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ペール・ラシェーズ墓地 [お墓]

パリにはいくつか大きな墓地があるが、最大の墓地はパリ東部にあるペール・ラシェーズ墓地だ。
ペール・ラシェーズ墓地には多くの有名人が眠っている。

私は2度ペール・ラシェーズを訪れたことがある。会いたい有名人がたくさんいたからだ。
だが、広大すぎてとてもとても面会を希望する有名人全てに会えたわけではないのだった。

広大であるので、ただ闇雲に有名人の墓石を捜すというのでは日が暮れてしまうが、
ペール・ラシェーズ墓地ではこのような地図付きの小冊子を2ユーロで販売している。


細長いペール・ラシェーズ墓地の小冊子。

これが墓参には大いに役に立つアイテムとなるのだ。
5ヶ国語でペール・ラシェーズ墓地の歴史について説明している。
フランス語、英語、ドイツ語、イタリア語、そして日本語。
且つ、ペール・ラシェーズに埋葬された各国ゆかりの人物についての逸話が紹介されている。

フランスだとモリエール、ラフォンテーヌ、アポリネール。
イギリスだとオスカー・ワイルド。
ドイツだとマックス・エルンスト、イヴァン・ゴル。
イタリアだとヴィンチェンツォ・ベッリーニ、モディリアーニ。

このような各国の芸術家たちがパリに眠っているのであり、さすがは芸術の都である。
すると、気になるのがペール・ラシェーズ墓地に埋葬されている日本人は誰かということである。
ペール・ラシェーズの小冊子で紹介されていた日本人の墓は野中元右衛門のお墓なのであった。

この野中元右衛門という人、パリで亡くなった最初の日本人なのだそうだ。
野中は1867年のパリ万博に佐賀藩派遣団の一人として随行したのだが、
何と、パリ到着のその日に病没してしまったのだそうだ。
そして、この小冊子に「パリで死んだ最初の日本人」としてその名を掲載されることとなったのだ。
余談だが、この派遣団の一人に後に日本赤十字の創立者となる佐野常民もいた。

野中元右衛門という人は知らなかったし、まあ、普通は知らないのだろうが、
こんなエピソードを掲載されてしまうといたたまれなくなり、私は野中のお墓を表敬したくなった。
私は小冊子を片手に墓地を巡り巡って、野中のお墓を発見した。
野中のお墓はドアーズのボーカリスト、ジム・モリソンのお墓にほど近い、
木陰の目立たぬ場所に存在していたのだ。


野中元右衛門のお墓。

いかにも日本のお墓である。
日本のお墓はおどろおどろしいことであるなあ。ひゅーどろどろどろどろという感じである。
だが、そんなことを言ってはいけない。
私は野中の無念に想いを馳せ、冥福を祈りペール・ラシェーズ墓地を後にしたのだった…。
それにしても、ここはパリなのだ。これは不思議な感覚なのであった。


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TaekoLovesParis

お墓にはいろいろな物語があるんですね。パリで客死とは無念だったことでしょう。りんこうさん、おおぜいの有名人の「お墓参り」をなさっていらっしゃるから、
それをエッセイにするといいかもしれませんね。
by TaekoLovesParis (2006-01-13 00:44) 

りんこう

そうなんです。様々な物語があるのです。気味悪がらないでくださいね。
僕は偉人に会いに行く感覚なのです。
当然、そこにはその偉人をリスペクトする気持ちがなければ失礼なわけで。
それは気をつけなければならないことだと思いますね。
by りんこう (2006-01-14 01:31) 

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