SSブログ

モンマルトル墓地 [2018パリの旅]

2018年5月5日(土) 午前11時50分 パリ モンマルトル墓地

モンマルトル墓地で
モンマルトル墓地で

モンマルトル墓地の入口付近には、大きな案内板が設置されている。
この歴史ある墓地に埋葬されている著名人の墓所を番号で示しているのである。
さらにその案内板の下部には、墓参者が携帯できる地図がぶら下がっている。
私はこれを手に取り、ジャンヌ・モローの墓所を確認してみた。
しかし、ジャンヌ・モローは昨年無くなったばかりであるからか、地図に墓所は反映されていなかった。
まあ、フランソワ・トリュフォー監督のお墓の近くにあるということだから、そちらへ歩いて行った。

案内板サッシャ・ギトリのお墓
(左)モンマルトル墓地の案内板
(右)劇作家・映画監督 サッシャ・ギトリ(1885~1957)のお墓

フランソワ・トリュフォーのお墓は墓地の21区と呼ばれる区画にある。
黒い墓石に名前と生没年のみが刻されたシンプルなお墓である。
通り沿いに面しているので、比較的見つけやすい。
つるつるとした墓石に墓地の木々が映し出されていた。
私はトリュフォー監督との挨拶もそこそこに、続いてジャンヌ・モローのお墓を探しはじめた。
近くにある墓石の墓碑をひとつひとつ見て回る私は、端から見たら実に怪しい人間である。

ベルリオーズのお墓トリュフォーのお墓
(左)作曲家 エクトル・ベルリオーズ(1803~1869)のお墓
(右)映画監督 フランソワ・トリュフォー(1932~1984)のお墓

その地味な作業の途中で、ジャック・リヴェット監督のお墓を発見した。
ジャック・リヴェットもトリュフォーと同様にヌーヴェル・ヴァーグを代表する映画監督である。
ジャック・リヴェットは2016年に亡くなっていた。
ということは、私が前回この墓地に来たときにはこのお墓は無かったはずである。
白い墓石にはジャック・リヴェットの氏名と生没年。その下部に、もう一人の名が刻されていた。
"Veronique Manniez"とあり、生年しか刻まれていなかった。
帰国後に調べたところ、この人はジャック・リヴェットの妻ということらしい。
1972年生まれのようだから、ずいぶんと年が離れている。

ジャック・リヴェットのお墓
映画監督 ジャック・リヴェット(1928~2016)のお墓

ジャンヌ・モローのお墓
女優 ジャンヌ・モロー(1928~2017)のお墓

さて、ジャンヌ・モローのお墓であるが、本当にトリュフォーのお墓の近くなのであった。
通りに面してトリュフォーのお墓があることは先にも記したが、その2列ほど後方にあったと思う。
深い意味は無いと思うけれど、まるでトリュフォーと背中合わせになっているような場所であった。
ジャンヌ・モローのお墓もシンプルで名前と生没年のみである。
晩年の作品はあまり観ていないけれど、「死刑台のエレベーター」とかもちろん「突然炎のごとく」…。
そういった作品は観ているから、墓前に立つと不思議な感じがする。
本当にこの人はいたのだなという気持ちと、本当に亡くなってしまったのだなという気持ちと。

位置関係
手前の黒い墓石がトリュフォーのお墓。
その後方、2基の白いお墓の間に見える墓石がジャンヌ・モローのお墓(白い矢印で示してあります)

私は、フランソワ・トリュフォー監督の映画「大人は判ってくれない」をまた想い出していた。
あの映画には、モンマルトル墓地の上に架かる陸橋で撮影されたシーンがある。
また、劇中でドワネル少年が観た映画はジャック・リヴェット監督の「パリはわれらのもの」であった。
ジャンヌ・モローも「大人は判ってくれない」にカメオ出演をしている。
ロケ地となった陸橋の下、その3人は今、こんなに近くで眠っている。

ガラス張りのお墓
ガラス張りのお墓

墓地の21区から29区へと移動すると、ガラス張りの変わったお墓がある。
ここに眠るのが、「夢見るシャンソン人形」で知られる歌手フランス・ギャルである。
フランス・ギャルが亡くなったのは今年の1月7日。
フランス・ギャルもモンマルトル墓地に埋葬されたと聞いていたので、ここも訪れておきたかった。
ガラス張りの特徴のあるお墓と聞いていたから、すぐに見つけることができた。
1992年に亡くなった夫ミシェル・ベルジェ、1997年に亡くなった娘ポーリーヌ。
氏名とサイン、生没年を記した金色のプレートが、3つ並んで置かれていたのだった。

フランス・ギャルのお墓①
歌手 フランス・ギャル(1947~2018)のお墓

フランス・ギャルのお墓②

これで今回会いたいと思っていた人たちには会うことが出来た。
ゆっくりと、もと来た方へ戻って行く。
こうしてみると、墓石の形状も実に様々で、墓石がその人の生前の職業を反映したものだったりする。
日本人のお墓もちらほらあった。墓石に家紋が掘られていたりするのである。
墓地を出て、時間があれば、丘の上の方に歩いて行きたかったけれど、今回のモンマルトルはここまで。
私は再びパリを南下。イタリア広場付近へ向かうことにしたのである。

モンマルトル
もっとモンマルトルを散策したかったが、イタリア広場へ…
nice!(100)  コメント(4) 
共通テーマ:旅行

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。