上人形劇は当日劇場に出向いてもチケットが完売であることが珍しくないらしい。
ツアーに参加してしまえば、ハロン湾も水上人形劇も安心して楽しめるというわけである。
というわけで不本意ではあるが、今回はおとなしく団体ツアーに参加することにしたのである。

ハノイにて①
ラッシュアワーである

ツアーのガイドさんとはホテルのロビーで待ち合わせ。待ち合わせ時間は午前7時30分である。
かなり早い時間であるが、ハロン湾までは約3時間以上かかるというので仕方が無い。
ガイドさんは若いベトナム人女性。うまくはないが日本語を話す。ハノイ大学で学んだのだという。
まだ他のツアー客が乗っていないバンに乗り出発。通勤時間であるらしくバイクの数が凄まじい。
ガイドさんによると、バイクはホンダのバイクが一番多く、次に多いのがヤマハであるとのこと。
バイクが激しく往来する車道とは対照的に、歩道ではフォーをのんびり食べている人がたくさんいる。

ハノイにて②
やはり画像からは伝わりにくいが、バイクがどんどんやってくる

車内では、ガイドさんに「どこから来たのですか?」と訊かれた。こういう質問は困ってしまうのだ。
「埼玉」と答えても、「埼玉」を知っているとは思われないからである。
案の定、「埼玉」と言っても分かってもらえなかった。「東京の近く」と付け足しておいた。
するとガイドさん、「埼玉では何が有名ですか?」と訊ねてきた。これにはもっと困ってしまった。
埼玉県人でも何が有名かパッと出てこない。私は「弱い野球のチームがあります」と答えておいた。
ちなみに、ベトナムで最も人気があるスポーツはサッカーであるとのことだった。

ホー・チ・ミン廟
ホー・チ・ミン廟

昨日、空港からホテルに来るときに通ってきた道をバンは反対方向に走っていく。
大きな銅像が建つ公園を通り過ぎた。昨日通った時はわからなかったが、これはレーニン像だった。
この国ではレーニン像が健在である。それだけでなく「鎌と槌」の旗が掲げられていたりする。
旧ソ連を彷彿とさせるこの「☭」は、現在バルト三国などでは使用が禁止されているという。
昨年、私はバルト三国を訪れ、レーニンだらけの「グルータス・パーク」にも行ってきた。
思わず、その時のことを想い出した。ここが社会主義の国であることを実感したのだった。

プロパガンダアート
プロパガンダの看板があるのが見える

バンは途中、他のツアー参加者を乗せるため、2カ所ほど別のホテルに立ち寄った。
男女のカップルが1組と2人で参加の男性組が1組。ひとりで参加しているのは私だけである。
こうして他のホテルに寄ったりしていたので、ハノイ中心部を離れたのは午前9時前のこと。
ハロン湾まで3時間以上かかるとなれば、到着するのはお昼過ぎとなるであろう。
到着までの間は特にすることはない。私はついうつらうつらと眠ってしまうのであった。
起こされるとトイレ休憩だ。「トイレ休憩」という名目でお土産屋さんに立ち寄るのである。

火力発電所
これは火力発電所。原子力発電所はないが、現在、日本からの導入を計画中である

お土産屋さんでは、大きな刺繍がたくさん売られていて、実際にここで刺繍を作っていたりする。
ガイドさんによると、刺繍を作っているのは体に障害がある女の子たちであるという。
確かによく見ると、近くに募金箱のようなものが置かれていたりするのだった。
その他、ここにはベトナム雑貨がいろいろとあったが何も買わず。20分の休憩時間は暇であった。
だが、あの障害を抱えた少女たちは何だったのだろうと気になって、あとになって考えてみた。
そして、あれはベトナム戦争の枯葉剤被害を受けた子供たちだったのだろうと気がついたのだった。

線路
ハノイ市内の線路。踏切など無い。こんなところを列車が走るらしい…
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