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ふざけた公車運転手 [2011台湾一周鉄道の旅]

2011年8月17日(水)、現地時間 午後8時25分、台湾鐡道 台中駅

※今回はわけあって画像が1枚しかございません。ご了承ください。

これから私が向おうとしている逢甲夜市というのは、台中で最も活気がある夜市であるらしい。
台中駅付近からはやや離れた場所にあるので、タクシーで向おうかと考えた。
台中駅前の広場に来るとタクシーが何台か待機していたが、バスも停まっていた。
ガイドブックによれば、台中客運や仁友客運といったバス会社が運行するバスも近くに行く模様。
目の前に停車しているバスの路線番号を確認すると、その逢甲夜市方面へ向かうようだ。
バスの方がタクシーで行くより安上がりである。このバスに乗って行くことにしよう。

バスに乗ると、サッカーの川島選手みたいな顔をした若いドライバーが機嫌悪そうに座っている。
ドライバーは私を見るとめんどくさそうに「ナーリ?(どこ?)」と訊いてきた。
私は手帳に記した「逢甲大學」という文字を見せた。これは逢甲夜市の最寄りのバス停名である。
すると、ドライバーは吐き捨てるように「アーシースー!」と言った。感じの悪い人間である。
「アーシースー!」とは24!のことであろう。24元支払えばいいのだろうか?
そんな半端な銭をまだ持っていなかったので30元(80円程)を銭入れへ入れる。釣りは出ない。

バスは停車するバス停のアナウンスや電光掲示などいっさいなかった。
窓からの景色とガイドブックの地図を照らし合わせ、現在地を確認しようとするがよくわからない。
降車する際には、降りる意思を告げるボタンを押す。これは日本と同じである。
途中、降車ボタンをまさに降りようとするバス停に着く直前で押したおじさんがいた。
バスは急停車し、おじさんは前の扉からバスの外に出て行った。
その際、ドライバーはおじさんに対し、もっと早く押せ!みたいな感じで怒鳴りつけていた。

私はイヤなバスに乗ってしまったと思った。
ドライバーは信号待ちの時はハンドルに突っ伏し、まるでやる気が感じられない。
親切なドライバーであれば、私の降りる逢甲大學が近づくと教えてくれるであろう。
だが、この最悪のドライバーからそんな親切など期待できない。私はそわそわしてきてしまった。
これでは車窓から街の様子を凝視し、逢甲夜市付近でないかを自分で判断しなければならない。
そのうち、にわかに人出が多いエリアに出た。「逢甲」の文字も確認。逢甲大學はここなのか?

降車ボタンを押す。そして、降車の際に再度「逢甲大學」と記した手帳をドライバーに見せた。
すると、ドライバーはため息をついた後、私を睨みつけて後方を指差して何か言っている。
おそらく、逢甲大學のバス停はひとつ前だったのであろう。まあいい。歩いて戻ることにしよう。
「謝謝」と言って私はバスを降りようとしたが、ドライバー。まだ不満そうに私に何か言っている。
ドライバーの手にはカードが握られている。これは日本のSuica のようなICカードであるらしい。
お前はICカードを持っていないのか?とでも言っているのであろうか?

ドライバーは相変わらず怒鳴りつけるような口調である。これは厄介なことになった。
今日台湾に着いたばかりの私はICカードなど持っていないし、そんなものを持つ予定もない。
だいたい私は既に30元の運賃を硬貨で支払っているではないか。いったい何が不満なのだ。
ドライバーは、私に中国語が通じず、埒があかないことを悟ると、
ハエでも払うかのように「出ろ!」というジェスチャーをした。何だ!馬鹿野郎!出てやるよ!
バスを降りる私に追い打ちをかけるように、背後からドライバーが銭入れをぶったたく音がした。

私は頭に来てしまった。降車後(降車後であるのが小心者の私らしい)、ドライバーを睨みつけた。
ドライバーはそんな私に目もくれず、扉をガシャンと締めると、急スピードで発車して行った。
台湾のバスの後面には、ナンバープレートのようにドライバーの氏名を表記したプレートがある。
私はこのプレートを見ていたので、川島似の馬鹿ドライバーの名前をしっかりと記憶している。
私はほんとうに頭に来ていたので、バス会社にこいつの名を挙げて苦情することを本気で考えた。
取材を続けるうちに怒りは収まったが、この時点では、とても夜市を楽しむ気分ではないのだった…。

こいつが最悪な運転手
問題となったバスの車内
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逢甲夜市 [2011台湾一周鉄道の旅]

2011年8月17日(水)、現地時間 午後9時17分、台中 逢甲夜市

逢甲夜市①
逢甲夜市①

さて、夜市である。馬鹿バス運転手に対する怒りが収まらぬまま歩いて行く。
本当であれば夜市の様子を詳しく取材し、読者の皆様にお伝えしたいのだが…。
というのも、実はこの夜市の記憶があまり残っていないのである。
もしかすると、馬鹿バス運転手に対する怒りでいっぱいいっぱいであったのかもしれない。
デジキャメの画像を確認してみても、逢甲夜市の画像というのはあまり撮っていない。
それでも私が逢甲夜市に行ってきたことはほんとうであって、頼りない記憶をもとに記述してみる。

渡航前、逢甲夜市は台中の名物夜市で、海外からの観光客も多い。との情報を得ていたが、
やはり地元の人が圧倒的に多い。というか、日本人はほとんどいないように思われたのである。
飛び交うのは中国語ばかり、ガイドブックを持ってふらふらしている日本人は私くらいである。
せっかくだから何か食したいとは思う。しかし、何を食べたらよいのか。私は右往左往…。
何を食べたらよいか迷う程屋台が出ているからか。一人旅、雑踏の中で圧倒されているのか。
その両方かもしれない。この活気が毎日続いているのは驚くほかない。

逢甲夜市②

逢甲夜市②

結局、行列ができているところに並んでみた。きっとおいしいから行列ができているのだろう。
そこで売られていたのは、「大腸包小腸」という調理品であった。
この字面だけ見ると、なんだかゲテモノのような気がしないでもないが、
店の様子を見ると、売られているのはどうやらホットドックのようなものであった。
店頭にはモニターが設置され、テレヴィジョンの取材を受けた時の映像が繰り返し再生されている。
映像に出てきたレポーターは目を丸くさせ、「おいしい!」というようなリアクションをしている。

大腸包小腸のお店
大腸包小腸のお店

とりあえず列に並んでみたものの、スムーズに注文できるか不安である。日本語は通じないだろう。
私の番がきた。メニューらしきものが店先にぶら下がっているが、よくわからない。どうしようか。
店員は私に二言三言中国語で話しかけ、意思疎通ができないと知ると、片言の英語を使ってきた。
それでなんとか私は大腸包小腸を手にすることができたのである。
どうやら、この大腸包小腸はいろいろ好みの味にできるらしいが、私はベーシックなものにした。
お値段は40元(100円ちょっと)だったと思う。紙に包まれて大腸包小腸は出てきた。

大腸包小腸
大腸包小腸

見たところ、やはりパンにソーセージが挟まったホットドックのようだった。
路上の隅の花壇にちょこんと腰かけ、さっそくこれを食してみる。
すると、もちもちした。これはもち米が入っている。ソーセージは普通のソーセージである。
あらためてこの調理品の構造を確認してみて合点がいった。なるほどこれは「大腸包小腸」である。
私がホットドックのパンと思っていた部位は「大腸」、つまりもち米の腸詰めであったのだ。
そのもち米の腸詰めに切りこみが入っていて、「小腸」、つまりソーセージが挟んであるのだった。

大腸包小腸を食した後、再び屋台を見て歩く。「日式~」という屋台を何軒か見た。
こういうところでは日本の料理、例えばタコ焼きやお好み焼きのようなものが売られている。
どうしても分からないものがあった。「阿呆滷味」という看板である。
「阿呆」という文字が放つインパクトがすごい。食べるとアホになってしまうのであろうか。
さんずいの漢字がついているので「水」に関する料理なのかもしれないとは思ったが、
近づいてみると、おでんのような煮込み料理であるようだった。なぜ「阿呆」なのかはわからない。

阿呆滷味の看板が見える
阿呆滷味の看板が見える

午後10時を過ぎた。私は大腸包小腸を食したのみであるが、これがけっこう腹にたまっている。
もういいだろう。馬鹿バス運転手に対する不快も未だ引きずっており、私は宿に帰ることにした。
さすがにバスは使わずタクシーで。台中のタクシー初乗り料金は85元(230円程)であるらしい。
ぼったくられることもなく無事に宿へ戻ってきたが、台湾初日からひどい洗礼を受けてしまった。
依然ムカつきは収まらず、仕方が無いので?近くのセブンイレブンへ出向き、台湾啤酒を購入。
これを宿の部屋で飲み干して就寝。明日は台中市内を取材後、高雄へ移動する予定である。

宿の部屋から
宿の部屋(11階)から
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台中公園 [2011台湾一周鉄道の旅]

2011年8月18日(木)、現地時間 午前8時54分、台中 逹欣・商務精品飯店

一夜明けて
一夜明けて

台湾の2日目。ここの宿は朝食付きということだったので、これを食しチェックアウト。
午前中は台中市内を取材する予定。スーツケースは台鐡台中駅に預けることにした。
台中駅の隅の方にコインロッカーが設置されていたが、これはなかなかボロいのであった。
故障中で使用できないロッカーがいくつかある中、何とか利用可能なロッカーに荷物を収納した。
コインロッカーは大きい荷物用、小さい荷物用とがあり、大きい方を使用。50元(130円程)。
これで3時間預けることが可能。それ以上経過すると追加料金が発生するようである。

朝食
朝食

台鐡台中駅
台鐡台中駅

身軽になり、台中市内の取材に出掛ける私だが、移動手段は徒歩である。
昨晩の馬鹿バス運転手の件もありバスには乗りたくないし、タクシーも一人旅だと高くつく。
まあ、地図を見る限り、私が行きたい場所には徒歩でも行くことができそうなのである。
途中、迷いつつも通りの名前をいちいち確認し北に向かって歩いて行く。
それにしても、台湾の歩道は歩きづらい。歩道に段差があって足に余計な負担がかかるようだ。
さらに、その歩道にまで店がせり出して商品を売っていたり、屋台を出していたりするから厄介だ。

バイクが多い
バイクが多い

台中公園
台中公園

午前9時20分頃、台中公園という公園に到着。ここが今日の取材の1カ所目。
ここは1903年に開園した公園で、当時はこの辺りが台中の街外れであったのだという。
公園に入るとまずは大きな湖があるのが目に入る。これは「日月湖」という湖らしい。
そして、その日月湖に浮かぶ島に東屋が建っているのが一際目立つ。
これは「湖水亭」という建物であるらしい。早速、その湖水亭へとかかる朱塗りの橋を渡ってみる。
湖水亭は地元の?若者が大勢見学に来ていて、だいぶ賑やかなのであった。

日月湖に浮かぶ湖水亭
日月湖に浮かぶ湖水亭

湖水亭
湖水亭

湖心亭の由来を解説する碑が建っていた。日本語による説明もあったので読んでみる。
すると、今はとても信じられないが、この辺りはむかし、湿地、竹林、墓地であったらしい。
そこを人工的に公園に整備。湿地を「日」と「月」になぞらえた形にした。これが日月湖である。
また、台中公園は1908年に縦貫鉄道(基隆~高雄間)が開通したことを祝す会場となり、
湖水亭はその祝賀会のために訪台された閑院宮載仁親王の休憩観覧場所であったとある。
というわけで、ここは今回の「台湾一周鉄道の旅」にふさわしい取材ポイントなのである。

湖水亭
湖水亭

照明
湖水亭の照明

日月湖にはボートが何隻も接岸されている。まだ朝早いからかボートに乗っている人は皆無である。
湖は緑色に濁っているが、よく見ると鯉や亀がゆらゆらと泳いでいるのが確認できる。
次に湖水亭のつくりを見てみる。洒落たつくりであるが、建築様式云々私にはよくわからない。
それでも、ふと天井を見上げてみると、花を模した照明があり、これがとても印象的であった。
地元の?若者たちはここで何を想うのか知らない。私も大したことは想わない。
ただ、なんだかとても清々しい。昨晩の不快もぬぐい去りつつあり、元気が出てきた。

日月湖を泳ぐ鯉と亀
鯉と亀

湖水亭で今回の旅の意気を高めた後、さらに台中公園内を散策していると奇妙なものを見つけた。
それは明らかに鳥居なのであるが、分断され地面に倒れているのである。
これも由来を説明する板があり、やはり日本語で説明されていたので読んでみた。
板によると、台中公園内にはかつて神社があったそうである。
神社は1911年創立というからちょうど100年前。100年というと今年は中華民国ができて100年。
台湾では中華民国100年を意識させるものをいくつか見たが、それは後々ご紹介します。

倒れている鳥居
倒れている鳥居

話が逸れた。それはそうと、この倒れている鳥居、なんなのであろうか?
説明板を読むが、「新社殿が落成した後取り壊された」とあるだけでよくわからない。
そこで、帰国後調べたところ、第二次大戦後、蒋介石政権のもとで取り壊されたということらしい。
そういえば、台北の圓山大飯店の敷地もむかしは神社であったと聞く。
この蒋介石という人もいろいろと毀誉褒貶ある人で、そのこともまた後で出てくると思います。
と、後回しばかりだが、台中公園は歴史遺産が点在しているなかなか興味深いところであった。

台中神社の跡
神社があった跡
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